前書き ~ひとり旅行記にそえて
突然だけど、ポンとまとまった時間が与えられたとき、きみならそれをなにに使うだろう。
勉強する? リッパな心がけだ。
ダラダラする? それもいいだろう。
バイトを入れる? "友人と遊びに行くための先行投資"‥‥いや、慣れないことばでヘンに利口ぶるのはよそう。
遊びに行く? ずっとあたためていたプランを、引き出しから取り出すチャンスかもね。
ぼくなら――しがない学生ふぜいのぼく、なら――
旅行をする。あるいはしないとしても、まずいちばんに旅行の可能性をさぐる。
なぜなら、チャンスだから。
"旅行ができるチャンス"というのは、はじめでぼくが言うところの”まとまった時間が与えられたとき”のことだ。お金がなくても、時間さえあれば工夫しだいで旅行はできる。逆に、時間がなければお金があっても旅行はできない。
最近はインターネットが発達して、遠く離れた場所の景色もすぐ見られるようになった。情報も充実していて、調べるだけで旅行をしているような気分にすらなれる。
でもそれは、あくまで紙面上とか画面上のはなし。実感というものが、そこにはない。
旅をするなら、自分の心と体を持っていかなくちゃ。
そのほうが、ワクワクすると思わないかい?
断っておくけど、ぼくは別に「ヒマがあったら旅行に行け!」と押しつけがましく主張したいわけじゃない。想像するよりも旅行をする機会はないからこそ、選択肢のひとつにしても良いんじゃないかな、と思うだけ。
それに、旅行に限ったことじゃない。自分の大好きなアーティストのライブとか、大好きなアニメのイベントとかだって同じことだ。ちょっと冷たい言い方になるけど、そのアーティストがいつ活動をやめてしまうかはわからないし、そのコンテンツがいつ終了するかはわからない。
チャンスがあるときにつかまなくちゃ。お金なんか、大した問題ではない。
将来、お金持ちになってからいくらお金を積んだところで、できないものはできないだろうから。
木曜日から中間試験だけど、科目の関係でテストはひとつもない。
つまり、木曜日から日曜日まで4連休!
旅行だ!
連休にサンキュウ!
‥‥というわけで。
京都で過ごした数日間のもようを、今からお届けしようと思う。
いろいろな意味で、今までの旅行の中でも忘れられないものになったことはたしかだ。
ぼくのしたあれこれを、モルモットを見つめる科学者のような目で見つめていてほしい。
それでは‥‥
Are you ready?
‥‥‥‥なんだ、これは。
明らかにはやみねかおるを意識した、もっといえば一人称のプロローグ。
どうせヒトの文体をまねるなら、テッテイ的にやるべきだろう。この続きを書かされる未来の自分の気持ちにもなってみたまえ。
これだからきみというやつは、中途ハンパと言われてしまうのだよ。
いちから出直すことだね。
‥‥‥‥と、なんか創也っぽい(?)口調で怒られてしまったので、本編はいつも通りの文体で書くことにする。
まあ実際のところ、書き始めたはいいもののはやみね調で4日分もつづるのはムリとさじを投げただけである。
当ブログ、一本あたりの分量があまりにも長いことにようやく気がついたので、今回は全文を載せず前文でとどめる好手を打った、つもりだ。
かなり面白いことになった今回のひとり旅の様子、おつきあいしてもらえたら幸いだ。
次回へ続く。
関西周遊記 ~旅ゆくところ、変化アリ
旅行に旬はない。季節を選ぶのは、単なる好みの問題だ。
一方で、"行きたい"と"行く"を必ずしも近くに配置できないのが悩みのタネだ。
大勢が"行く"時節に合わせて、ガイドブックが作られる。そうして、旅行の旬ができていく。
3月初旬の旅行は、旬か、好みか。
3泊4日(5日)で近畿2府2県をさまよう旅程は、今までの旅行の中でも長い部類に入る。近畿に足を踏み入れたことのない同行者のために、少しずついろいろな場所を見て回ろうという魂胆だ。
旅のお供はこのブログでもおなじみ、貧乏学生の味方こと青春18きっぷ。往復でも交通費5000円に収まるスグレモノだが、その分時間を移動に費やすことも避けられない。
あれこれ思案した結果、帰りはきっと疲労で寝るだけであろうことから深夜バスを選択。
現地での滞在時間を伸ばし、交通費も抑える。
こういうときだけ研ぎ澄まされるバランス感覚を、ほかのところでも活かせないものかとつぶやいてみたりして。
3月2日(金)
青春18きっぷで西方へ出かけるときは、始発に乗るため朝3時過ぎに家を出る。非常識をもってして、非日常の扉を開ける。
夜の街は生きている、という感触を受けることがある。人の活動がなくなり、外とは思えない静寂の中に、強い"生"を感じる。
いつもと違う空の色、いつもより主張の激しい街灯の光。
やっぱり、非日常になにか心動くものが眠っているのかもしれない。
人間、どうしたって絶望的に飽きっぽい。
5時過ぎに同行者と東京駅で落ち合ったら、さっそく東海道線へ。
今回もまた、長い長い電車移動が始まる。
京都まで休憩なしなら8時間半あまりで着くが、今回はいつもと趣向を変えて途中下車に挑戦。
そもそも青春18きっぷの魅力は"乗り降り自由"な部分にある。こちらの方が、よりきっぷを活用できていると言えよう。
神奈川県に入ったあたりで、制服姿の学生の姿が目立つようになる。通勤・通学時間に割り込んでの旅行にも、かなり慣れた。
朝日に照らされ眩しく輝く海を擁する熱海の風景を眺めていたら、早くも乗り換えの時間だ。"早くも"といっても、1時間半は優に過ぎていたが。
乗り換え2本目にして早くも駅を出ることに違和感を覚えることに違和感を覚えつつ、清水駅で下車。清水エスパルスのお膝元ということで、朝から熱心に次節の宣伝が行われている。サッカーって、"観戦"はともかく"応援"が難しいスポーツだよなーなどと考えていると、バスがやってきた。
10分程度で目当てのバス停に到着。
その頃旅行者(たち)は、最後部の座席で眠りに落ちてしまっていた。
いわゆる寝過ごしというポカである。
終点がそこから2駅しか離れていなかったのが、幸いといえば幸いだった。
とぼとぼ、バスが来た道を歩く。眠い目をこすりながら。
日本新三景ならびに日本三大松原のひとつとして知られる、日本の名勝だ。
約500mにわたって続く松並木、通称「神の道」。
鼻腔をくすぐる松の香りの先に、行く者しか見ることのできない景色が待つ。
青々とした空と石に包まれた地の境に、たたずむ富士山の姿。
朝ゆえの閑散も手伝って、視界が広い。
しかし、未熟な腕ではどうしても、カメラを介してその雄大さを伝えることができない。
だから、体に付属のマナコをふたつ、精一杯澄ましてとらえておいた。
行ってわかる、来てのみ知る名勝たるゆえん、と仰々しく称えておくことにする。
神の道を戻るまえに、朝ごはん。
次はどんなおもちが食べられるかな?
静岡ぶらり旅を終えて清水駅に戻る。目的地はまだまだ遠く、はるか彼方の西方へ。
計画では島田駅でも途中下車して、蓬莱橋を渡ることになっていた。
ステキじゃないですか? 渡ってみたくないですか?
清水駅で乗車し、次に目を開けたときに見えたのは、通り過ぎるホーム。
駅標に「島田」の文字。
朝から活動していれば、こんなこともあるさと2回目のため息をつくやいなや、再び浅い眠りに落ちていった。
なんと今回は「昼食のための途中下車」が実現。
言い換えれば、今まではひもじいお腹を満たすことなく時間短縮のみを是として行動していたということだ。
あちらを立てればこちらが立たず。長期旅程の強みを活かし、人権を獲得した。
結果、今までただの乗り換え駅だった浜松駅が、この日初めて目的駅となった。
駅ビルのレストラン街はご老人とサラリーマンで賑わいを見せている。平日昼の光景。
うどんで腹を満たしたら、駅を出たときに見つけた施設へ向かう。
楽器博物館、というのが浜松駅から徒歩5分ほどの場所にしっぽり建っていた。
古今東西、あらゆる地域から集めてきた楽器たちが、一堂に会するさまは圧巻である。ビジュアル重視?のアジアン楽器、原始の香りにむせかえるアフリカン楽器、メジャーな楽器のプロトタイプ、戦火を生き抜いた大正生まれのアップライトピアノ、電子楽器黎明期の巨大シンセサイザー、環境音で舞台に生を宿す和楽器、実機で振り返るピアノ史、などなど。写真でもいくつか紹介してみよう。
まつり、である。祭か、祀か、どちらかの。
燭台が雄弁に時代を語る。
サソリを模しているようだ。反り返った曲線が美しい。
くねくね。
サックスバラバラ事件。キチンと撮影したら、パソコンの背景画像になりそうだ。
細部に命が宿ってこその音色だと思うと、奏者はさしずめリレーのアンカーか。
展示の一角には楽器体験コーナーも。ギターやピアノといった定番から、ハンドベル、コンガにアゴゴ、はては民族楽器まで。
弾いてみたけど、馬頭琴がすすり泣いただけだった。かわいそうなことをした。
とまあすっかり楽しく眺めていたら、いつのまにか昼下がりに。といっても活動開始が早すぎたせいで気分はもう夕方なのだが。ぼちぼち、宿のある京都へ向かう。
浜松から3本ほど乗り継いで、京都に着いたのは18時40分ごろ。ひとくせある駅構造にも慣れたもので、さくさく改札を出たら荷物を置きに宿へと歩く。
お世話になったホテルは6畳和室ワンルームで2泊4500円/人。破格、だと思う。
タオルを貸してくれたし、共用シャワーも清潔だった。
素泊まりゆえ、夕飯は京都の駅ビルで。
和食。同行者が頼んだホタルイカが滅法うまかった。
この日は移動のために旅行をしたような風情があったが、ここまではいわば下準備。
明日からいよいよ近畿を巡るべく、早起きを誓って眠りについた。
3月3日(土)
おはようございます。朝10時をお知らせします。
長時間移動のあした、誓いはどこかへ飛び去った。
ノロノロと支度をして、京都駅からバスに乗る。東大路通は混んでいて、同じ系統のバスが数珠つなぎの様相を呈していた。
二年坂、三年坂のあたりで見つけた飯屋で、朝飯と昼飯のコラボレーション。
湯葉丼やら麸丼を頼んだら、鍋が運ばれてきた。
ニガリを入れて自分で作る手作り豆腐。
オーソドックスに湯豆腐。
これで(四捨五入すれば)1000円。カジュアルの範囲内で良いモノにありつけた、とご満悦。
清水寺に向かう坂道には、土曜日ということもあって修学旅行生や観光客がそこかしこ。無料で刻印できるアクセサリーショップに群がる学生の背中に、ネギが見えたような気がした。修学旅行となるとわずかに小金持ちになる学生の習性をよく捉えた猟師であることだ。
でかいモノの前で、ヒトは無力になりがちだ。
続いて向かったのは金閣寺。洛東からはそこそこの時間を要するが、バス一日乗車券を手中に収めたから怖いものがない。
日本に住んでいたら、目をつぶっていても見える景色、といったら大げさか。
境内に入ったところで「左側で写真を撮ってからお進みください」と係の人。撮影が組み込まれた参拝のかたち、なかなか拝めないものだ。
そのまま歩いて龍安寺。名物にして名所であるところの石庭が「The Rock Garden」と訳されていたのが興味深かった。weblioいわく米国ではrockを小石の意味でも使うようだが、米国文化in Japanに毒された身ではロックの血が騒ぎ出し、石庭の静謐あふれた雰囲気とはミスマッチに思えた。
バスで一気に三条まで戻ってきた。洛東は観光地が歩いていける範囲内に点在しているので助かる、というわけで夕飯とのスキマ時間で平安神宮へ向かった。
到着したのが17時15分、閉門が17時30分だったので神宮内は閑散としていた。それゆえ、社殿の前の広大なスペースがより迫力をもって感じられた。
明治時代に再建され、幾度かの修復を経て目の前にそびえ立つ朱の社殿をどんなに見つめてみても、1000年以上前にここで先人が政治を行っていたという話に現実味は見いだせなかった。おとぎ話の上に今があるような気分。
京都に夜がやってきた頃、こちらは華やぐ四条通にやってきた。
ここだけは何度来ても左右の感覚を見失ってしまう。そのおかげで、毎度ジュンク堂京都店にたどり着けない。思ったより四条河原町交差点から離れたところにあるのも不安を増幅させてくれる。
本日は本ではなく食料を求めやってきたケモノたちは、寺町京極商店街に突入。賑やかなアーケードを進んだ先に、二度目の天丼が待つ。
あ、天丼といってもそういう意味ではない。ホンモノの、すべりうるほうではなく、食べられるほうの、天丼である。
無加工につき天丼が美味しそうにみえないのが残念だ。ギター侍でも呼んでこようか。
帰りがけに目に留まったベビーカステラをごっそり購入したら、暗くなった京の大通りを宿へと戻る。
京都一帯がイニシエに染まっているわけじゃないことは、少し歩けばすぐにわかることだ。それこそ四条通もそうだし、住宅街だってゴロゴロと。現代人が現代の生活を送る街だ、当たり前といえば当たり前なのだが。
古の都も、時代の経過の中でその時々の今を取り込んで、生き物のように変化している。
それが京都という街をより面白くしているような、そんな気がする。
見渡す限りの古風な景色、というのも一興だけど、町家のとなりにキレイな家が建っていたり、大きな寺院の横にでっかい学校がそびえていたり、なにより京の玄関口・京都駅のイマドキな世界から、バスに乗って地下鉄に乗って過去に飛び込んでいくあの感じ。
同じ街の中で今と昔をなんども行き来して、そのたびに変化を感じて。
昔だけでもない。今だけでもない。
そんな体験をわかりやすくできるのが、この街のいいところだと思う。
前田敦子も歌っていたではないか。
タイムマシンなんていらない、と。京都に来れば時間旅行ができるぞ、と。
‥‥違うか。
ケッキョク、変化、"今と違うこと"を求めるきらいがあるみたいだ。
人間、どうしたって絶望的に飽きっぽい。
‥‥なんて、天丼で締めてみたりして。
3月4日(日)
この日は早起きに成功。早めに寝てよかった。
旅行は、しばしば夜更かしと早起きを同時に求めてくる。
"ハリキリ"の魔法の副作用、時として体にクるよね。
朝食は毎度おなじみイノダコーヒ。
アラビアの真珠、本当に美味しい。いつかコーヒーメーカーを家においたら、発注してみよう。
食べたらすぐに関西本線に飛び乗って、在りし日の天下の台所へ。
日本全国フォトラリーがあったらまず入ってきそうな場所である。
橋の上で見ず知らずの人々がみなカメラを構えている光景、一体感を通り越してわりとマヌケだと思う。
通天閣にも足を運んでみる。フォトラリーその2。
日曜昼の通天閣は、思ったより牙を向いてはこなかった。
それでも感じる、空気感の違い。
人に圧をかけ合っているようなさま、東京とは違う気がする。
それがいいのか、悪いのか。断言することは難しそうだ。
空きはじめの腹を抱え、大阪城までたどり着く。
雲ひとつない青空の真ん中、無邪気な太陽が背中に刺さる。暑い。
上るのに疲れてしまって、博物館と化している城内には入ることもなく、脱出。
空きだらけの腹を抱え、大阪天満宮までたどり着く。限界が近い。
梅が満開に近い。いい塩梅です!
もはや抱えるほどの中身もない腹を抱えて、商店街をうろつく。
商店街のこぢんまりとした店、雰囲気がステキすぎて入りづらいこともままある。
旅行かばんを持っていると、なおさらだ。
15分ほどフラフラさまよって、見つけたのは生そばのお店。
そば自体が美味しい上に、すだちが入っているだけでグンとステキに。
家庭でもできる一工夫。お試しあれ!(ここでキューピー3分クッキングのテーマが流れる)
はてさて番組が終わっても旅行は続く。ひとまず大阪駅に戻って、ここから神戸へ向かう。
「せっかく関西に来たので」という理由で、JRではなく阪急に乗車。
宿はJR神戸駅周辺にとったので、散策も兼ねて神戸三宮駅から歩いていくことに。
foreignとdomesticがないまぜになったこの街も、京都とはまた違う変化の楽しみがある。
豚まんに飛びついたり、餃子のプロトタイプみたいなものを食べて首を傾げたり。
チャイナタウンを通り抜けて、夕闇迫る港へも顔を出す。
スケボーに乗って走り回るイケイケの若者がいる。
ベンチに座り、ひとり海岸線をみつめるうらさびしい男がいる。
正装した男性が、ウエディングドレスを着た女性に向けて箱を差しだしている。
‥‥‥‥。
あまりにも普通にコトが行われていて、驚きの波も遅れてやってきた。
あとで思えば、すぐ近くに結婚式場もあったし、写真撮影が主な目的だったのだろう。
第一、プロポーズの前にウエディングドレスを着せたらピークが行方不明になってしまう。
ここで「デートの待ち合わせ」という題で脳内コントが始まる。
「遅くなってごめんねー。お、今日はタキシードなんだね」
「そうそうー。この前は燕尾服だったから、気分を変えてみようと思って。そういう君は、ウエディングドレスときましたか」
「そうなの! これ着るの難しいね、家で身支度するのに1時間もかかっちゃったの」
「その分、キレイに見えるよ」
「ばか」
「トナリを歩くの、少し気後れしちゃうな」
「そんなこと言ってないで、ほらほら。今日はどこに行くの?」
「ボウリングかな」
「まあ、このドレスならボウリングシューズ借りなくてもバレなさそうね。見えないから、足元」
「だろ? もってこいだと思ってさ」
‥‥なにがもってこいなのだろうか。ボウリングシューズを持ってこいってことか。
夕景が美しい神戸の港で、そんなしょうもないことを考えていた。
この日の宿はなかなかに不思議な雰囲気だった。
東南アジアのどこかにありそうなボロい建物で、壁は水色。オンボロシャワーとカビが生えそうなカーテン。備え付け和式トイレ。鍵が閉まらないドア。
屋根と布団があってよかった!とポジティブに考える。
夜になれば、色んな意味で目もつぶる。寝られたらそれでいいよね。
この日の最後に気になった看板を。
その筋とは、いったい‥‥。命に傍点がふってあるのも意味深長。
3月5日(月)
この日の午前を簡単に説明すると、
起床→降雨→就寝
宿のチェックアウトを1時間過ぎて、12時過ぎに宿を出る。フロントはなぜか無人なので、なにも言われない。いいのかそれで。
適当な店で適当に昼飯を食べたら、県境をまたいでの大移動。
短い滞在となった神戸から、阪神電車で脱出。近鉄奈良まで、なんと乗換なしである。
ちなみに、これはあとで調べてわかったことなのだが、宿泊した宿の周りには日本でも有数のソープタウンが広がっていたらしい。
宿に向かう際感じた奇妙な感覚にも合点がいく。奇妙な感覚というのは、怪しげな兄ちゃんに「やってく?」と言われたことも含めて、だ。
13時を回ったころ、奈良に到着。ここが関西周遊、最後の地点となる。
時間の都合上、奈良駅から離れたエリアにある斑鳩・法隆寺を断念し、大仏と鹿(作・酒井格)の待つ東大寺へと足を進める。小雨が降っているが、朝に比べれば大したことはない。
同行者がほんの出来心で購入した鹿せんべいは、シカジカ連盟春日公園支部・屋台監視班の素早い通報も手伝って15秒ほどで胃へと発送されていった。むろん、鹿のである。
アクティブに人が持つ食べ物に猛烈アタックをかます鹿あれば、道端にのんびり座り込み人生もとい鹿生の思索に沈む鹿あり。
大仏はさすがにリッパというところ。旅立つ前に勉強して、時代背景なんかを頭に入れていったら、平常より興味が4割増しとなった。
作り方も作られたわけも知らないで呆然と眺めるより、なにかを知った上で見たほうがDANZEN印象に残る。だいたい寺院なんて、知らずに行ったら「ほへー」で終わる。
事前準備も、こういう部分ではしておきたい。
春日大社にも行った。本殿より、そこに至る道に心惹かれた。
どんよりした湿気の多い空と、神社の白砂に覆われた道は不思議に相性が良いような気がする。なぜだろう。
神秘といっては多少大げさだが、なにかが宿っているような"生"の息吹をここでも感じた。日本人の血、なのだろうか。
中心街に戻ってきた。雨はほとんど降っていない。そこらへんを散歩する。
和菓子屋にちょっと入っただけなのに、試食と黒豆茶がいそいそと運ばれてきて面食らう。気圧されたわけではないが買わないわけにもいかぬという思い強まり、三笠焼きを購入。
そのまま、近鉄奈良駅から10分ほど離れたJR奈良駅に向かっていたら、突如として豪雨。(凛として時雨と比べると風情もへったくれもない)
逃げるようにJR奈良駅に飛び込んだものの、こちらは交通の便は良くとも商業的には明らかに近鉄奈良周辺に劣る様子。帰りのバスは21時発。雨の中をもう一度、近鉄奈良まで戻る。
することもないので、早めに夕食。釜飯も美味しかったけど、揚げ出し豆腐が絶品だった。
今回食事に関しては、かなりの高水準だった、と思う。朝に餅とか、朝食べないとか、そういうのを除けば。
いよいよ手持ちぶさたになったので、マイクを握ることに。
終わってない旅の打ち上げとは、なかなかの前傾姿勢ぶりである。
サライで締めるのも、だいぶん自分の中で恒例行事化してきた。
とまあ、長かった旅行も振り返れば短く感じるわけで。
21時過ぎ、JR奈良駅をバスが"さよ奈良!!"とばかりに発車して、今回の旅行はおしまいだ。
お金を出してどこかに行く以上、なにか得るものがあると嬉しい。
それは本当になんでもよくて、例えば語らいの中の安心とか、美しい景色に囲まれての情動とか、食に舌鼓を打っての満足とか。
今回は、"変化"を受け止めることが楽しかった。
そもそも旅行は"ここではないどこか"への移動だ、根底に"変化"があるのである。
違いを見つけて、どう違うのかなぜ違うのか、意識的でも無意識的にでも考えているとき、旅行先の街を面白いと感じるし、それに追随していつもの街も面白いと思える。
畑を耕して土に空気をいれるように、日常を非日常で掘り起こして面白くできたら、とてもステキなことだろう。
次はどんな形で掘り起こされることになるのか、そんな期待感も胸に入れておいて変わらぬ日常を過ごすのも、悪くないかもしれないね。
それではまた、次なる掘り起こし現場のレポートにご期待ください。
台風との待ち合わせ・名古屋編
10月第3週の土日を使って京都に行ったら台風が来ちゃった、という笑い話から1週間。
懲りない男は再び京都に向かった。そして再び、台風が来ちゃったのである。
旅の前に、そもそもなぜ2週連続で京都に行かなければならないのか?という至極まっとうな問いへの答えを出しておかなければならない。といってもそれはシンプルなもので、上の記事で紹介した京都アニメーションのファン感謝イベントが2週に分けて行われたからである。なんと単純か。熱狂的ファン、という肩書きを与えられても拒否ができなくなってきた。
1週目は先述の通りステージイベントが主で、新作の先行上映会などが行われた。吹奏楽の演奏会もこの一環である。
そして2週目は、関東でいえば幕張メッセや東京ビッグサイトのようなマルチイベント会場である"みやこめっせ"を使った大規模な展示企画が催された。原画や背景、絵コンテに人物設定など膨大な制作資料が一挙に公開される貴重な機会だ。
ここでこのイベントに参加する理由を述べていたら、あまりにも長くなりすぎたので、イベントの様子と合わせて別記事にまとめた。⇒
上の記事は随分とマニアックになってしまったので分かる人がわかればいいが、要の理由だけでも、ということで以下記事から引用。
アニメーションは総合芸術だ。そもそも私は絵を描くことが不得手なので、静止画一枚、原画一枚でも感服のひとことであるところを、それが動き、感情を持ち、生き生きと世界に存在している様子を見ると、並大抵の感想で片付けられる感動ではない。背景や音楽、吹き込まれる命とも形容される声と一体化して雄弁に物語られるストーリーは、よく考えなくてもおびただしい積み重ねの成果であることを認識させられる。
よく言われることだが、"撮れてしまう"実写映画やドラマに対してアニメーションは"撮らなくてはいけない"。実写では、ロケに行けばその場所の風景や音や光の差し込みなどがあらかじめ"有"り、その上に俳優の演技、時にはアドリブなどあらゆる要素が偶発的なものも合わせてカメラの中に収まるが、アニメーションにおいて始まりは"無"である。音もなければ光もない。そしてなにより、偶然がない。無の上に世界を細部に至るまで構築し、キャラクターを動かすという点では実写よりも難しいと思う。ここにおいて、細部へのさまざまなこだわりを持って作られ、実写とひけをとらない密度の濃い世界を画面の中に構築できる京都アニメーションが制作する作品を、私は好きになったのである。
さて、またも前置きが長くなってしまったが、そろそろ出かけるとしよう。
そして、またあのやらかしを思い出して頭を痛めることにしよう‥‥。
(追記:12月にここまで書いたのち、倉庫でホコリをかぶせていたようだ。
今は4月。年も年度もかわってしまったが、覚えている範囲で記録を残すことにする)
10月26日(金)
午後10時 バスタ新宿
↑水曜どうでしょうのテロップみたい。‥‥どう(でもいい)でしょう。
バスタ新宿にやってくるのは7月以来、3ヶ月ぶりだ。それぞれの目的地を胸に、おもいおもいのバスを待っている人たちの中に混じって、私もひとりバスを待つ。
大衆という言葉は、あらゆる色や向きの矢印を包み込んで単色のカタマリにしてしまうけれど、一つ一つの矢印の向きに目線を合わせてみるのも一興だな、などとそんなことを考えているはずもなく、ただただ旅行を楽しみに楽しみに、心の中で大はしゃぎしていた。
新宿には少し早く到着したので、時間つぶしのためにカフェに入り、ペンシルパズルを解くというオトナな時間(自称)を過ごしていた。
(このあとむちゃくちゃハタン*1した)
この高揚があの消失点につながるとは、思いもしなかったな‥‥。
午後10時15分
夜行バスが、京都を目指して静かに夜の新宿を後にした。
座席毎にコンセントがついており、身体は休めずともスマートフォンに休息を与えられる。格安旅行に多少ノ犠牲ハツキモノデース‥‥が、本当にダイジョーブじゃない事態に陥ったのである。
まだ太陽も姿を見せず、闇に支配された京都駅八条口午前5時。
いつも通り、あまり眠れないままバスを降りた。
ロータリーから少し歩くと、白い光に包まれた京都駅の新幹線ホームが見える。光に照らされたとき、そこは朝となる。新幹線の朝は早い。
どれ、到着記念に一枚写真でもとカバンをあさる。その表情が怪訝になる。
スマホ、どこだ?
上着のポケット。ジーンズのシリポケット。カバンのポケット。
どこにも、多機能携帯電話の影はない。
夜明け前最後の仕事とばかりに、街灯がアセる男の影を地面に落とす。
ふいにフラッシュバックする、バスの記憶。
コンセントでありがたく充電していたスマホのケーブルを抜き‥‥
ケーブルをカバンにしまい‥‥
スマホで現在位置なんかを調べていたら、もう到着と知って慌てて立ち上がり‥‥
足元のカバンを取り出すべく、左手に持っていたスマホを‥‥
座席に置いた‥‥
そこで、意識が戻った。
夜明け前の闇がいちばん深いという。
まだ朝の5時だぞ。
始発電車がすべりこもうかという新幹線ホームのまばゆい光に照らされて、男はひとり立ち尽くした。
長い一日、1幕休憩なし。インパクトのあるツカミとともに、オープニングを迎えた。
ロータリーを振り返っても、終着地大阪へと向かったバスのテールランプひとつ残っていない。
バス会社に電話しようにも、連絡先がわからない。バスの乗車票はスマホの中。
インターネットカフェを探すにも、街中の地図に場所が書いてあるはずもない。
夜明け前の八条口にはなにもないので、とりあえず移動だ。
人気の少ない南北自由通路を通りながら、しかし案外と冷静だったことをよく覚えている。
人間、取り返しのつかないやらかしをすると心に血が通わなくなるのか。
中央口に来たころには、だんだんと外も白ずみはじめた。
そして小雨。雨の神と、一週間ぶりの待ちあわせ。
まずやるべきはバス会社の連絡先を調べること。
とても幸運なことに、カバンの中には役目を終えただの音楽プレイヤーと化していた先代のスマホが眠っていた。電波を拾うことに関しては悪評高いポンコツであるが、いるといないとでは大違い。
さっそくフリーwifiを求め、ダウジングをするかのように京都駅前をうろついた。
途中構内図の横にちょこんと載せられた宝の地図を発見し激写したが、心の余裕のなさが写真のブレに現れる結果となった。
とにかくも電話番号をゲット(もちろんスクリーンショットは忘れない)。オンボロスマホで通話はできないので、今度は公衆電話を探す。
中央改札口出てスグのところに発見、駆け込む。あの妙に押しごたえのない番号ボタンを押したのは、いつぶりだったろう。
しばらく続いた発信音のあと、聞こえたのは念のためにと投入した100円玉が落ちる音。
まあ、たしかにな。狭い返却口に指を入れながら思う。
まだ朝6時だもんな。
その後少し間を置いて4回ほどかけたが、どんなに間を空けたところで"早朝"の枠から時間ははみだしてくれない。ひとまず連絡を諦め、かといって手持ちぶさたなことには変わりなく、地下鉄に乗る。
ここで駅のwi-fiを使い、大阪に迷い込んだとおぼしきスマホの位置検索。
しかしあまり要領を得た解答をポンコツは返さず。
万が一のことを考えて、携帯の通信機能を一時的に停止した。別の端末からでもログインさえできれば、ロックをかけられるのである。
不安は消えないが、いくばくかマシになった。
その足で向かうは6月以来のご来店、イノダコーヒ本店。
レトロな新館の、上質なつくりの椅子に腰を下ろせば、高級感とムカシのカオリに軽くやられる。やられてこそ、ここに来る意味がある。
6月とは気分を変えて、シュガートーストを注文。
京都で、初雪を観測した。
しかしどんなに洒落た雰囲気に包まれようと、イモ大学生は馬車になったりしない。
リュックサックを駅に預けイヤに身軽になったカラダで、テクテクと時間を潰す。
三条通を進んで、東大路通との交差点を右折。かなり歩いたところで、八坂神社に到着。午前8時を回ったところ。目の前の交差点に並ぶ電話ボックスに折り畳み傘を挟みつつ飛び込んでみたけど、100円硬貨のリリース&キャッチに終わった。
境内をさらに奥に進むと、円山公園。日本史に明るくないので歴史的感動に浸れないのが残念。池を打つ雨が描く波紋にしばし見とれた。
適当なところで右に曲がり、ねねの道をぐんぐん進むと清水寺に到着。
工事中の舞台から、秋に撫でられ朝が湿らせた京都の山を眺める。
寺院では"静"を味わいたいから、こうして人の比較的少ない朝に訪れるのが良いのかもしれないな。
余談だが、二年坂だか三年坂のあたりに"漬物食べ放題ランチ"の店を見つけた。開店時間や混雑状況と噛み合わず未だ訪れることができていないが、いつか行ってみたい。
元来のクセで、バスを待つ時間を惜しんで歩き出す。
知恩院古門が見えたら、そこから白川に沿った細い道を歩く。
柳の下を流れるなんのヘンテツもない川だが、京都の中でも指折りの好きな場所だったりする。
しばらく歩くと仁王門通にぶつかる。京都国立近代美術館が目の前だ。
平安神宮の大鳥居をくぐる。いったいどうやって建てたのか、何回見てもわからない。
時計を見ると10時過ぎ。そろそろ早朝は脱したか。
二条通との交差点の一角、京都府立図書館を過ぎたあたりにもしもしボックス。
流れてくる人波に見守られながら発信すると、眠そうなおじさんが電話口に出た。
おはようございます。
乗ったバスとスマホの特徴を話すと、届いているとの返事。
バスが京都に戻ったときに渡そうかと言われたが、あいにくそのときには京都にいない。
住所を伝え、自宅に送ってもらうことにした。
財布の中に1円玉だけを残して、失せ物には一応の決着がついた。
住所を伝えているときに液晶画面が点滅しはじめたときは大いに焦ったものだ。
場所さえ選べば、ポンコツのほうも最低限の調べ物はできる。
今夜までに必要な分をやり終えて、もう恐れるものはない。
意気揚々と、みやこめっせへと乗り込んだ。
上にも貼ったけど、時系列としてはここに入る。
イベントを終えると、宿のチェックイン時刻が急かしてくる。
会場を出たのが17時前。名古屋の宿のチェックインは20時。
結局、N700系にたった30分だけ乗車。すこぶる快適だった。
名古屋市営地下鉄を乗り継ぎ、上前津駅で降りたときには本降り。
ひとまずチェックインを済ませ、二段ベッドの上で汗やら雨で濡れた衣服を片付ける。
カバンを覗くと、思ったより少ない着替え。
物販で買ったTシャツに手を伸ばした。
名古屋駅に戻って夕食。
名古屋に来たらエスカからの矢場とん、と相場が決まってしまっている。
小畑優奈さんのポスターが貼られている限り、今後もきっとそうなるだろう。
名古屋の夜が更けていく。寝ているあいだにも、台風がじりじりと迫っていた。
10月29日
早朝。旅行先だと3分の2位の割合で早起きに成功する。自宅だと5分の1くらい。
名古屋の喫茶店はモーニングサービスに力が入っていると世間の評、コメダももちろん例に漏れず。ゆで卵に塩をふり、コーヒーをすすりながら目を閉じたら寝てしまいそうだった。
朝の名古屋は小雨。しかし小雨でも軽く喜べる程度には感覚が麻痺している。
なにせ台風は必ずやって来る。大粒の涙が流れる前に、めいいっぱい遊ばねば。
本日のメインディッシュはこちら。
明治村のホームページより画像を拝借。
逆転裁判シリーズの新プロジェクト「大逆転裁判」と明治の文化を今に再現したテーマパーク「明治村」とがコラボした謎解きラリー形式のリアル脱出ゲームの第2弾である。「大逆転裁判」の舞台が19世紀末であることから実現した当イベントは、ゲームのディレクターもテキスト監修として参加しており、かなり力の入ったものとなっている。
現在は終了してしまったが、続編が発売されたことで開催された第2回であるだけに、「大逆転裁判3」の発売があれば第3回の開催の可能性も少なくないだろう。
もっとも、イベントの開催とは関係なく続編を望んでいるわけなのだが。
近鉄名古屋駅の改札にフリーきっぷを差しこんで、犬山駅に向かう。
イベントの開催にあわせて発売された"大逆転裁判2きっぷ"は、明治村までの往復交通費と明治村入村料がついてそこそこオトク。
窓口に買いに行ったら、駅員のおじさんに「雨の場合は内容物を全てお持ちの上で払い戻しにお越しくださいね‥‥」となんども念押しされた。そりゃそうだデッカイ台風くるんだもん。
それでも、いやそれだからこそ行かねばならぬ。雨男の宿命である。
犬山駅からはバス。1時間2本のバスをのんびり待つ。
曇天選手権で上位に入りそうなグレーの空からは、しかしなにも降ってはこない。
明治村は屋外施設。謎解きラリーは当然、外を歩き回る。
いつまで持つかな‥‥。
15分待った。その間、バス停にはバスも人も来なかった。
20分ほどで明治村に到着。
明治150年!
なんと日本3位の広さを誇るテーマパークである(ディズニーランドより広い)明治村、本来であれば建物ひとつひとつをじっくり眺めたかったところだが、謎解きと台風が待っている手前そういうわけにもいかない。
急いでキットを購入して、やっていくうちに気がついた。
これ、建物ひとつひとつをじっくり眺めないと解けないやつだ。
今回のイベントは2つのコースがあり、難易度は異なるがやることは同じ。テキストを読みつつ、指示された場所に行って手がかりを集める。それをもとに、ムジュンを見つけ犯人を捕まえろ!というもの。広い村内を端から端まで歩かされることで数々の建造物に触れることができたし、部屋ひとつをまるまる使った"殺害現場"で"現場検証"を行い、証人とのムジュンを見つけるなんていう場面も。楽しく散歩と推理を楽しんだ。
心配されていた空模様であるが、たまに小雨がぱらつくことはあれど本降りにはほど遠く、締まりきらない蛇口のような中途半端さ。いっそ不気味ですらある。
今思えば、"ひょっとして降らずに帰れるかも‥‥?"などと思ってしまったのが運のつきだったんだろう。油断大敵、である。
2つ目のコースが終盤に差しかかるころ。建物の中で最後の謎解き、この答えを受付に持っていけば終わり!というタイミングでついにお天道さまのしびれが切れた。それは同時に台風のラブコールであり、「知ってた」以外で片付けることのできない感情を抱かせるには十分の、
特大の、
嵐であった。
なんとか受付にたどりつきクリアに胸をなでおろすヒマもなく、というのもこの受付と出口は村の両端に位置していた。園内バスに乗ることも考えたが、あいかわらずの財政難を抱えるフトコロから予算執行の許可は下りない。
滝と化した階段を遡上し、川と化した坂道を泳ぐ。傘などもはや役に立たぬ。
いつのまにか落として行方不明になっていた上着の不在が、ここにきて痛い。いや、雨でなくとも十分痛手ではある。夕方に差しかかった名古屋は、少しどころではなく寒い。
バケツをひっくり返すのに忙しそうなお天道さまをにらみつつ、最寄り駅行きのバスに飛び乗った。おかげさまで、土産もなにもあったものではない。
振り返ってみると、腰を落ち着けて読んだら面白そうな建物の記述をすべてすっ飛ばし、写真も先のスマホ紛失によりまったく撮れなかったので、明治村にはまた行く必要がありそうだ。
名古屋駅に戻ってくるやいなや、冷え切った体を温めるべくみそ煮込みうどんの店へ。
温度という意味でも、激しくエネルギーを補給した。
そして本日2度目のコメダ珈琲で時間をつぶしているころには、なんと台風は過ぎ去っていた。
嵐の後の静けさが、日曜を凌駕していた。
夜行バスも定刻通りに発車。かくして、台風との再びの密会はお開きとなった。
2度の旅行で2度台風と遭遇するなんてめったにないことだし、これからもなくていい。
雨男の名をさらにほしいままにしていることは、なんの名誉にもならない。
こりずに旅行の予定を立てて、天気予報に震える日々が、続く、続く。
*1:解き終わる前にムジュンが見つかり、正解にたどり着けないこと
7月8日午前0時、ラデツキーの夢を見た
だれも知らないことは、たくさんある。
例えば司会者の2つあるはずのスーツのボタンが着替えたときにはすでにひとつとれてなくなっていて、そのまま舞台に出たこと、とか。
例えば着替えがあるといわれて下手袖を追い出された司会者が、ならばと上手袖でひとりアフリカを感じていたら上手袖でも着替えがあることを失念していて迷惑をかけたこと、とか(副部長本当にごめん)。
例えば司会者が、9人ともうひとりの"引退"をとてもとても寂しく思っていること、とか。
知らないところでなにかが動き、次に会うときにはなにもなかったような顔をしている。
きみにとって、わたしは"なにもなかった"時間を過ごしたようにしか思えないから、そう見える。悪いことではない。当然のことだ。
空白の時間は、存外空白でないものだけれど。
きみは、それを知る術を持たない。あるいは、持ってはいけない。
わたしのことばかり考えていたら、きみ自身の時間が空白になってしまうよ。
源が違えど、通った道が違えど、各々の時間は流れていく。
きみが川の流れにさした特大の棹は、なにも変えちゃくれない。
ただひたすらに、流れ落ちるのみ。
それを誰が責めることができようか。
演奏者の集団。
そこには過去も未来もなく、ただ現在があるだけ。
過去や未来があるとすれば、実線でなく点線だ。
その点をまっすぐ結ぶだけで人間の過去が完成するなら、どんなに単純で楽なことだろう。
川は、まっすぐ流れない。
演奏の話は、正直言ってちゃんとはできない。
なぜかって?そりゃあ、緊張してたから。
演奏の間、ずっと下手袖で指揮のマネごとをして飛んだり跳ねたりして緊張をまぎらわせていたので、ちゃんと聞くことができなかった。言い訳としてはびっくりするほど幼い行為をもってきたものだが、どうか許してほしい。
司会は、添え物だから。バランが弁当の味を変えることはないから。
だから添え物なのに弁当の味を知っているのが、問題といえば問題で。
ひとつ噛んだら、ひとつコケたら、演奏会は少しでも確実に変質してしまう。
終演後、いろんな人に「つまらなかった!!」「出てきたときが一番面白かった!!」と大いなる褒め言葉をいただけたので、肩の荷が下りた気がした。
ひたすら徹するのにも、エネルギーがいるのだ。
良い演奏だったと思う。
1部。マーチは華々しく。センチュリアは聞き心地がよく。ゲールフォースは仕上がりに感心し。
2部。アフリカンシンフォニーは迫力で開幕を飾り。故郷の空、故郷の空がまとまりとしては一番良かったかもしれないとさえ思った。ディズニー50thはフルートオーボエが立つところが好きなんじゃ。リトルマーメイドのソロ、3年前の彼女の姿が重なりちょっと泣きそうになった。
3部。天空への挑戦。5/4拍子の低音がとっても好きだった。さくらのうた。行き道に見た桜の木を思い出す。ステージの上で、それぞれどんな桜を思い浮かべていたのだろう。
2部の司会も衣装も、とてもステキだった。
こう後ろに書くと付け足してついでという感が尋常ではないが、実際ステキだったのだからどうしようもない。
塩MC、ザンシンだった。
そして、たなばた。
ハッキリ言おう。
演奏に関して、この曲を評価するすべは持ち合わせていない。
少なくともこの曲に関しては、添え物でいられなかったから。
曲が始まったとき、「演奏者は、ここで死ぬんだな」と思った。
どれだけ泣いても嘆いても、五線の上に踊る音符は無情に次への橋渡しを繰り返す。
流れを止めることは、放たれたら最後不可能。
そして演奏が終わるとき、演奏者は死ぬ。吹奏楽部と名付けた人生が、否応なしに途切れる。
だからこの曲は、レクイエムのように聞こえた。
命を終えて、空へ還っていく星たち。再会を喜ぶ彦星と織姫が、そのうちひとつ、名も知らぬひとつを指さして、星がきれいだねとほほえみあう。
吹いた瞬間に恐ろしい速さで過去へと駆け抜ける音の軌道が、流れ星の尾のようだった。
終わらないでほしかった。
ずっと、7月7日であってほしかった。
叶わぬ思いを、流れ星に託した。
中間部からティンパニとスネアが引き戻す華やかな景色。
不可逆な追い風が背中に吹いて、前へ前へと進ませていく。
ピッコロの方に目をやった。速いフレーズを待つ表情は、なにを思っていただろう。
トロンボーンの軽快なフレーズは、燃え尽きるロウソクの最後に見せる明るい灯火のようだった。
なにか、すべてがとても、美しかった。
終わるから、美しい。
美しいって、残酷だ。
全てを過去にして、演奏は終わった。
7月7日は過ぎ去った。
1年後の出会いを期して、織姫と彦星は再び背を向けた。
ステージと客席の間に流れる天の川。
9人とひとりが、渡っていった。
家に帰った織姫と彦星は夢を見たのかもしれない。
つらく苦しく面倒で長かった時間が、とても明るく、そして短く感じられるという夢を。
3分程度の、手拍子に包まれた夢を。
ひとりひとりがどんな天の川に揺られてここに来たかなんて、分かるはずがない。
それでも、いっとき同じ場所に流れつき、同じ時間を過ごしたのは事実。
少なくとも集まった天の川は、キレイだった。
だれも知らないことは、たくさんある。
例えばいつまで業者は業者としてトラックの上に乗り続けるのか、とか。
例えば後輩が何人増えて、パートがどう変わっていくのか、とか。
例えば来年の天の川の景色、とか。
おつかれさまでした。
また来年、会いましょう。
「映画ドラえもん のび太の宝島」感想【ネタバレあり】
そんなわけで。いや、どんなわけかは知らないが、とにかく見に行ったのである。
こんな感じで記事を何本か書いて、「見て!見て!」と催促したわりに、自分の尻を叩くのをすっかり忘れていた。
ようやく3月9日、瞳を閉じれば"ここにいないあなた"がまぶたの裏にいるこの時節、ひとり勇んで映画館入口のドアを開けた。
この映画館で「ドラえもん」を見るのも、リニューアル後第一作「のび太の恐竜2006」以来12回目のことになる。(「宇宙英雄記」だけ別のところで鑑賞したのだが、ソレはどうでもいい話)
幼少時から今に至るまで映画ドラえもんは毎年の楽しみ。自分自身が"幅広い世代"の一角を、時を越えて担っているんだなあと、なんだか壮大なことを考えた。
さて自分語りはこれくらいにして、今年の映画の話に移ろう。
「映画ドラえもん のび太の宝島」(以下「宝島」)は、わさドラ13作目にして7作目のオリジナル作品。
ロバート・ルイス・スティーヴンソンの児童文学『宝島』をモチーフとし、のび太たちは宝島を求めて大冒険!‥‥というお話である。
スタッフについては特に新たに付け加える知識もない(前の記事で紹介はした)が、「脚本・川村元気」がこの映画のすべて、なのかもしれない。この方の作品をよく知っているわけではないが、"ドラえもん"をこの人のパレットで塗ったらこんな色彩になるのかと、ただひたすらそう思わされた。
どこぞの記事によると、今作の主題歌・星野源を発案したのもこの川村氏ということらしい。これまでの参加作品からしても、脚本にとどまらずプロデュースの一角も担っていたことがうかがえるというものだ。
さて、御託を並べるのはこのへんにして、映画の感想へとなだれ込みたい。
感想を一言で述べるなら、
「盛ったなあ」
というところか。盛ったといっても"誇張"ではなく"大盛"のほうである。
こってりラーメンもろもろマシマシを飲み干したような、そんな気分となった。
エンターテイメント性でいえばオリジナルの中でも上位に来る出来だし、悪い映画でないことは保証する。誤解を招きそうな言い方だが、"映画然とした映画"とでもいおうか。とにかく、娯楽という点では及第点以上の良い作品であったことは疑いようがない。
‥‥とまあネタバレ無しでの感想には限界があるので、これより映画のはらわたを引っ張り出してあれやこれやと言うゾーンに突入する。
"初見"というのは誰にも等しく与えられた貴い権利でありますからして、その権利をこんな場末の過疎ブログの前に捨てるような必要は万にひとつもない。映画未見の方は、タブを閉じてお近くの映画館への経路案内でも検索していただきたい。
では、続きを読む以降でお会いしよう。
※否定的な意見も含まれますので、あくまで自己責任で。
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