色メガネ売場

目の届くかぎり広く、手の届くかぎり深く

誰かの背中にギリギリ届かないでほしい言葉

どうしても年を食っているので、俯瞰で物事を見ることが多い。

まだまだ若造、視界こそ世界な側面が未だ多く残されているには違いないとはいえ。

 

入部当初、技量はないくせに年だけムダに重ねていたせいか、視点切り替えスイッチだけは立派なものがついていて、当時から今に至るまで、様々な側面からあの部活を見てきた、と思う。

 

しかしそれは、集団全体の話。船がどこにいてどこに進むのかは見えていても、船員たちの思惑はほとんどわからない。

自分が見ているのは可愛らしくはしゃぎ、かっこ良く演奏している姿だけなのだから。

何を思っているのだろうと思いを馳せても、実情にはきっとかすりもしていないのだろう。

 

振り返ってみる。今、さっと。

話していて楽しかったな、という思い出ばかり。

あのニヤッとした笑顔とともに、これからも胸にしまっておく。

 

振り返っている。今、きっと。

それでも、文字に起こすには膨大で複雑な出来事と感情を抱いたまま、前を向いて走り出しているんだと思う。

走り出せるチカラに、私は惹かれる。

 

ふと後ろ髪をひかれることがあるかもしれない。

でも後ろ髪をなびかせているのは、仲間が送った追い風だ。

 

思う存分暴れてきてほしい。

 

今こちらから見えるのは、何か抱えていたとしても、それに気がついたときにはもう颯爽と去ってゆく後ろ姿だけ。

でも、その顔はきっと笑っているはずで、やっぱり素敵な人だな、と思う。

 

なんだろうね。

ほんの微々たる時間しか会っていないはずなのに。

こんなに寂しく感じるのは。

 

また会える日まで。

「お久しぶりです!先輩おごってください!」と笑顔で言われるその日まで。

どの立場から言っているのかもわからない謎の先輩もひとり、あなたを応援しています。

 

いつかまた、合宿ではついぞ聞けなかった魔女宅のソロをもう一度聴かせてください。

 

 

 

本人に向かって投げていますが、本人の背中には届きませんように。

Please make my room clean!

部屋の片付けが終わらない。

人を招く計画とともに立ち上がった一大プロジェクトは、計画の頓挫をもろともせず膨らみ続け、最近では帰宅するたび自分が知らない部屋に招待されているような感覚さえ覚える。

 

苦手だ。片付け。

なぜ苦手なのかにも心当たりがあって、きっとそれはカンペキを追い求めているから。

 

ありとあらゆる所有物を分類しつくし、自分で定めし配列どおりに整列させることこそ片付けであると一念発起するたび、そのあまりにも巨大であまりにも無謀な計画ぶりに道半ばで挫折し、むしろ分類の外にはじき出された物物物が溢れ出して"片付け"開始より"片付け"停止の方が乱雑な部屋模様となる。

片付けにカンペキがあるとしたら、それは一瞬でもその収納場所や存在意義に疑問を感じたものをひたすらダストシュートする職人にのみ与えられる称号であろう。

 

だから、探せ。妥協点。

 

部屋は生き物なのである。いつでも同じところに同じものが絶えず存在するはずもなく、持ち込まれ、並べられ、取り出され、動かされ、使われ、捨てられ‥‥動かない部屋などないのである。

それはまるで下手な人が持つルービックキューブのように。ある面が常に違う色の組み合わせを追い求め続けているように。

そこに分類・整列の概念を堅苦しく適用しようとしたら、部屋の住人たちだってストライキを起こしたくなるに決まっている。意地でも元の場所には戻ってやらねぇ、と。

カンペキに整える理想など、追うだけ無駄だ。

 

さらに、部屋には、そして床で無力にも散らかっている彼らには、歴史がある。片付け場所を与えられず、難民として過ごした不必要な歴史が。

ひとつひとつの歴史は大したことなくても、それが大量に複雑に絡み合っているのだから、部屋は戦場と化している。

 

歴史など与えず、最初からこまめに定めてやればよかったのだ。彼らの持ち場を。

肥大化する前に、氷のつぶては溶かしておくべきだったのだ。自分を痛めつける前に。

 

ルービックキューブをひっちゃかめっちゃかに回して絶対に戻せないと青ざめているような、氷山の一角をかき氷にして腹を満たしてしまい、さらなる掘削を怠った結果氷山の雪だるまが出来上がっているような、そんな状態でカンペキなど、目指すほうが馬鹿げている。

 

そこそこを目指そう。気負わず。

 

さて、物の山に囲まれながらキーボードを打つのはこの辺にして、復旧作業に戻ることにしようか。

復旧は終わるのか?今よりはマシだと片付け前の状態に戻ることになるのか?

とにかく、終わることを願うばかりだ。

 

一番片付けるのが難しいのは、片付けそのものかもしれない。

 

 

 

 

○最近のステキソングコーナー

「不思議/スピッツ

サビの晴れ晴れとした開放感が素敵。夏、トンネルを抜けたら一面の青い海!というイメージ。Aメロの歌詞が好き。

【知ったかぶりタイム】

サビのコード進行(おそらくⅣ-Ⅴ-Ⅲm-Ⅵm)によるものか、王道感に溢れた曲。

 

1階席に行きたい ~感想・2(吹部)

【注】吹部の話しかしません

 

さぁ書き切るぞ。

‥‥本当は明日からの宿泊行事の準備をするべきなのだ。進捗0だから。

 

性質上実名で書けないので、楽器名で察してけろ。

 

リハーサルのリハーサルの日に長話を垂れてしまってから3週間。練習の様子を垣間見ているとはいえ、客席から見るステージは一回こっきり。何を見せてくれるのかとても楽しみで、出ないくせに緊張した。

本番。もうホントは声は出したい手拍子したい手振りたいで立ち上がって踊りださんばかりの勢いだったのだが、抑えつけた。でも3階席で大音量の拍手はきっとうるさかっただろうな‥‥。

 

収拾がつかないので箇条書きにする。

・パーカスの彼が可愛らしい音で2回もネコを踏んづけやがった。いいセンス。

・サウンドチェックで遊ぶの、良い。

・そして不意打ちのダッタン人でニヤニヤする。いや、ニタニタした。気持ち悪い。

・ここらで名前呼びたい衝動が来る。でも呼べる空気ではない。3階席って遠いんだなと実感。もうひっくり返っても現役にはなれないのか、としみじみ。そしてOBという立場を痛感。近いようで遠い、あまりにも遠い。

・はじまる。ドラムの彼女、頑張れ。最後まで持て。と祈念。

・中央で舞う9人。全員切れが良くなり(特にトランペットの彼はかなり向上)副部長が浮いてなかった。まとまりがあった。その中のチューバ、目立つ。よく動く。同期にスゴイねあの子(というニュアンスのコト)を言われる。彼女喜ぶだろうなと私が勝手に心のなかでガッツポーズ。

・手拍子をもう少し煽れたら良かったかもなーとは思った。難しいけど。

・一段上に並ぶ低音。強そう。もっと主張して良いのでは!音で!

・一曲目おわり。MC。2年前を思い出して頭のなかで比較。丁寧さが段違い。

・あ、2曲目ディスコか!となってからテキーラも2曲目だったなと思い出す。

ソリスト紹介。3階席で一番大きい拍手を送ったつもり。つもり。。。

・舞台を降りていく人々。(演奏でミスできないな‥‥自分には厳しい)などと弱音。

・声飛ばしてぇ~~~~~となる。

・突然の生演奏つき掛け声リハ。リハがあってこそ本番が生きるよね。

・果たしてディスコはうまく行った‥‥んじゃないかな?というのも3階席はいわゆる"地蔵"なもので、1階席のアツい声も巧みに吸収するカラクリつきなわけで、当然ディスコと言えなかったわけで、うーむ。3階席は静かだ。

・やばい。この辺り曲にノリすぎて記憶がない。

・"マイク"が動いてソロの音拾ってた。なるほど。

・中間ソロのお二人、タスクの山を越えよくぞここまで。敬礼。

・ディスコおわり。MC。部長あいさつ。ステージ見て、やっぱり増えたなあ、部員、と。1年から入部してる同期はより一層感じていることなのだろう。

・ソロのポーズが可愛かったりかっこよかったり。ちゃんとポーズがあって良い。

・そして次の曲には今回一番楽しみにしてたと言っても過言ではないソロとソリがあるのである。

・ワクワクなのである。

・ドキドキするのである。

・3曲目。冒頭の照明、バッチリ決まってて舌を巻く。こういうところ、やはり外部の方の協力あっての発表だと思わされるとき。

・チューバ2台、跳ねる跳ねる。重いだろうに、一切ツラそうな素振りがないところが演者の意地か。ステキだ。

・ペンライトをおもむろに拾い上げる指揮者さん。踊る指揮者さん。上手いから映えるのよね。

・雰囲気がコロコロ変わるのもこのメドレーの特徴であり特長か。静かな伴奏に乗せてオーボエの音色が胸を打つ。なぜ聴いていたいものほど一瞬で終わってしまうのか。

・フルートソロ、少し毛色の違う振り付け、旗。前後との差異、印象の付け方に工夫を感じる。

・雰囲気が再び明るくなったら、パーカスの出番。いやー跳ねる跳ねる。ティンパニの狭いスペースでぴょこぴょこしてるのもまた一興。じつは練習を見に行った時後ろで跳びたいと思っていたのだが、明らかに練習の妨げになるので自制。

・手拍子をする木管勢。楽しげな感じが伝わってくる。

・ペットボーンソリ。人、多っ!新たな世代の台頭をここで一番実感したかも。

・そして。

・サックスソリなのである。

・ソリ。6人。ソリ。

・この時の状態を表す言葉として間違っているものの中で最も正しいものを選ぶとすると"親バカ"

・ドラムのフィルインからさらにアップテンポに。俄然盛り上がる。

・ホルンが最前列に並んで構えてるのかっこよすぎるな。

・バリサク氏のキレがマシマシで感嘆。仕上げてきたものだ。

・で、あれ。全生徒が惚れたやつ。

・アルトサックスのソロ。

・ソロ。

・正直夏休み終盤の練習で初めて聴いたときは涙出かけた。

・ご本人曰く本番が一番うまく行ったそうな。さすがの一言。

・このときは知る由もなかった‥‥私のスナオな感想を、言う相手を間違えたばかりに当該期LINEに載せられちょっとした騒ぎが起きることを‥‥騒ぎというほどでもないけどね。どのみち次に会うときには何らかの制裁が下るでしょう。私に。

・この素晴らしきソロが終わったあたりで、終わる、終わってしまう‥‥となった。終わってほしくないのに、止まることなく集結へと向かっていく曲。サミシイ。

・思い起こせば2年前は、3曲目、屈んで構えていたところに後ろから迫ってくる冒頭のドラムソロがどうにも終わりを告げる合図のようにしか聞こえなくて、来ないでくれ‥‥あぁ来た‥‥と決まらない覚悟の間で逡巡した記憶がある。

・終わった。あっという間だった。

 

ステージドリルを導入した初年度の新鮮さが段々と失われ、観衆が「いつものこと」「当たり前」と感じる領域に入ってきた中でのステージ。観衆の中で過去のステージが無意識にハードル化して、より高いものが要求されてしまう難しい年だったと思う。

よくやり遂げたな、というのが素直なところ。

反省点もあるだろうし、OBという立場で関わってきたことでその断片を感じ取ることはあるけれど、形として成立していたこと。そして"最低限"を越えて、ステージとして成立していたこと。紆余曲折の四字でまとめるにはあまりに多くのことがあったことだろう。きっとそれら全部、立ったステージを支える土台になっていたはずだ。

とはいえ、外部から何を言っても想像の範疇を超えることはない。だからとりあえず、お疲れさまと言うことにする。あのステージをどう捉えているかはわからないけど、少なくともその日そこで客席から見たものは、確かに良いものだったよ、と。

 

今後のことは、まだ先に考える機会がある。先延ばしではなく。先で考えるべきなのである。

だから目の前を、楽しんで。

その姿が何よりもステキで、羨ましいと感じるOBのタワゴトでした。

「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」を読んだ。

朝からボンヤリしていた頭が、未だに掴みどころなく揺れている、ような気がする。

身体は人生の資本であるというのに。所有財産、知らぬ間に目減りしているのかな。

 

「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」

家族が買ってきた若林正恭さんの本を読んだ。

 

若林さん、私は好きだ。オードリーとしてのネタも好きだし、人間性(こう括られるのは本意でないような気がする)も好感を持つ。

もっとも私は「リトルトゥース」ではないので(オードリーのオールナイトニッポンは内輪ネタの印象が強く、もっと早く聞き始めていれば輪に入れたのかもなとも思う)、若林さんの仕事に対する話しぶりを詳しく知ることはない。

きっと今週も毒を混ぜた言葉で語っているのだろうかと、憶測を飛ばす程度だ。たまにメディアで偶然目に入って、「あー若林ジャン」とあたかも知り合いであるかのように反応する、その程度だ。

 

テレビをつけると、ゴールデン帯のバラエティ番組で司会を務める若林さんの姿を見ることがある。

進行をこなし、ひな壇に座る人たちの挙動を拾い、ワチャワチャとしたバラエティの空気を作り出している。

どんな気持ちであの仕事をやっているのかな、とずっと思っていた。

 

この本を読んで、その疑問に答えが出せたわけではない。

それどころか、ますますわからなくなった。

非常にまとまりに欠ける感想が頭を支配して、ボカシに拍車をかけている。

 

でも、一度も行ったことのないキューバの景色が見えたような気がした。

外国特有、というか日本にない空気まで。

鮮やかに。

 

若林さんという唯一無二のフィルターを通して見るキューバの景色。

だからこそ伝わるものがあるのかな、と思った。

文を書いているのがバックグラウンドと、思考と、固有に抱えるいち人間だからこそ。決して画面の向こうの"芸人"さんではなく。

 

本の中で若林さんも書いていたが、見るべきものは人間そのもの、なのかもしれない。

 

読みやすく頭に入りやすい文章でした。

旅行記というのは景色もさることながら、著者の頭の中まで見えるので面白いですね。

鈍行に揺られて北へ、北へ

8月10日、始発を求め暗く静かな街を5km先の駅まで自転車で駆けた。午前4時のことだ。

ちなみに、二行目から余談になるが、始発を求め11km先の駅まで2時間半かけて歩いたこともある。午前2時起床がなせる荒業だ。

 学生には、若さと時間があってお金がない。若さも時間も、お金では買えない。

こういう"若気の至り"こそ、夏休みを失くす前にしておくべきことである。そういう理屈を騒々しくも振りかざし、午前5時20分、赤羽駅に入線してきたE231系(E233系だったかもしれぬ)に乗り込んだ。

 

青春18きっぷをご存知だろうか。

f:id:sakushusen:20170818000259j:plain

 長期休暇の時期に合わせて発行される5回綴りの1日乗車券である。

特筆すべきは、一日あたりたった2370円で全てのJR線に乗り降り自由であるという点。

新幹線や"かいじ"などの特急列車は対象外であり、基本的に各駅停車にしか乗ることはできないという可愛らしい欠点も含め、時間がありお金がない学生の旅のお供に打ってつけというわけだ。

JRもそれを意識するように"青春"だの"18"だの青みがかったワードでもってこのゴォジャスなティケットを呼称しているが、別にそれは”(遅れてきた)青春”でも"18(+30)"でもいいわけで、要するに全年齢対象、CERO Aのきっぷなのである。

(もっとも、小人用青春18きっぷは存在しないため、むしろCERO Bのきっぷという方が正しいかもしれない)

 

f:id:sakushusen:20170818002046j:plain

午前9時、接続電車の発車を待つ郡山駅にて。緑に覆われた線路。

 

電車に揺られること6時間。道中では3-DimensionにしてDouble Screenなる携帯ゲーム機との睨み合いが続いていたが、ふと窓の外に目をやれば景色の色は緑。隣の会話に耳を傾ければ、一日で日本海を目指すらしいステキなオジサマ達の、仕事とのしばしの別れを活力に換えた楽しげな語らい。

こうして時間の流れが緩やかに穏やかになったとき、”旅”をしていると感じる。

 

f:id:sakushusen:20170818003700j:plain

かくして正午。杜の都・仙台に到着した。

東北の玄関口は、さすがにというべきか、都会のターミナル駅にも負けない賑やかな店並びと人通り。

無数の無人駅を通り抜けた先にひょっこり現れるから、一瞬東京に戻ってきたのかとさえ思わせてくれる。

 

f:id:sakushusen:20170818004226j:plain

観光客らしく、昼間から牛タンを食す。「牛タンですが、普通のと”極(きわみ)”とございますが、どちらにいたしますか?」と仙台で聞かれてしまっては、財布の口も緩まざるをえない。その”極み”ぶりはあまりに美味しく、結果的には自らの口も緩まざるをえなかった。

2000円超の贅沢な昼食を終えたら、散歩である。

 

f:id:sakushusen:20170818005031j:plain

浪人中の友人に渡すお守りを購入。

 

今回の旅仲間は高校同期。2年前、鈍行ではあまりにアクセスが悪い金沢まで、日本海に停滞する台風への果敢な突入とともにお付き合い願って以来、2回目の18たびである。

強風に揺れる金沢の旅は、あのにっくき一つ目サイクロン小僧が悪いというより、いっぱしの雨男たる我々がお呼びしてしまったので、そりゃ台風も来ますわとばかりに荒天甚だしであったが、今回は雨雲を司る神もさすがに遠慮したのか、とはいえ雨男に呼ばれている以上問屋も下ろせないとなったのか、その辺りのバランスが鑑みられた結果、全日程を通して曇天甚だしであった。

青い空白い雲など見られるはずもなく、いつ雨が降るのかと怯えるさまは、むしろ青い顔白い空のコントラストを強調していたようにも思える。

 

f:id:sakushusen:20170818010620j:plain

通りかかった公園で見つけたSL。乗り鉄の当方、乗車経験のないSLの知識は少ない。

 

かくして午後4時、我々は仙台駅に戻った。土産を買い、水族館に立ち寄って、宿で休むか‥‥と疲れの色が見えてきた我々の目に映ったのは、日本ハムのレプリカユニフォームに袖を通した若い女性2人だった。ひょっとして‥‥本日、試合あります?

 

f:id:sakushusen:20170818011352j:plain

計画性のなさは、このようなときプラスに作用する。

空き席の少ない球場内、やっとこさこぢんまりとしたビジター応援席の端に腰を下ろし、生まれて初めて日本ハムの応援をした。楽天-日本ハム戦、どちらも本腰を入れて応援しているチームではなかったからこそ、野球そのものを純粋に楽しめたのかもしれない。(どうも贔屓の球団の試合を見ていると私情が入って良くない)

あまりの疲れから騒がしい球場内で居眠りしたのはご愛嬌として、koboスタの独特の雰囲気を感じつつ、迫るチェックインに急かされ8回で球場を後にした。最後まで見たかった。

 

f:id:sakushusen:20170818102454j:plain

翌朝5時の松島。あえてひとことで表現するなら「どんより」。彩度低すぎ。

 

宿泊した松島のゲストハウスはできたばかりらしく、とても清潔だった。願わくばゆっくりと惰眠をむさぼりたいところだったが、熱闘甲子園を見るや即布団入り、午前4時半起床で滞在時間わずか6時間という有様。若者が持て余す時間は多い、田舎の電車の本数は少ない。致し方あるまい。

 

f:id:sakushusen:20170818104414j:plain

カクテル光線の上に花火が舞ったところで、ひとまず終点に到着。接続列車の発車まで、しばしお待ちあれ。