台風との待ち合わせ・名古屋編
10月第3週の土日を使って京都に行ったら台風が来ちゃった、という笑い話から1週間。
懲りない男は再び京都に向かった。そして再び、台風が来ちゃったのである。
旅の前に、そもそもなぜ2週連続で京都に行かなければならないのか?という至極まっとうな問いへの答えを出しておかなければならない。といってもそれはシンプルなもので、上の記事で紹介した京都アニメーションのファン感謝イベントが2週に分けて行われたからである。なんと単純か。熱狂的ファン、という肩書きを与えられても拒否ができなくなってきた。
1週目は先述の通りステージイベントが主で、新作の先行上映会などが行われた。吹奏楽の演奏会もこの一環である。
そして2週目は、関東でいえば幕張メッセや東京ビッグサイトのようなマルチイベント会場である"みやこめっせ"を使った大規模な展示企画が催された。原画や背景、絵コンテに人物設定など膨大な制作資料が一挙に公開される貴重な機会だ。
ここでこのイベントに参加する理由を述べていたら、あまりにも長くなりすぎたので、イベントの様子と合わせて別記事にまとめた。⇒
上の記事は随分とマニアックになってしまったので分かる人がわかればいいが、要の理由だけでも、ということで以下記事から引用。
アニメーションは総合芸術だ。そもそも私は絵を描くことが不得手なので、静止画一枚、原画一枚でも感服のひとことであるところを、それが動き、感情を持ち、生き生きと世界に存在している様子を見ると、並大抵の感想で片付けられる感動ではない。背景や音楽、吹き込まれる命とも形容される声と一体化して雄弁に物語られるストーリーは、よく考えなくてもおびただしい積み重ねの成果であることを認識させられる。
よく言われることだが、"撮れてしまう"実写映画やドラマに対してアニメーションは"撮らなくてはいけない"。実写では、ロケに行けばその場所の風景や音や光の差し込みなどがあらかじめ"有"り、その上に俳優の演技、時にはアドリブなどあらゆる要素が偶発的なものも合わせてカメラの中に収まるが、アニメーションにおいて始まりは"無"である。音もなければ光もない。そしてなにより、偶然がない。無の上に世界を細部に至るまで構築し、キャラクターを動かすという点では実写よりも難しいと思う。ここにおいて、細部へのさまざまなこだわりを持って作られ、実写とひけをとらない密度の濃い世界を画面の中に構築できる京都アニメーションが制作する作品を、私は好きになったのである。
さて、またも前置きが長くなってしまったが、そろそろ出かけるとしよう。
そして、またあのやらかしを思い出して頭を痛めることにしよう‥‥。
(追記:12月にここまで書いたのち、倉庫でホコリをかぶせていたようだ。
今は4月。年も年度もかわってしまったが、覚えている範囲で記録を残すことにする)
10月26日(金)
午後10時 バスタ新宿
↑水曜どうでしょうのテロップみたい。‥‥どう(でもいい)でしょう。
バスタ新宿にやってくるのは7月以来、3ヶ月ぶりだ。それぞれの目的地を胸に、おもいおもいのバスを待っている人たちの中に混じって、私もひとりバスを待つ。
大衆という言葉は、あらゆる色や向きの矢印を包み込んで単色のカタマリにしてしまうけれど、一つ一つの矢印の向きに目線を合わせてみるのも一興だな、などとそんなことを考えているはずもなく、ただただ旅行を楽しみに楽しみに、心の中で大はしゃぎしていた。
新宿には少し早く到着したので、時間つぶしのためにカフェに入り、ペンシルパズルを解くというオトナな時間(自称)を過ごしていた。
(このあとむちゃくちゃハタン*1した)
この高揚があの消失点につながるとは、思いもしなかったな‥‥。
午後10時15分
夜行バスが、京都を目指して静かに夜の新宿を後にした。
座席毎にコンセントがついており、身体は休めずともスマートフォンに休息を与えられる。格安旅行に多少ノ犠牲ハツキモノデース‥‥が、本当にダイジョーブじゃない事態に陥ったのである。
まだ太陽も姿を見せず、闇に支配された京都駅八条口午前5時。
いつも通り、あまり眠れないままバスを降りた。
ロータリーから少し歩くと、白い光に包まれた京都駅の新幹線ホームが見える。光に照らされたとき、そこは朝となる。新幹線の朝は早い。
どれ、到着記念に一枚写真でもとカバンをあさる。その表情が怪訝になる。
スマホ、どこだ?
上着のポケット。ジーンズのシリポケット。カバンのポケット。
どこにも、多機能携帯電話の影はない。
夜明け前最後の仕事とばかりに、街灯がアセる男の影を地面に落とす。
ふいにフラッシュバックする、バスの記憶。
コンセントでありがたく充電していたスマホのケーブルを抜き‥‥
ケーブルをカバンにしまい‥‥
スマホで現在位置なんかを調べていたら、もう到着と知って慌てて立ち上がり‥‥
足元のカバンを取り出すべく、左手に持っていたスマホを‥‥
座席に置いた‥‥
そこで、意識が戻った。
夜明け前の闇がいちばん深いという。
まだ朝の5時だぞ。
始発電車がすべりこもうかという新幹線ホームのまばゆい光に照らされて、男はひとり立ち尽くした。
長い一日、1幕休憩なし。インパクトのあるツカミとともに、オープニングを迎えた。
ロータリーを振り返っても、終着地大阪へと向かったバスのテールランプひとつ残っていない。
バス会社に電話しようにも、連絡先がわからない。バスの乗車票はスマホの中。
インターネットカフェを探すにも、街中の地図に場所が書いてあるはずもない。
夜明け前の八条口にはなにもないので、とりあえず移動だ。
人気の少ない南北自由通路を通りながら、しかし案外と冷静だったことをよく覚えている。
人間、取り返しのつかないやらかしをすると心に血が通わなくなるのか。
中央口に来たころには、だんだんと外も白ずみはじめた。
そして小雨。雨の神と、一週間ぶりの待ちあわせ。
まずやるべきはバス会社の連絡先を調べること。
とても幸運なことに、カバンの中には役目を終えただの音楽プレイヤーと化していた先代のスマホが眠っていた。電波を拾うことに関しては悪評高いポンコツであるが、いるといないとでは大違い。
さっそくフリーwifiを求め、ダウジングをするかのように京都駅前をうろついた。
途中構内図の横にちょこんと載せられた宝の地図を発見し激写したが、心の余裕のなさが写真のブレに現れる結果となった。
とにかくも電話番号をゲット(もちろんスクリーンショットは忘れない)。オンボロスマホで通話はできないので、今度は公衆電話を探す。
中央改札口出てスグのところに発見、駆け込む。あの妙に押しごたえのない番号ボタンを押したのは、いつぶりだったろう。
しばらく続いた発信音のあと、聞こえたのは念のためにと投入した100円玉が落ちる音。
まあ、たしかにな。狭い返却口に指を入れながら思う。
まだ朝6時だもんな。
その後少し間を置いて4回ほどかけたが、どんなに間を空けたところで"早朝"の枠から時間ははみだしてくれない。ひとまず連絡を諦め、かといって手持ちぶさたなことには変わりなく、地下鉄に乗る。
ここで駅のwi-fiを使い、大阪に迷い込んだとおぼしきスマホの位置検索。
しかしあまり要領を得た解答をポンコツは返さず。
万が一のことを考えて、携帯の通信機能を一時的に停止した。別の端末からでもログインさえできれば、ロックをかけられるのである。
不安は消えないが、いくばくかマシになった。
その足で向かうは6月以来のご来店、イノダコーヒ本店。
レトロな新館の、上質なつくりの椅子に腰を下ろせば、高級感とムカシのカオリに軽くやられる。やられてこそ、ここに来る意味がある。
6月とは気分を変えて、シュガートーストを注文。
京都で、初雪を観測した。
しかしどんなに洒落た雰囲気に包まれようと、イモ大学生は馬車になったりしない。
リュックサックを駅に預けイヤに身軽になったカラダで、テクテクと時間を潰す。
三条通を進んで、東大路通との交差点を右折。かなり歩いたところで、八坂神社に到着。午前8時を回ったところ。目の前の交差点に並ぶ電話ボックスに折り畳み傘を挟みつつ飛び込んでみたけど、100円硬貨のリリース&キャッチに終わった。
境内をさらに奥に進むと、円山公園。日本史に明るくないので歴史的感動に浸れないのが残念。池を打つ雨が描く波紋にしばし見とれた。
適当なところで右に曲がり、ねねの道をぐんぐん進むと清水寺に到着。
工事中の舞台から、秋に撫でられ朝が湿らせた京都の山を眺める。
寺院では"静"を味わいたいから、こうして人の比較的少ない朝に訪れるのが良いのかもしれないな。
余談だが、二年坂だか三年坂のあたりに"漬物食べ放題ランチ"の店を見つけた。開店時間や混雑状況と噛み合わず未だ訪れることができていないが、いつか行ってみたい。
元来のクセで、バスを待つ時間を惜しんで歩き出す。
知恩院古門が見えたら、そこから白川に沿った細い道を歩く。
柳の下を流れるなんのヘンテツもない川だが、京都の中でも指折りの好きな場所だったりする。
しばらく歩くと仁王門通にぶつかる。京都国立近代美術館が目の前だ。
平安神宮の大鳥居をくぐる。いったいどうやって建てたのか、何回見てもわからない。
時計を見ると10時過ぎ。そろそろ早朝は脱したか。
二条通との交差点の一角、京都府立図書館を過ぎたあたりにもしもしボックス。
流れてくる人波に見守られながら発信すると、眠そうなおじさんが電話口に出た。
おはようございます。
乗ったバスとスマホの特徴を話すと、届いているとの返事。
バスが京都に戻ったときに渡そうかと言われたが、あいにくそのときには京都にいない。
住所を伝え、自宅に送ってもらうことにした。
財布の中に1円玉だけを残して、失せ物には一応の決着がついた。
住所を伝えているときに液晶画面が点滅しはじめたときは大いに焦ったものだ。
場所さえ選べば、ポンコツのほうも最低限の調べ物はできる。
今夜までに必要な分をやり終えて、もう恐れるものはない。
意気揚々と、みやこめっせへと乗り込んだ。
上にも貼ったけど、時系列としてはここに入る。
イベントを終えると、宿のチェックイン時刻が急かしてくる。
会場を出たのが17時前。名古屋の宿のチェックインは20時。
結局、N700系にたった30分だけ乗車。すこぶる快適だった。
名古屋市営地下鉄を乗り継ぎ、上前津駅で降りたときには本降り。
ひとまずチェックインを済ませ、二段ベッドの上で汗やら雨で濡れた衣服を片付ける。
カバンを覗くと、思ったより少ない着替え。
物販で買ったTシャツに手を伸ばした。
名古屋駅に戻って夕食。
名古屋に来たらエスカからの矢場とん、と相場が決まってしまっている。
小畑優奈さんのポスターが貼られている限り、今後もきっとそうなるだろう。
名古屋の夜が更けていく。寝ているあいだにも、台風がじりじりと迫っていた。
10月29日
早朝。旅行先だと3分の2位の割合で早起きに成功する。自宅だと5分の1くらい。
名古屋の喫茶店はモーニングサービスに力が入っていると世間の評、コメダももちろん例に漏れず。ゆで卵に塩をふり、コーヒーをすすりながら目を閉じたら寝てしまいそうだった。
朝の名古屋は小雨。しかし小雨でも軽く喜べる程度には感覚が麻痺している。
なにせ台風は必ずやって来る。大粒の涙が流れる前に、めいいっぱい遊ばねば。
本日のメインディッシュはこちら。
明治村のホームページより画像を拝借。
逆転裁判シリーズの新プロジェクト「大逆転裁判」と明治の文化を今に再現したテーマパーク「明治村」とがコラボした謎解きラリー形式のリアル脱出ゲームの第2弾である。「大逆転裁判」の舞台が19世紀末であることから実現した当イベントは、ゲームのディレクターもテキスト監修として参加しており、かなり力の入ったものとなっている。
現在は終了してしまったが、続編が発売されたことで開催された第2回であるだけに、「大逆転裁判3」の発売があれば第3回の開催の可能性も少なくないだろう。
もっとも、イベントの開催とは関係なく続編を望んでいるわけなのだが。
近鉄名古屋駅の改札にフリーきっぷを差しこんで、犬山駅に向かう。
イベントの開催にあわせて発売された"大逆転裁判2きっぷ"は、明治村までの往復交通費と明治村入村料がついてそこそこオトク。
窓口に買いに行ったら、駅員のおじさんに「雨の場合は内容物を全てお持ちの上で払い戻しにお越しくださいね‥‥」となんども念押しされた。そりゃそうだデッカイ台風くるんだもん。
それでも、いやそれだからこそ行かねばならぬ。雨男の宿命である。
犬山駅からはバス。1時間2本のバスをのんびり待つ。
曇天選手権で上位に入りそうなグレーの空からは、しかしなにも降ってはこない。
明治村は屋外施設。謎解きラリーは当然、外を歩き回る。
いつまで持つかな‥‥。
15分待った。その間、バス停にはバスも人も来なかった。
20分ほどで明治村に到着。
明治150年!
なんと日本3位の広さを誇るテーマパークである(ディズニーランドより広い)明治村、本来であれば建物ひとつひとつをじっくり眺めたかったところだが、謎解きと台風が待っている手前そういうわけにもいかない。
急いでキットを購入して、やっていくうちに気がついた。
これ、建物ひとつひとつをじっくり眺めないと解けないやつだ。
今回のイベントは2つのコースがあり、難易度は異なるがやることは同じ。テキストを読みつつ、指示された場所に行って手がかりを集める。それをもとに、ムジュンを見つけ犯人を捕まえろ!というもの。広い村内を端から端まで歩かされることで数々の建造物に触れることができたし、部屋ひとつをまるまる使った"殺害現場"で"現場検証"を行い、証人とのムジュンを見つけるなんていう場面も。楽しく散歩と推理を楽しんだ。
心配されていた空模様であるが、たまに小雨がぱらつくことはあれど本降りにはほど遠く、締まりきらない蛇口のような中途半端さ。いっそ不気味ですらある。
今思えば、"ひょっとして降らずに帰れるかも‥‥?"などと思ってしまったのが運のつきだったんだろう。油断大敵、である。
2つ目のコースが終盤に差しかかるころ。建物の中で最後の謎解き、この答えを受付に持っていけば終わり!というタイミングでついにお天道さまのしびれが切れた。それは同時に台風のラブコールであり、「知ってた」以外で片付けることのできない感情を抱かせるには十分の、
特大の、
嵐であった。
なんとか受付にたどりつきクリアに胸をなでおろすヒマもなく、というのもこの受付と出口は村の両端に位置していた。園内バスに乗ることも考えたが、あいかわらずの財政難を抱えるフトコロから予算執行の許可は下りない。
滝と化した階段を遡上し、川と化した坂道を泳ぐ。傘などもはや役に立たぬ。
いつのまにか落として行方不明になっていた上着の不在が、ここにきて痛い。いや、雨でなくとも十分痛手ではある。夕方に差しかかった名古屋は、少しどころではなく寒い。
バケツをひっくり返すのに忙しそうなお天道さまをにらみつつ、最寄り駅行きのバスに飛び乗った。おかげさまで、土産もなにもあったものではない。
振り返ってみると、腰を落ち着けて読んだら面白そうな建物の記述をすべてすっ飛ばし、写真も先のスマホ紛失によりまったく撮れなかったので、明治村にはまた行く必要がありそうだ。
名古屋駅に戻ってくるやいなや、冷え切った体を温めるべくみそ煮込みうどんの店へ。
温度という意味でも、激しくエネルギーを補給した。
そして本日2度目のコメダ珈琲で時間をつぶしているころには、なんと台風は過ぎ去っていた。
嵐の後の静けさが、日曜を凌駕していた。
夜行バスも定刻通りに発車。かくして、台風との再びの密会はお開きとなった。
2度の旅行で2度台風と遭遇するなんてめったにないことだし、これからもなくていい。
雨男の名をさらにほしいままにしていることは、なんの名誉にもならない。
こりずに旅行の予定を立てて、天気予報に震える日々が、続く、続く。
*1:解き終わる前にムジュンが見つかり、正解にたどり着けないこと
7月8日午前0時、ラデツキーの夢を見た
だれも知らないことは、たくさんある。
例えば司会者の2つあるはずのスーツのボタンが着替えたときにはすでにひとつとれてなくなっていて、そのまま舞台に出たこと、とか。
例えば着替えがあるといわれて下手袖を追い出された司会者が、ならばと上手袖でひとりアフリカを感じていたら上手袖でも着替えがあることを失念していて迷惑をかけたこと、とか(副部長本当にごめん)。
例えば司会者が、9人ともうひとりの"引退"をとてもとても寂しく思っていること、とか。
知らないところでなにかが動き、次に会うときにはなにもなかったような顔をしている。
きみにとって、わたしは"なにもなかった"時間を過ごしたようにしか思えないから、そう見える。悪いことではない。当然のことだ。
空白の時間は、存外空白でないものだけれど。
きみは、それを知る術を持たない。あるいは、持ってはいけない。
わたしのことばかり考えていたら、きみ自身の時間が空白になってしまうよ。
源が違えど、通った道が違えど、各々の時間は流れていく。
きみが川の流れにさした特大の棹は、なにも変えちゃくれない。
ただひたすらに、流れ落ちるのみ。
それを誰が責めることができようか。
演奏者の集団。
そこには過去も未来もなく、ただ現在があるだけ。
過去や未来があるとすれば、実線でなく点線だ。
その点をまっすぐ結ぶだけで人間の過去が完成するなら、どんなに単純で楽なことだろう。
川は、まっすぐ流れない。
演奏の話は、正直言ってちゃんとはできない。
なぜかって?そりゃあ、緊張してたから。
演奏の間、ずっと下手袖で指揮のマネごとをして飛んだり跳ねたりして緊張をまぎらわせていたので、ちゃんと聞くことができなかった。言い訳としてはびっくりするほど幼い行為をもってきたものだが、どうか許してほしい。
司会は、添え物だから。バランが弁当の味を変えることはないから。
だから添え物なのに弁当の味を知っているのが、問題といえば問題で。
ひとつ噛んだら、ひとつコケたら、演奏会は少しでも確実に変質してしまう。
終演後、いろんな人に「つまらなかった!!」「出てきたときが一番面白かった!!」と大いなる褒め言葉をいただけたので、肩の荷が下りた気がした。
ひたすら徹するのにも、エネルギーがいるのだ。
良い演奏だったと思う。
1部。マーチは華々しく。センチュリアは聞き心地がよく。ゲールフォースは仕上がりに感心し。
2部。アフリカンシンフォニーは迫力で開幕を飾り。故郷の空、故郷の空がまとまりとしては一番良かったかもしれないとさえ思った。ディズニー50thはフルートオーボエが立つところが好きなんじゃ。リトルマーメイドのソロ、3年前の彼女の姿が重なりちょっと泣きそうになった。
3部。天空への挑戦。5/4拍子の低音がとっても好きだった。さくらのうた。行き道に見た桜の木を思い出す。ステージの上で、それぞれどんな桜を思い浮かべていたのだろう。
2部の司会も衣装も、とてもステキだった。
こう後ろに書くと付け足してついでという感が尋常ではないが、実際ステキだったのだからどうしようもない。
塩MC、ザンシンだった。
そして、たなばた。
ハッキリ言おう。
演奏に関して、この曲を評価するすべは持ち合わせていない。
少なくともこの曲に関しては、添え物でいられなかったから。
曲が始まったとき、「演奏者は、ここで死ぬんだな」と思った。
どれだけ泣いても嘆いても、五線の上に踊る音符は無情に次への橋渡しを繰り返す。
流れを止めることは、放たれたら最後不可能。
そして演奏が終わるとき、演奏者は死ぬ。吹奏楽部と名付けた人生が、否応なしに途切れる。
だからこの曲は、レクイエムのように聞こえた。
命を終えて、空へ還っていく星たち。再会を喜ぶ彦星と織姫が、そのうちひとつ、名も知らぬひとつを指さして、星がきれいだねとほほえみあう。
吹いた瞬間に恐ろしい速さで過去へと駆け抜ける音の軌道が、流れ星の尾のようだった。
終わらないでほしかった。
ずっと、7月7日であってほしかった。
叶わぬ思いを、流れ星に託した。
中間部からティンパニとスネアが引き戻す華やかな景色。
不可逆な追い風が背中に吹いて、前へ前へと進ませていく。
ピッコロの方に目をやった。速いフレーズを待つ表情は、なにを思っていただろう。
トロンボーンの軽快なフレーズは、燃え尽きるロウソクの最後に見せる明るい灯火のようだった。
なにか、すべてがとても、美しかった。
終わるから、美しい。
美しいって、残酷だ。
全てを過去にして、演奏は終わった。
7月7日は過ぎ去った。
1年後の出会いを期して、織姫と彦星は再び背を向けた。
ステージと客席の間に流れる天の川。
9人とひとりが、渡っていった。
家に帰った織姫と彦星は夢を見たのかもしれない。
つらく苦しく面倒で長かった時間が、とても明るく、そして短く感じられるという夢を。
3分程度の、手拍子に包まれた夢を。
ひとりひとりがどんな天の川に揺られてここに来たかなんて、分かるはずがない。
それでも、いっとき同じ場所に流れつき、同じ時間を過ごしたのは事実。
少なくとも集まった天の川は、キレイだった。
だれも知らないことは、たくさんある。
例えばいつまで業者は業者としてトラックの上に乗り続けるのか、とか。
例えば後輩が何人増えて、パートがどう変わっていくのか、とか。
例えば来年の天の川の景色、とか。
おつかれさまでした。
また来年、会いましょう。
「映画ドラえもん のび太の宝島」感想【ネタバレあり】
そんなわけで。いや、どんなわけかは知らないが、とにかく見に行ったのである。
こんな感じで記事を何本か書いて、「見て!見て!」と催促したわりに、自分の尻を叩くのをすっかり忘れていた。
ようやく3月9日、瞳を閉じれば"ここにいないあなた"がまぶたの裏にいるこの時節、ひとり勇んで映画館入口のドアを開けた。
この映画館で「ドラえもん」を見るのも、リニューアル後第一作「のび太の恐竜2006」以来12回目のことになる。(「宇宙英雄記」だけ別のところで鑑賞したのだが、ソレはどうでもいい話)
幼少時から今に至るまで映画ドラえもんは毎年の楽しみ。自分自身が"幅広い世代"の一角を、時を越えて担っているんだなあと、なんだか壮大なことを考えた。
さて自分語りはこれくらいにして、今年の映画の話に移ろう。
「映画ドラえもん のび太の宝島」(以下「宝島」)は、わさドラ13作目にして7作目のオリジナル作品。
ロバート・ルイス・スティーヴンソンの児童文学『宝島』をモチーフとし、のび太たちは宝島を求めて大冒険!‥‥というお話である。
スタッフについては特に新たに付け加える知識もない(前の記事で紹介はした)が、「脚本・川村元気」がこの映画のすべて、なのかもしれない。この方の作品をよく知っているわけではないが、"ドラえもん"をこの人のパレットで塗ったらこんな色彩になるのかと、ただひたすらそう思わされた。
どこぞの記事によると、今作の主題歌・星野源を発案したのもこの川村氏ということらしい。これまでの参加作品からしても、脚本にとどまらずプロデュースの一角も担っていたことがうかがえるというものだ。
さて、御託を並べるのはこのへんにして、映画の感想へとなだれ込みたい。
感想を一言で述べるなら、
「盛ったなあ」
というところか。盛ったといっても"誇張"ではなく"大盛"のほうである。
こってりラーメンもろもろマシマシを飲み干したような、そんな気分となった。
エンターテイメント性でいえばオリジナルの中でも上位に来る出来だし、悪い映画でないことは保証する。誤解を招きそうな言い方だが、"映画然とした映画"とでもいおうか。とにかく、娯楽という点では及第点以上の良い作品であったことは疑いようがない。
‥‥とまあネタバレ無しでの感想には限界があるので、これより映画のはらわたを引っ張り出してあれやこれやと言うゾーンに突入する。
"初見"というのは誰にも等しく与えられた貴い権利でありますからして、その権利をこんな場末の過疎ブログの前に捨てるような必要は万にひとつもない。映画未見の方は、タブを閉じてお近くの映画館への経路案内でも検索していただきたい。
では、続きを読む以降でお会いしよう。
※否定的な意見も含まれますので、あくまで自己責任で。
続きを読むコラム風を吹かせて
最近書く題材はゴマンとあるのだが、いかんせん時間と集中力がなく進まない。
というわけで、お茶濁しの過去作紹介。
むかーしむかし、学校新聞のコラム欄(天声人語を模したようなもの)に投稿したときの文章。高2の頃か。なんだか小難しいことを書こうと背伸びしているつま先がピョコピョコと見えなくもないが、個人的には気に入っているのでなんとなく載せてみることにする。
フクロウの首はよく回る。彼らには「福籠」といった類の縁起のいい当て字が多数存在するが、「副老」と当てれば将軍に仕える名参謀、広い視野を持ち知性に長けた言い得て妙の二文字だ。翻って人間の首は、振り返るのが精一杯。なればこそ、精一杯を極めるのも悪くない
◆すると、各々がこれまで辿ってきた道は数知れないはずなのに、記憶という言葉にまとめてみるといささか実体がないようにも思える。人間の記憶は、刻みつけられると同時に圧縮され始め、限られた格納庫の中で小さくなり場所を空けて次の記憶を待つ。その過程で、圧縮が過ぎた記憶はふるいにかけたように脳という格納庫の床の細かい網目をくぐりぬけ、露と消えていく。記憶の印象の強さは圧縮に対する抵抗力に比例する、だから考査直前に慌てて詰め込んだ用語は、一瞬の後に灰燼に帰し、ふるいを揺らすこともなく消えていくのである
◆さらに、記憶の中には思い出がある。振り返ることでふと蘇る、こうした思い出には味がついている。甘酸っぱかったり、苦かったり、読みは違えど辛かったり。限られた容量の中で、人間は記憶の吟味もまた行っているのだ
◆「記憶」から「歴史」というものに拡張しても、同じことが言える。すなわち、一つの存在は、微視的には自ら積み上げた記憶の土台と、巨視的にはその土台をちょこんと載せている巨大な歴史の塊の上に立っているのだ。人間はフクロウのようには飛べまい、だから唯一足元を踏みしめる他に生きる術はない。命を支える土台がいかにして作られたのか知ることの肝要さは、歴史が他人事ではなく、自分を押し上げている原動力の一つの源であることを証明するだろう。その先の歩き方を確たるものにするために、学生は歴史を、自らの礎を学ぶのである。前途が開けていて、かつ記憶力が衰えゆく前のこの時期に
◆歴史の塊が手のつけようもなく膨れているのもまた事実だが、それゆえ歴史の圧縮と吟味が求められるし、人間は先天的にその能力を「記憶」の機能で身につけている。首のよく回るフクロウが「不苦労」なら、人間は多少首が不自由で「苦労」しても、生きるために精一杯首をもたげて振り返る生き物なのだ。
とりとめのない雑記群
表題の通り、最近のちっこい出来事を並べるだけのエントリでござい。
・関西方面への旅行
ええ、行ってまいりましたとも。
京都、大阪、神戸、奈良と回って計10万歩くらい歩いたらしい。
断片的な模様はtwitterに載せておりましたけども、ヒマを見てこちらにも旅行記を書きたいと思います。読んでくれる人がいるかは知りませんが。
・ドラえもんの映画
あんなに見て!見て!と騒いでおいてまだ見てないんですよねー。
ネタバレは踏まないように、慎重に生きる日々でございます。
公開前に書いた記事の外部アクセス数がいつもよりちょこっと多くて、ビビる私。
・若おかみアニメ化
とうとう青い鳥文庫にもそういう波が来たかッ!
そうなると待ち望み待ち焦がれるのは"はやみね作品"のアニメ化なわけです。
マチトムとか、コナンの前枠で見てみたい気もしております(怪盗クイーンはまじっく快斗とかぶっちまうしなあ)
ムリヤリ1話完結にしないで、キャラをじっくり掘り下げてゆっくりやってほしい‥‥完全な妄想。
あ、夢水シリーズはもう既にEテレで放送されている世界線に生きています。
・デレステ
はじめて4ヶ月、もうすっかり日課となりました。
先日PLv.100とランクSを同日達成し、今後の活躍が期待されるプロデューサーです。
しかし"プロデューサー"とはうまい呼び名を考えたものですね。
アイドルって考察すればするほど面白い研究対象だと思うので、いつかそんな記事も書いてみたいものです。
最近の悩みはファストナイスおじさんと化していること(自前のコンボカッターの切れ味バツグン)と、ハイファイとTake me☆take youのイントロのリズムにいつまでたっても慣れないことですね。
担当の話はまた今度にしますけど、基本的にクールPっぽいです。
凛ちゃん、楓さん、美波、アーニャ、奈緒ちゃんのクールユニット最高です。
アイドルつながりで。
2011~2013年くらいまではわりとしっかり追っかけてた者です。
その中で一番好きな曲を考えてみたんですが、やっぱり「チャンスの順番」な気がしてきました。
珍しく歌詞も"聞ける"し。音の王道感もいいし。
倉持明日香もいるし!
アイドルつながりで。
一番上の関西旅行のついでに劇場前を通りかかってみたんですが、貼ってあった最新曲のポスター見て判別できたのがさや姉しかいなくて時の流れを感じたというお話。
まあ、昔もメンバーはあんまり追ってなかったんですが。
オーマイガーのサビ、もう忘れちゃって踊れないんだろうな‥‥。
アイドルつながりで。
もう全然追っかけてないに等しいですね。ドラフト2期はともかく7期はすでに怪しく、8期はサッパリわからない。そもそも研究生が誰だかもわからない。もともと激しい血の入れ替えに、ついについていけなくなっちゃったのかもしれません。
1期生き残りはやっぱり珠理奈なんだなあとか、5期あと2人かあとか、ゆななガンバレとか、徒然に考えています。
アイドルの話、おしまい。
・京アニさま
中二病かメイドラゴンかユーフォの続編をお願いします
・ヤクルト
青木が戻ってきてスタメン見るとスゲーってなるけど、春の風物詩みたいなものなので、桜の散るころ何人が戸田にいるのか、そんなクイズ正解は3ヶ月後的な悲しい想像。
名鑑今年も買った(7年連続同じ出版社の買って見栄えが良い)けど全然読めてない。ヤクルトのページが探しやすくていいよね、絶対一番後ろだもの。
・そういえば
某会で司会を担当することになっております。名前、噛まないようにしないとなあ。
・お仕事
公私ともにたまりまくってます。ピンチです。
誰か私のケツを叩きに来てください。
・ホワイトデー
(予定の欄が)ホワイトデー
・花見
誰か行きましょう
・後輩
元気ですかー?
もう3週間後?え?早くね?
またいろいろお話聞きたいです。
あとソフテニの後輩とご飯行きたいよねって思う。
・大学
twitterやめて気分が晴れ晴れしています。
着実にフェードアウトしているのでこの勢いですね(なにがだ)
・将来
ずっと文章書いて生きていたいよねえ
・書きたいこと
創作展ザ・ドキュメンタリー(セキラ・ラ・ランドに)
影キラメクノベライズ化(需要が見えない)
珍しくラフに書いてみました。またちっこい出来事がたまったらこんな感じで。