鈍行に揺られて北へ、北へ
8月10日、始発を求め暗く静かな街を5km先の駅まで自転車で駆けた。午前4時のことだ。
ちなみに、二行目から余談になるが、始発を求め11km先の駅まで2時間半かけて歩いたこともある。午前2時起床がなせる荒業だ。
学生には、若さと時間があってお金がない。若さも時間も、お金では買えない。
こういう"若気の至り"こそ、夏休みを失くす前にしておくべきことである。そういう理屈を騒々しくも振りかざし、午前5時20分、赤羽駅に入線してきたE231系(E233系だったかもしれぬ)に乗り込んだ。
青春18きっぷをご存知だろうか。
長期休暇の時期に合わせて発行される5回綴りの1日乗車券である。
特筆すべきは、一日あたりたった2370円で全てのJR線に乗り降り自由であるという点。
新幹線や"かいじ"などの特急列車は対象外であり、基本的に各駅停車にしか乗ることはできないという可愛らしい欠点も含め、時間がありお金がない学生の旅のお供に打ってつけというわけだ。
JRもそれを意識するように"青春"だの"18"だの青みがかったワードでもってこのゴォジャスなティケットを呼称しているが、別にそれは”(遅れてきた)青春”でも"18(+30)"でもいいわけで、要するに全年齢対象、CERO Aのきっぷなのである。
(もっとも、小人用青春18きっぷは存在しないため、むしろCERO Bのきっぷという方が正しいかもしれない)
午前9時、接続電車の発車を待つ郡山駅にて。緑に覆われた線路。
電車に揺られること6時間。道中では3-DimensionにしてDouble Screenなる携帯ゲーム機との睨み合いが続いていたが、ふと窓の外に目をやれば景色の色は緑。隣の会話に耳を傾ければ、一日で日本海を目指すらしいステキなオジサマ達の、仕事とのしばしの別れを活力に換えた楽しげな語らい。
こうして時間の流れが緩やかに穏やかになったとき、”旅”をしていると感じる。
かくして正午。杜の都・仙台に到着した。
東北の玄関口は、さすがにというべきか、都会のターミナル駅にも負けない賑やかな店並びと人通り。
無数の無人駅を通り抜けた先にひょっこり現れるから、一瞬東京に戻ってきたのかとさえ思わせてくれる。
観光客らしく、昼間から牛タンを食す。「牛タンですが、普通のと”極(きわみ)”とございますが、どちらにいたしますか?」と仙台で聞かれてしまっては、財布の口も緩まざるをえない。その”極み”ぶりはあまりに美味しく、結果的には自らの口も緩まざるをえなかった。
2000円超の贅沢な昼食を終えたら、散歩である。
浪人中の友人に渡すお守りを購入。
今回の旅仲間は高校同期。2年前、鈍行ではあまりにアクセスが悪い金沢まで、日本海に停滞する台風への果敢な突入とともにお付き合い願って以来、2回目の18たびである。
強風に揺れる金沢の旅は、あのにっくき一つ目サイクロン小僧が悪いというより、いっぱしの雨男たる我々がお呼びしてしまったので、そりゃ台風も来ますわとばかりに荒天甚だしであったが、今回は雨雲を司る神もさすがに遠慮したのか、とはいえ雨男に呼ばれている以上問屋も下ろせないとなったのか、その辺りのバランスが鑑みられた結果、全日程を通して曇天甚だしであった。
青い空白い雲など見られるはずもなく、いつ雨が降るのかと怯えるさまは、むしろ青い顔白い空のコントラストを強調していたようにも思える。
通りかかった公園で見つけたSL。乗り鉄の当方、乗車経験のないSLの知識は少ない。
かくして午後4時、我々は仙台駅に戻った。土産を買い、水族館に立ち寄って、宿で休むか‥‥と疲れの色が見えてきた我々の目に映ったのは、日本ハムのレプリカユニフォームに袖を通した若い女性2人だった。ひょっとして‥‥本日、試合あります?
計画性のなさは、このようなときプラスに作用する。
空き席の少ない球場内、やっとこさこぢんまりとしたビジター応援席の端に腰を下ろし、生まれて初めて日本ハムの応援をした。楽天-日本ハム戦、どちらも本腰を入れて応援しているチームではなかったからこそ、野球そのものを純粋に楽しめたのかもしれない。(どうも贔屓の球団の試合を見ていると私情が入って良くない)
あまりの疲れから騒がしい球場内で居眠りしたのはご愛嬌として、koboスタの独特の雰囲気を感じつつ、迫るチェックインに急かされ8回で球場を後にした。最後まで見たかった。
翌朝5時の松島。あえてひとことで表現するなら「どんより」。彩度低すぎ。
宿泊した松島のゲストハウスはできたばかりらしく、とても清潔だった。願わくばゆっくりと惰眠をむさぼりたいところだったが、熱闘甲子園を見るや即布団入り、午前4時半起床で滞在時間わずか6時間という有様。若者が持て余す時間は多い、田舎の電車の本数は少ない。致し方あるまい。
カクテル光線の上に花火が舞ったところで、ひとまず終点に到着。接続列車の発車まで、しばしお待ちあれ。
習慣とはかくも脆いものなりき
恐怖、である。
前回のエントリの日付を見て愕然とした。
5月とは?いつぞや?何年前じゃ?
遠い昔の自分が、何か文章を残していたという事実だけでおぼろげに老いを感じる。
談合坂PAで買った信玄餅生プリンばりに口どけなめらかな人生もきっと悪くないはずだと励ましつつ、とはいえこの空き地にも何か建設的なものを、と思い立つ夜である。
今年1月、手帳を買った。3年連続である。
予定で埋めたかったカレンダーに空白が目立つのは、むしろ書き込みがほとんど認められないのは、予定が無いわけではなく、ひとえに手帳に記す習慣を獲得し忘れたからなのである。みたび、買って勝手に一本満足を繰り返しているからなのである。
自分が予定に溢れた手帳を持っている未来予想図Ⅱなど、描けるわけもなく。
念のためとはいえ強調しておくと、予定が無いわけではない。
これはリア充であらねばならぬという世間を支配する謎の強迫観念とは、また別の話。
いっそ、「○月○日、手帳に予定を書く」なる予定を手帳に書き加えておこうか。いや、その日までに手帳を開かないのでムダである。手帳を開かないことが予定されているのである。
ならば、「○月○日、手帳を開かない」なる予定を手帳に記しておこうか。まかり間違ってその日に手帳を開いたら、有言不実行を悟り過去の自分をコツンと小突いてやる。未来のそうした小さな楽しみなんて、今からいくらでも作れる。
習慣。幸か不幸かそういったものを持ち合わせていない自分だが、いいのである。獲得はできないのだ。そういう性なのだ。人生には割り切りが必要なのだ。
が。最小限の習慣は身を助く。そこで手帳にこう記す。
「8月4日、前日の夜になって、明日の用事を思い出しアタフタと舞い踊る生活だけはやめにする」
とはいえ実現可能性がみじんも認められないので、これを予定と呼ぶことはできないが。
結局、習慣なんて身につかない。これは予定である。
予定を立てる予定、習慣のある人生。
少し憧れる。
でも、これから待ってるのはダンスダンスレボリューションを毎度毎度初見でやるような人生なんだろう。
仕方ない、踊るか‥‥。
全略 ーアイサツに代えて
ひらひら検事のワナワナとした叫びはさておき。
手始めということで、例に違わず自己紹介を。
といっても、いるとも知れぬ読み手の方に見せびらかすほど、我が人生大したものではない。
そこで、自分のヒイキとするゲームについて少しばかり書き散らすことで紹介と代えさせていただく。
いわば"同志"とも呼ぶべき選ばれた方は、タイトルの影にヤッパリあのオトコの姿が見えたことと思うが。
当方、逆転裁判シリーズが大のお気に入りである。
その付き合いはわずか4年ではあるが、シリーズ全作品をプレイし、先日のオーケストラコンサートに足を運び、シビれる演奏のフルコースに圧倒されたくらいには大ファンなのだ。
ついに今夏「大逆転裁判2 -成歩堂龍ノ介の覺悟-」の発売が決定し、期待に打ち震える日々を目下過ごしているのである。
登場人物、ストーリー、音楽、グラフィックなどそこかしこでシゲキをくれるこのシリーズの、最大のミリョクといえば‥‥?と問われれば、私は人差し指を突き出して
”つきつける”
と答えたい。
ここには、本シリーズのミリョクが凝縮されているのである。
"つきつける"瞬間、Xボタンを押下したその瞬間、鋭い効果音と共に鳴り止む音楽、カットインする弁護士、ナマイキにもウソを並べ立てる証人。メタ的に言えばストーリー上の”正解”を出した快感、さらにプレイヤーの分身である弁護士が証人のスキを突いてゆくことへの期待感。
ストーリーをプレーヤーが自ら切り拓いた感覚を味わうことができる、これらがあの一瞬に詰め込まれているのである。
だから私は、法廷パートでおもむろにXボタンを押す瞬間が大好きだ。
‥‥ムロン、おもむろに押せないときもある。一通り尋問を見たあとのなるほどくんのコメント「(でも、○○さんの証言にはオカシイところがある)」がハッタリにしか聞こえないとき、これほど困ることもない。おそるおそるXボタンを押したとき、それがたまたま正解だったときの安堵もまた、楽しむべきシロモノと言えるかもしれない。
以上、語るには大きすぎるミリョクのヒトツを簡単ではあるが語ってみた。
各作品の感想など、今後のエントリで話せたらと思っている。
また、このシリーズ以外にも、なんやかんや思うところを気まぐれに更新してみようか、と考える次第である。
それでは、本日はこれにて閉廷!