京都3泊6日3万円チャレンジ - 中盤戦(表)
↑概要と2日目まではこちらへ。
引き続き6月はじめに行った旅の模様をお届けしよう。
なお、中盤戦と題しておきながら今回で旅は終わる。
3日目
三条の進々堂で朝食をとろうとしたが、既に齢人と異邦人で店は大繁盛。イートインはあきらめ、いくつかパンをテイクアウト。三条通を西へ進みつつ、食す。
烏丸通にさしかかろうかという頃、自転車に乗る学生の姿が増える。
中にはよそ見しながら運転している輩も。転倒事故が起こらないか心配になる。
大学でも近くにあるのかしらと思いつつ歩いてすぐ、右手に河合塾京都校が見えてきた。
時刻にして朝の9時すぎ。横を通り過ぎる直前、入口に立つ警備員に睨まれた気がした。サボってるわけではない。私もまた、異邦人なのだから。
地下鉄で北上し、鞍馬口駅で下車。寄り道を済ませ、出町柳まで歩く。
住宅が立ち並ぶ中、寺院もまた自然にそこに在る。
門に外部立ち入りを禁ずる柵が置いてあるのを見て、なぜか心が落ち着くこともある。
すべてがすべてに開かれていたら、逆に不安になるような気がする。
全知全能というのも、ひょっとしたらつまらない。
再びの鴨川、鴨川デルタ。平日の午前中、幼稚園らしきご一行が水遊びを楽しんでいる。水遊びしたいところだったが、濡れては少々困ることもある。
先日の西日本豪雨では洪水寸前だったという鴨川。この景色も、二度はない自然の営み。
出町柳駅から京阪本線に乗り、中書島駅へ。せっかくならばとプレミアムカーの2階に腰を下ろし、後ろに飛んでいく家々を眺める。
吹奏楽を題材としたアニメーション作品とのコラボレーションが開催されているという理由で訪れた中書島駅だったが、宇治・伏見エリアのフリーパスを購入したので下車してみることに。
降りて気づく。酒蔵の町、伏見が近い。
利き酒なるものを試してみる。
実は初めて飲んだ日本酒。年をぼちぼち重ねても、口はまだまだ青二才ということか、旨みを味わい尽くすことはできず。
生きていれば避けて通れぬ酒の道。またいつか、あいまみえることもあろう。
多少ふらつく足にまかせて宇治川公園を目指していたら、大きく方角を間違えて近鉄京都線向島駅に行き当たってしまった。仕方なしに、京阪宇治線観月橋駅を目指し来た道を戻る。
雲の少ない青空のもと、田畑はまばゆい緑色。否応なしに夏を感じるのは、都会住みだからというわけではあるまい。
フリーパスを有効活用するべく、八幡市(やわたし)駅で降りたら男山ケーブルへ。
これも京阪電車なので、フリーパスで乗車できる。
最後尾から、登ってきた線路を眺めたら、トンネルが小さくなっていく。別世界に来たような気分になる。千と千尋の神隠しのような感じ。
男山の上にそびえ立つは岩清水天満宮。
山登りという苦難の先に、我らを救う神がいる。
神道を知らなくとも、"生"の息吹を感じた。
再び中書島駅に戻り、京阪宇治線で南下。ちょこちょこ途中下車をはさみつつ、夕方には宇治駅に到着。
宿はドミトリー。もうひとりの宿泊者が「響け!ユーフォニアム」の聖地巡礼に来たということで話をするうち、夜の山に登ろうということに。作中で出てきた大吉山という山である。
明かりのない真っ暗でうねった登山道を二人で歩く。Goose houseの工藤秀平氏に似ている彼は栄養士になるべく働いているそうで、夜道の恐怖をまぎらわすようにいろんな話をしてくれた。
そこそこ旅行をしてきたが、旅先で知り合った人と話す、歩くという経験はほとんど初めてに近い。見知らぬ人に声をかけるのは大の苦手だが、共通の趣味はひとつ武器になるようだ。
展望台から見える夜景。志を同じくする者が、展望台にかなりの数集まっていた。
さて、なぜ「ユーフォ」のファンが宇治に集まっていたかといえば、土日にイベントがあったからである。それも土曜に非公式の、日曜に公式のイベントが、なんと同じ会場で開かれるというから、ファンの鼻息が荒いわけである。
京都アニメーションのイベントに行ったときも思ったことだが、あるコンテンツを好み愛す者がこんなにもたくさんいるのかと知ったとき、同族意識からくる安心と畏れとが毎度入り交じる。
ファンコミュニティのようなネット上の世界が自分の目の前に顕現していること、ちょっと怖い気もしてくる。
4日目
非公式のイベントに顔を出すつもりだったが、開始時間がゆっくりということもあり、自転車で宇治市内を回ることに。昨日知り合った彼と連れ立って、宿で借りたママチャリでニシヘヒガシヘ。ハンドルを握る手が震える。
天ヶ瀬ダム。ハァハァいいながら自転車で走ったダムへの長い上り坂、先の西日本豪雨で土砂崩れを起こし通行不能と聞いた。
京都の水没を防いだこのダム、現在は琵琶湖の水位上昇に伴いかなりの水量で放流が行われているとか。受付の気さくなおじさんの「放流が見ものだけど、台風でも来ない限り放流は見られないんだよー」ということばを思い出す。
他は聖地巡礼色が強いので省略するが、昨日会った人と公園の草原でパンを食べながらしゃべることになるとは思いもしなかった。
ひととおり回ったところで、宇治市文化センターへ。ここに至る道も急勾配の上りが続く。ゼェゼェいいながら上りきる。
本日行われていたのは非公式のほう、ファン有志によるイベントである。内容はコスプレ、即売会、楽器試奏、痛車(車のボディにキャラクターを全面的にあしらったもの)展示、有志によるコンサート。
開催側もどれほどの来場が見込めるかわからず不安だったようだが、即売会は完売続出、楽器試奏にも長蛇の列ができていた。受付時間終了間際にすべりこみ、最後の1人としてトランペットを吹いてみた。チューニングベーってあんなに高いんですね‥‥”金管楽器を吹き続けると唇が死ぬ”理由を心得た‥‥いや、"体得"した。指を押さえるだけで音が変わるサックスって楽だなあと思ってしまったり。
コンサートでは宇治まで自前の楽器を持ち寄る愛と根性にあふれたみなさんによる演奏を聞かせてもらった。三日月の舞のトランペットソロが上手だった。
内輪ノリの温かい雰囲気に包まれたコンサートで、「ユーフォ」のコミュニティのバカでかさを改めて感じた。
吹奏楽を全く知らない(知らなかった)人から、コンクールに出るような人たちまで、まあなんと多様な人が集まったことか。
作中に出てくるオーボエ奏者が好きで自らオーボエを買い、教室に通っているファンの方の話を聞いたとき、「ほんとうにいるんだ‥‥」と心の中で都市伝説を聞いたような反応をしていたことがバレていないか気がかりである。
大多数の方は翌日の公式イベントにも参加するようだったが、チケットをとれなかった(とらなかった)ので、この日をもって宇治とはお別れ。自転車を乗り回す仲になった彼とも、握手をし再会を願った。また会えたら、とにかく”面白い”と思う。
さて、なぜか宿を銀閣寺近くにとったので、夕闇迫る宇治を背にまたしても出町柳へ。
またしても商店街で夕飯を買い、鴨川のほとりで即席弁当を広げる。
スーパーを横目に、商店街で惣菜屋、豆腐屋、肉屋と回って買い物。楽しい。
夜の鴨川(色合いをいじっています)。暗い視界の中、水の流れる音だけが聞こえてくる。
このまま寝てしまうのもつまらないと思い、商店街の中にある小さな映画館に足を運んだ。
「出町座」という映画館。カフェや書店と併設されており、カルチャーの香り(なんだそれは)が漂う。ラインナップもメジャーどころというよりは、海外のドキュメンタリーを扱うなど渋いチョイス。建てられてまだ日が浅いようだが、ステキな施設である。
学生1000円という値段に惹かれ、飛び込みで見たのは「シェイプ・オブ・ウォーター」。洋画にとことん疎い私でも聞いたことのある、数々の賞に輝いた作品である。旅先で、夜に、ひとりで、映画を見ているという状況に興奮しつつ、映画そのものも大いに楽しんだ。
‥‥が、いかんせん洋画の類をスクリーンないしテレビで見ないためか慣れておらず、主人公が虐げられるシーンをみるにつけ「早く終わってくれないかな‥‥」と震えていた。アンパンマンの顔が濡れるやいなや寝室に逃げ帰っていた幼少時代からなにも変わっておらんな、とため息もこぼれるというものだ。
いやに文化的な夜を過ごした1080円の宿は、映画を見終わり戻ってきたタイミングで入口のカギが壊れ、中に入れなくなった。その後来た中国人に「でぃすどあーめいびーろっくど!(This door may be locked.)ぜいとらいとぅーあんろっく、ばっときゃのっとおーぷん!!(They try to unlock, but cannot open.)」とたどたどしく説明。なんとか汲み取ってもらえたようだ。
5分後、横の非常口らしき扉が開きなんとか事なきを得た。
中はほんとうにオンボロで、ドミトリーなのに床が激しくきしむ、肝っ玉のちっちゃい人間としては激しく精神を摩耗する館であった。相変わらず、カラダを洗うのもたいへんと来ている。
でも、寝られたのでOKです。(親指をグッと突き出す)
5・6日目
朝ごはんは昨晩目をつけておいた出町座併設カフェの「きゅうり三種サンドウィッチ」。
ボリュームある具材を片手に、カウンターにおいてあった「シェイプ・オブ・ウォーター」のパンフレットをめくる。デル・トロという人物、かなり面白そうだ。
さて、6日目といえば深夜バスに心身を削り取られるだけのものに過ぎないから、5日目が実質的な最終日である。
「夏の関西1デイパス」を使い、最終日ばかりは京都を離れてみることにした。
近鉄京都線でひたすら南下。大和八木(奈良県)で乗り換え、大阪線で赤目口駅(三重県)まで1時間半ほど。バスが来るまで少し駅周辺を歩いてみるが、見事なまでになにもない。
橋から見える川の流れは今日も穏やかでー。
西日本豪雨で様変わりしていなければ良いのだが。
40分後やってきたバスに乗って到着したのは赤目四十八滝。
渓谷を歩けば、数々の滝に癒やしをもらう。
道はかなりアップダウンがある上に、石の階段が濡れていると滑るのが怖い。歩きに歩いて、足は相変わらずじんじん痛む。
それでも、潤いのある夏木立に活力を与えられ、不思議と前に進む進む。
透明感著しい水。映り込む新緑を揺らす、小魚の影。
時間の都合上、端まで行くことはできなかったが、また来たいと思わせる美しい場所だった。
水槽の中のサンショウウオに見送られ、赤目四十八滝を後にした。
とりあえず近鉄で大阪に出て、夕飯。実はこの時点で3万オーバーが確定していたため、開き直って少々リッチな駅ビル夜ご飯。
これで1000円超えるんだぜ‥‥お金ってのは上に際限がないものだ。
帰りのバスは京都から出るので、ひとまず京都に戻る。しかしヒマである。
少しでも現地にいたくて出発時間をつい遅らせてしまうが、酒も女も嗜まぬゆえ夜は案外とすることがない。
ここで、フリーパスの存在を思い出す。近鉄往復券とJR区間乗り放題券が入ったセットだが、後者はほとんど使えていなかった。
帰る前に、もうひと回り。琵琶湖線に乗り、大津駅で降りてみることに。
降りたのが22時くらいだから、もう夜が張り出して久しい。琵琶湖に続く広い道に、ヒトも車も影を落とさない。京阪京津線の踏切を渡ったら、静かに水の音が聞こえる。
夜を映す湖は黒く、空との境もわからない。夜の天球に迷い込んだようだ。
ぽつりぽつりと見える人影はみな釣り人。放浪の釣らぬ人は所在なく、湖近くのベンチに腰を下ろす。
自分より大きい存在に体を投げ出して、いろいろあった旅行を回顧する。
車に乗せてもらったこと。ひもじい昼ごはんで食いつないだこと。
出町柳にのべ3日訪れて、なにかあたたかい気持ちをもらったこと。
外国人に道を聞かれて、たどたどしく返す自分が情けなかったこと。
水を堰き止めるダム。山を祀る神社。
自然と人間のあいだの営み。
別のところから集まったヒトとの、たった1日の遠出。
知らぬヒトの数だけある、知らぬセカイ。
このまま一夜を過ごしてしまいたい気分になったが、バスが京都で待っている。そして羽虫が掃いて捨てるほど‥‥はたいて捨てるほど飛び回っている。いいかげん追っ払うのにも飽きてきたので、ぼちぼち京都に戻ることにする。
バスの待合室に入ったら、パイプ椅子を3席も使って太っちょな女性が爆睡していた。
乗っていない客を読み上げるバス乗務員の声が遠くの方からかすかにするが、いびきに遮られ彼女のもとへは届かない。
結末が気になりつつも、ヒトにはヒトの深夜バス。
幸運にも隣のいない4列シートで、東京に戻った。
結果
一応目標として掲げていた3万円チャレンジ、達成はならず。細かい地下鉄の運賃や駐輪場代金などを数え忘れている可能性はあるが、イレギュラーな出費を除き概ね3千円オーバーという結果に終わった。このぐらいなら、まあ許容範囲である。預金残高が過去に類を見ないペースで減り続けていたこの時期、なんとか食い止めたと思われる。
まとめ
琵琶湖のくだりでまとめのようなことを書いたから、改めて書くまでもない。
自由度高く、言い換えればテキトーあるいは思うがままにあちこち飛び回ることのできる一人旅ならではの利点を活かし、楽しい時間が過ごせた。
ふたつ、思うことがある。
ひとつ、なぜ毎度雨が降るのか。雨を流さねば旅行は不成立なのか‥‥?
ふたつ、なぜ今回に限ってあんなものまで流したのか‥‥?
予告
読者の方は不審に思われたかもしれない。この中盤戦、あることに関する記述がほとんどないということに。
むろん、「3万円チャレンジ」のことである。序盤戦では節約にいそしむ様子が垣間見られたが、中盤戦にはほとんどみられない。
『もしかして、途中で忘れてたんじゃないの?』
それもある。だらしのない話だが、そこにはちょっとした事情がある。
次回・終盤戦で、そのあたりのことをお話ししよう。
たいしたものではないが、序盤戦・中盤戦の2記事にわたり、伏線はあからさまなものも含めちょこまか張ってある。
おヒマでしたら、推理してみてください。(いや本当にそんな大したものではない)
終盤戦に続く。
京都3泊6日3万円チャレンジ - 序盤戦(表)
↑リッパなことを書いているようで、その実中身はさしてない前書きは別記事で。
本編を読む上で必要な情報は、いっさいない。特に読む必要はない。
概要
題に掲げた「京都3泊6日3万円チャレンジ」とは、旅行中かかる一切の費用を3万に収めてしまおうという企画である。説明するまでもない。
「3泊」なのに「6日」である時点で、安価に振り切った移動政策(これすなわち深夜バス)に徹していることが読み取れようというものだ。
企画遂行のためマジメに帳簿をつけるなどしていたのだが、まさかあんなところでひっくり返るとは思わなんだ‥‥。
と、安価旅行に合わせた安い宣伝文に乗せて、今回の旅を始めよう。はてさて、どこに着地したのだろうか。
1・2日目
始まりは 毎度おなじみ 新宿の 人で賑わう バスターミナル
眠れるか 腰は持つのか 深夜バス 走れ走れよ いすゞのトラック(字余り)
なぜ川柳なのか? 特に理由はない。思いつきは誰にも止められない、しかし誰にも求められない。
長距離バスの特徴として、同じ便同じ区間でも日ごとに料金が変わることがあげられよう。人の多い週末周辺や繁忙期は高く、逆に閑散期の平日は安く料金が設定されていることが多い。うまく旅程を組めば、移動費を抑えることができるのだ。
今回は水曜発のバスに乗り、なんと1000円台で関西までひとっ飛びである。
浅い眠りに生ぬるく包まれ、夜を西へ流れていく。
到着まぎわ、外したメガネが手元にないことに気がつき、座席の下に這いつくばる。
メガネというのはウセモノの中でもレベルの高いクセモノで、なぜかと聞かれれば「なかば視力なしの状態で"視力"を"見つけ"出さねばならぬ」絶望に浸されるからである。
隣の青年がものすごく胡散臭そうな目でこちらを見ていた、気がする(なにせメガネがないので見えていない)が、いたしかたあるまい。数分後になんとか見つけ出し、下車時刻に間に合った。ただいま、世界。
深夜バスに京都とくると過去のイヤな忘れ物を思い出してしまう上に、元来の忘れんぼう気質が手伝い、先ほどのメガネ騒動が追い打ちをかけて、忘れ物には尋常ならざる警戒をと脳内警備隊長が発破をかけていた。朝7時、ぼんやりする頭の中で。
目的地に到着すれば長時間の移動で倦怠に満ちていた体もたちまち元気を取り戻すように感じるが、短時間の浅い眠り、長時間の同じ姿勢で、体力も気力も見かけほどありはしない。いそいそと張り切ったところで、空回りが怖いという深夜バス明けの朝だった。
↓過去の手痛い忘れ物の思い出はこのときのもの。
さて3万円チャレンジと掲げたからには、当然節約が不可欠である。
旅費の三大項目といえば、食費移動費宿泊費。リズミカルで覚えやすい。
そう、食費。並の食事をしていては、とても福沢諭吉3人ではまかなえない。(変な日本語だ)
京都駅から嵯峨野線に乗る。通勤通学で大混雑、押さないと乗れないラッシュタイム。
隣の丹波口駅で降りて徒歩10分ほど。中央卸売市場のはずれ、アーケード下のような不思議な雰囲気の中立ち並ぶ店の中に、朝から営業しているお店がいくつかある。もっぱら卸売業者の方のための早朝営業だろうが、一般人でありながらズカズカ入店した。
泣く子も黙る380円の朝ごはんである。
右に見えますのはラーメンのスープ。レンゲで白飯をすくい、スープに浸して食べる。そこ、ひもじいとか言わない。
今度はスープに麺を浸して食べるぞと誓いを残し、ターレットトラックが走り回る市場を早々と後にした。
続いて自転車をレンタルしに東山三条へ。東山七条の店で借りるつもりだったが、店が開店休業状態で、人が来ないかとその周辺をうろついていたら保育園の横に立っていた警備員に睨まれたのですごすごと退散。
1日1700円で電動自転車をレンタル。雲行きは怪しかったが、強引に店を飛び出した。
‥‥案の定、昼過ぎから雨。それもバケツをひっくり返したような、スゴイやつときた。またしても台風を呼んでしまったのかしらと思うほど。
どうせ嵐を呼ぶなら、爽やかな5人組に来ていただきたいところである。
やむなく自転車を預け、屋内に避難。
百円ローソンで買ったジャンボどら焼き、これが昼ごはん。
雨は上がるも、ペダルを漕ぐ足は重い。悪態をつきつつ、なんとか下鴨神社までたどり着く。
湿気をまとい、一段と神秘さをまとった世界文化遺産。
潤いとか湿りを帯びた森がいやに神秘的に思えるのは、アニミズムに依っていた遠い遠い昔の御人が、高温多湿な日本の気候の中に神を見出したからなのかもしれない。
厄除守の鈴の音も優しく、ほんとうに災いが祓われていくようだった。
近くの出町桝形商店街で夕食を買い出して、バスで東山五条の宿へ。
主食のもち(!)、焼き鳥に揚げ出し豆腐、野菜を合わせてこれで800円くらい。
東山五条の交差点を眺めながら、ひとり黙々と食べる。雨音と雷鳴をBGMに。
宿はゲストハウスだが、形態はカプセルホテルに近い。二段ベッドの両脇を板で仕切り詰めて配置してあるので、一部屋に20人ほど収容できる。そして、やはりというべきか、日本人はほとんどいない。
割り当てられたベッドは2階。ハシゴの登りづらさに閉口しつつ、なんとか寝床を求め這い上がる。
なにせ一泊1080円である。ハシゴを登らねばならないのは仕方のないこと。特になにも文句のない、きれいな宿だった。
2日終えて、残金は22000円くらい。あと3日で使うと思えば、まずまずといったところだろう。
前書きに書いた「お金がなくてもできる旅行」、まさに今実践の場である。
楽しみ方は、ヒトの数だけあると思えばいい。
中盤戦に続く。
前書き ~ひとり旅行記にそえて
突然だけど、ポンとまとまった時間が与えられたとき、きみならそれをなにに使うだろう。
勉強する? リッパな心がけだ。
ダラダラする? それもいいだろう。
バイトを入れる? "友人と遊びに行くための先行投資"‥‥いや、慣れないことばでヘンに利口ぶるのはよそう。
遊びに行く? ずっとあたためていたプランを、引き出しから取り出すチャンスかもね。
ぼくなら――しがない学生ふぜいのぼく、なら――
旅行をする。あるいはしないとしても、まずいちばんに旅行の可能性をさぐる。
なぜなら、チャンスだから。
"旅行ができるチャンス"というのは、はじめでぼくが言うところの”まとまった時間が与えられたとき”のことだ。お金がなくても、時間さえあれば工夫しだいで旅行はできる。逆に、時間がなければお金があっても旅行はできない。
最近はインターネットが発達して、遠く離れた場所の景色もすぐ見られるようになった。情報も充実していて、調べるだけで旅行をしているような気分にすらなれる。
でもそれは、あくまで紙面上とか画面上のはなし。実感というものが、そこにはない。
旅をするなら、自分の心と体を持っていかなくちゃ。
そのほうが、ワクワクすると思わないかい?
断っておくけど、ぼくは別に「ヒマがあったら旅行に行け!」と押しつけがましく主張したいわけじゃない。想像するよりも旅行をする機会はないからこそ、選択肢のひとつにしても良いんじゃないかな、と思うだけ。
それに、旅行に限ったことじゃない。自分の大好きなアーティストのライブとか、大好きなアニメのイベントとかだって同じことだ。ちょっと冷たい言い方になるけど、そのアーティストがいつ活動をやめてしまうかはわからないし、そのコンテンツがいつ終了するかはわからない。
チャンスがあるときにつかまなくちゃ。お金なんか、大した問題ではない。
将来、お金持ちになってからいくらお金を積んだところで、できないものはできないだろうから。
木曜日から中間試験だけど、科目の関係でテストはひとつもない。
つまり、木曜日から日曜日まで4連休!
旅行だ!
連休にサンキュウ!
‥‥というわけで。
京都で過ごした数日間のもようを、今からお届けしようと思う。
いろいろな意味で、今までの旅行の中でも忘れられないものになったことはたしかだ。
ぼくのしたあれこれを、モルモットを見つめる科学者のような目で見つめていてほしい。
それでは‥‥
Are you ready?
‥‥‥‥なんだ、これは。
明らかにはやみねかおるを意識した、もっといえば一人称のプロローグ。
どうせヒトの文体をまねるなら、テッテイ的にやるべきだろう。この続きを書かされる未来の自分の気持ちにもなってみたまえ。
これだからきみというやつは、中途ハンパと言われてしまうのだよ。
いちから出直すことだね。
‥‥‥‥と、なんか創也っぽい(?)口調で怒られてしまったので、本編はいつも通りの文体で書くことにする。
まあ実際のところ、書き始めたはいいもののはやみね調で4日分もつづるのはムリとさじを投げただけである。
当ブログ、一本あたりの分量があまりにも長いことにようやく気がついたので、今回は全文を載せず前文でとどめる好手を打った、つもりだ。
かなり面白いことになった今回のひとり旅の様子、おつきあいしてもらえたら幸いだ。
次回へ続く。
関西周遊記 ~旅ゆくところ、変化アリ
旅行に旬はない。季節を選ぶのは、単なる好みの問題だ。
一方で、"行きたい"と"行く"を必ずしも近くに配置できないのが悩みのタネだ。
大勢が"行く"時節に合わせて、ガイドブックが作られる。そうして、旅行の旬ができていく。
3月初旬の旅行は、旬か、好みか。
3泊4日(5日)で近畿2府2県をさまよう旅程は、今までの旅行の中でも長い部類に入る。近畿に足を踏み入れたことのない同行者のために、少しずついろいろな場所を見て回ろうという魂胆だ。
旅のお供はこのブログでもおなじみ、貧乏学生の味方こと青春18きっぷ。往復でも交通費5000円に収まるスグレモノだが、その分時間を移動に費やすことも避けられない。
あれこれ思案した結果、帰りはきっと疲労で寝るだけであろうことから深夜バスを選択。
現地での滞在時間を伸ばし、交通費も抑える。
こういうときだけ研ぎ澄まされるバランス感覚を、ほかのところでも活かせないものかとつぶやいてみたりして。
3月2日(金)
青春18きっぷで西方へ出かけるときは、始発に乗るため朝3時過ぎに家を出る。非常識をもってして、非日常の扉を開ける。
夜の街は生きている、という感触を受けることがある。人の活動がなくなり、外とは思えない静寂の中に、強い"生"を感じる。
いつもと違う空の色、いつもより主張の激しい街灯の光。
やっぱり、非日常になにか心動くものが眠っているのかもしれない。
人間、どうしたって絶望的に飽きっぽい。
5時過ぎに同行者と東京駅で落ち合ったら、さっそく東海道線へ。
今回もまた、長い長い電車移動が始まる。
京都まで休憩なしなら8時間半あまりで着くが、今回はいつもと趣向を変えて途中下車に挑戦。
そもそも青春18きっぷの魅力は"乗り降り自由"な部分にある。こちらの方が、よりきっぷを活用できていると言えよう。
神奈川県に入ったあたりで、制服姿の学生の姿が目立つようになる。通勤・通学時間に割り込んでの旅行にも、かなり慣れた。
朝日に照らされ眩しく輝く海を擁する熱海の風景を眺めていたら、早くも乗り換えの時間だ。"早くも"といっても、1時間半は優に過ぎていたが。
乗り換え2本目にして早くも駅を出ることに違和感を覚えることに違和感を覚えつつ、清水駅で下車。清水エスパルスのお膝元ということで、朝から熱心に次節の宣伝が行われている。サッカーって、"観戦"はともかく"応援"が難しいスポーツだよなーなどと考えていると、バスがやってきた。
10分程度で目当てのバス停に到着。
その頃旅行者(たち)は、最後部の座席で眠りに落ちてしまっていた。
いわゆる寝過ごしというポカである。
終点がそこから2駅しか離れていなかったのが、幸いといえば幸いだった。
とぼとぼ、バスが来た道を歩く。眠い目をこすりながら。
日本新三景ならびに日本三大松原のひとつとして知られる、日本の名勝だ。
約500mにわたって続く松並木、通称「神の道」。
鼻腔をくすぐる松の香りの先に、行く者しか見ることのできない景色が待つ。
青々とした空と石に包まれた地の境に、たたずむ富士山の姿。
朝ゆえの閑散も手伝って、視界が広い。
しかし、未熟な腕ではどうしても、カメラを介してその雄大さを伝えることができない。
だから、体に付属のマナコをふたつ、精一杯澄ましてとらえておいた。
行ってわかる、来てのみ知る名勝たるゆえん、と仰々しく称えておくことにする。
神の道を戻るまえに、朝ごはん。
次はどんなおもちが食べられるかな?
静岡ぶらり旅を終えて清水駅に戻る。目的地はまだまだ遠く、はるか彼方の西方へ。
計画では島田駅でも途中下車して、蓬莱橋を渡ることになっていた。
ステキじゃないですか? 渡ってみたくないですか?
清水駅で乗車し、次に目を開けたときに見えたのは、通り過ぎるホーム。
駅標に「島田」の文字。
朝から活動していれば、こんなこともあるさと2回目のため息をつくやいなや、再び浅い眠りに落ちていった。
なんと今回は「昼食のための途中下車」が実現。
言い換えれば、今まではひもじいお腹を満たすことなく時間短縮のみを是として行動していたということだ。
あちらを立てればこちらが立たず。長期旅程の強みを活かし、人権を獲得した。
結果、今までただの乗り換え駅だった浜松駅が、この日初めて目的駅となった。
駅ビルのレストラン街はご老人とサラリーマンで賑わいを見せている。平日昼の光景。
うどんで腹を満たしたら、駅を出たときに見つけた施設へ向かう。
楽器博物館、というのが浜松駅から徒歩5分ほどの場所にしっぽり建っていた。
古今東西、あらゆる地域から集めてきた楽器たちが、一堂に会するさまは圧巻である。ビジュアル重視?のアジアン楽器、原始の香りにむせかえるアフリカン楽器、メジャーな楽器のプロトタイプ、戦火を生き抜いた大正生まれのアップライトピアノ、電子楽器黎明期の巨大シンセサイザー、環境音で舞台に生を宿す和楽器、実機で振り返るピアノ史、などなど。写真でもいくつか紹介してみよう。
まつり、である。祭か、祀か、どちらかの。
燭台が雄弁に時代を語る。
サソリを模しているようだ。反り返った曲線が美しい。
くねくね。
サックスバラバラ事件。キチンと撮影したら、パソコンの背景画像になりそうだ。
細部に命が宿ってこその音色だと思うと、奏者はさしずめリレーのアンカーか。
展示の一角には楽器体験コーナーも。ギターやピアノといった定番から、ハンドベル、コンガにアゴゴ、はては民族楽器まで。
弾いてみたけど、馬頭琴がすすり泣いただけだった。かわいそうなことをした。
とまあすっかり楽しく眺めていたら、いつのまにか昼下がりに。といっても活動開始が早すぎたせいで気分はもう夕方なのだが。ぼちぼち、宿のある京都へ向かう。
浜松から3本ほど乗り継いで、京都に着いたのは18時40分ごろ。ひとくせある駅構造にも慣れたもので、さくさく改札を出たら荷物を置きに宿へと歩く。
お世話になったホテルは6畳和室ワンルームで2泊4500円/人。破格、だと思う。
タオルを貸してくれたし、共用シャワーも清潔だった。
素泊まりゆえ、夕飯は京都の駅ビルで。
和食。同行者が頼んだホタルイカが滅法うまかった。
この日は移動のために旅行をしたような風情があったが、ここまではいわば下準備。
明日からいよいよ近畿を巡るべく、早起きを誓って眠りについた。
3月3日(土)
おはようございます。朝10時をお知らせします。
長時間移動のあした、誓いはどこかへ飛び去った。
ノロノロと支度をして、京都駅からバスに乗る。東大路通は混んでいて、同じ系統のバスが数珠つなぎの様相を呈していた。
二年坂、三年坂のあたりで見つけた飯屋で、朝飯と昼飯のコラボレーション。
湯葉丼やら麸丼を頼んだら、鍋が運ばれてきた。
ニガリを入れて自分で作る手作り豆腐。
オーソドックスに湯豆腐。
これで(四捨五入すれば)1000円。カジュアルの範囲内で良いモノにありつけた、とご満悦。
清水寺に向かう坂道には、土曜日ということもあって修学旅行生や観光客がそこかしこ。無料で刻印できるアクセサリーショップに群がる学生の背中に、ネギが見えたような気がした。修学旅行となるとわずかに小金持ちになる学生の習性をよく捉えた猟師であることだ。
でかいモノの前で、ヒトは無力になりがちだ。
続いて向かったのは金閣寺。洛東からはそこそこの時間を要するが、バス一日乗車券を手中に収めたから怖いものがない。
日本に住んでいたら、目をつぶっていても見える景色、といったら大げさか。
境内に入ったところで「左側で写真を撮ってからお進みください」と係の人。撮影が組み込まれた参拝のかたち、なかなか拝めないものだ。
そのまま歩いて龍安寺。名物にして名所であるところの石庭が「The Rock Garden」と訳されていたのが興味深かった。weblioいわく米国ではrockを小石の意味でも使うようだが、米国文化in Japanに毒された身ではロックの血が騒ぎ出し、石庭の静謐あふれた雰囲気とはミスマッチに思えた。
バスで一気に三条まで戻ってきた。洛東は観光地が歩いていける範囲内に点在しているので助かる、というわけで夕飯とのスキマ時間で平安神宮へ向かった。
到着したのが17時15分、閉門が17時30分だったので神宮内は閑散としていた。それゆえ、社殿の前の広大なスペースがより迫力をもって感じられた。
明治時代に再建され、幾度かの修復を経て目の前にそびえ立つ朱の社殿をどんなに見つめてみても、1000年以上前にここで先人が政治を行っていたという話に現実味は見いだせなかった。おとぎ話の上に今があるような気分。
京都に夜がやってきた頃、こちらは華やぐ四条通にやってきた。
ここだけは何度来ても左右の感覚を見失ってしまう。そのおかげで、毎度ジュンク堂京都店にたどり着けない。思ったより四条河原町交差点から離れたところにあるのも不安を増幅させてくれる。
本日は本ではなく食料を求めやってきたケモノたちは、寺町京極商店街に突入。賑やかなアーケードを進んだ先に、二度目の天丼が待つ。
あ、天丼といってもそういう意味ではない。ホンモノの、すべりうるほうではなく、食べられるほうの、天丼である。
無加工につき天丼が美味しそうにみえないのが残念だ。ギター侍でも呼んでこようか。
帰りがけに目に留まったベビーカステラをごっそり購入したら、暗くなった京の大通りを宿へと戻る。
京都一帯がイニシエに染まっているわけじゃないことは、少し歩けばすぐにわかることだ。それこそ四条通もそうだし、住宅街だってゴロゴロと。現代人が現代の生活を送る街だ、当たり前といえば当たり前なのだが。
古の都も、時代の経過の中でその時々の今を取り込んで、生き物のように変化している。
それが京都という街をより面白くしているような、そんな気がする。
見渡す限りの古風な景色、というのも一興だけど、町家のとなりにキレイな家が建っていたり、大きな寺院の横にでっかい学校がそびえていたり、なにより京の玄関口・京都駅のイマドキな世界から、バスに乗って地下鉄に乗って過去に飛び込んでいくあの感じ。
同じ街の中で今と昔をなんども行き来して、そのたびに変化を感じて。
昔だけでもない。今だけでもない。
そんな体験をわかりやすくできるのが、この街のいいところだと思う。
前田敦子も歌っていたではないか。
タイムマシンなんていらない、と。京都に来れば時間旅行ができるぞ、と。
‥‥違うか。
ケッキョク、変化、"今と違うこと"を求めるきらいがあるみたいだ。
人間、どうしたって絶望的に飽きっぽい。
‥‥なんて、天丼で締めてみたりして。
3月4日(日)
この日は早起きに成功。早めに寝てよかった。
旅行は、しばしば夜更かしと早起きを同時に求めてくる。
"ハリキリ"の魔法の副作用、時として体にクるよね。
朝食は毎度おなじみイノダコーヒ。
アラビアの真珠、本当に美味しい。いつかコーヒーメーカーを家においたら、発注してみよう。
食べたらすぐに関西本線に飛び乗って、在りし日の天下の台所へ。
日本全国フォトラリーがあったらまず入ってきそうな場所である。
橋の上で見ず知らずの人々がみなカメラを構えている光景、一体感を通り越してわりとマヌケだと思う。
通天閣にも足を運んでみる。フォトラリーその2。
日曜昼の通天閣は、思ったより牙を向いてはこなかった。
それでも感じる、空気感の違い。
人に圧をかけ合っているようなさま、東京とは違う気がする。
それがいいのか、悪いのか。断言することは難しそうだ。
空きはじめの腹を抱え、大阪城までたどり着く。
雲ひとつない青空の真ん中、無邪気な太陽が背中に刺さる。暑い。
上るのに疲れてしまって、博物館と化している城内には入ることもなく、脱出。
空きだらけの腹を抱え、大阪天満宮までたどり着く。限界が近い。
梅が満開に近い。いい塩梅です!
もはや抱えるほどの中身もない腹を抱えて、商店街をうろつく。
商店街のこぢんまりとした店、雰囲気がステキすぎて入りづらいこともままある。
旅行かばんを持っていると、なおさらだ。
15分ほどフラフラさまよって、見つけたのは生そばのお店。
そば自体が美味しい上に、すだちが入っているだけでグンとステキに。
家庭でもできる一工夫。お試しあれ!(ここでキューピー3分クッキングのテーマが流れる)
はてさて番組が終わっても旅行は続く。ひとまず大阪駅に戻って、ここから神戸へ向かう。
「せっかく関西に来たので」という理由で、JRではなく阪急に乗車。
宿はJR神戸駅周辺にとったので、散策も兼ねて神戸三宮駅から歩いていくことに。
foreignとdomesticがないまぜになったこの街も、京都とはまた違う変化の楽しみがある。
豚まんに飛びついたり、餃子のプロトタイプみたいなものを食べて首を傾げたり。
チャイナタウンを通り抜けて、夕闇迫る港へも顔を出す。
スケボーに乗って走り回るイケイケの若者がいる。
ベンチに座り、ひとり海岸線をみつめるうらさびしい男がいる。
正装した男性が、ウエディングドレスを着た女性に向けて箱を差しだしている。
‥‥‥‥。
あまりにも普通にコトが行われていて、驚きの波も遅れてやってきた。
あとで思えば、すぐ近くに結婚式場もあったし、写真撮影が主な目的だったのだろう。
第一、プロポーズの前にウエディングドレスを着せたらピークが行方不明になってしまう。
ここで「デートの待ち合わせ」という題で脳内コントが始まる。
「遅くなってごめんねー。お、今日はタキシードなんだね」
「そうそうー。この前は燕尾服だったから、気分を変えてみようと思って。そういう君は、ウエディングドレスときましたか」
「そうなの! これ着るの難しいね、家で身支度するのに1時間もかかっちゃったの」
「その分、キレイに見えるよ」
「ばか」
「トナリを歩くの、少し気後れしちゃうな」
「そんなこと言ってないで、ほらほら。今日はどこに行くの?」
「ボウリングかな」
「まあ、このドレスならボウリングシューズ借りなくてもバレなさそうね。見えないから、足元」
「だろ? もってこいだと思ってさ」
‥‥なにがもってこいなのだろうか。ボウリングシューズを持ってこいってことか。
夕景が美しい神戸の港で、そんなしょうもないことを考えていた。
この日の宿はなかなかに不思議な雰囲気だった。
東南アジアのどこかにありそうなボロい建物で、壁は水色。オンボロシャワーとカビが生えそうなカーテン。備え付け和式トイレ。鍵が閉まらないドア。
屋根と布団があってよかった!とポジティブに考える。
夜になれば、色んな意味で目もつぶる。寝られたらそれでいいよね。
この日の最後に気になった看板を。
その筋とは、いったい‥‥。命に傍点がふってあるのも意味深長。
3月5日(月)
この日の午前を簡単に説明すると、
起床→降雨→就寝
宿のチェックアウトを1時間過ぎて、12時過ぎに宿を出る。フロントはなぜか無人なので、なにも言われない。いいのかそれで。
適当な店で適当に昼飯を食べたら、県境をまたいでの大移動。
短い滞在となった神戸から、阪神電車で脱出。近鉄奈良まで、なんと乗換なしである。
ちなみに、これはあとで調べてわかったことなのだが、宿泊した宿の周りには日本でも有数のソープタウンが広がっていたらしい。
宿に向かう際感じた奇妙な感覚にも合点がいく。奇妙な感覚というのは、怪しげな兄ちゃんに「やってく?」と言われたことも含めて、だ。
13時を回ったころ、奈良に到着。ここが関西周遊、最後の地点となる。
時間の都合上、奈良駅から離れたエリアにある斑鳩・法隆寺を断念し、大仏と鹿(作・酒井格)の待つ東大寺へと足を進める。小雨が降っているが、朝に比べれば大したことはない。
同行者がほんの出来心で購入した鹿せんべいは、シカジカ連盟春日公園支部・屋台監視班の素早い通報も手伝って15秒ほどで胃へと発送されていった。むろん、鹿のである。
アクティブに人が持つ食べ物に猛烈アタックをかます鹿あれば、道端にのんびり座り込み人生もとい鹿生の思索に沈む鹿あり。
大仏はさすがにリッパというところ。旅立つ前に勉強して、時代背景なんかを頭に入れていったら、平常より興味が4割増しとなった。
作り方も作られたわけも知らないで呆然と眺めるより、なにかを知った上で見たほうがDANZEN印象に残る。だいたい寺院なんて、知らずに行ったら「ほへー」で終わる。
事前準備も、こういう部分ではしておきたい。
春日大社にも行った。本殿より、そこに至る道に心惹かれた。
どんよりした湿気の多い空と、神社の白砂に覆われた道は不思議に相性が良いような気がする。なぜだろう。
神秘といっては多少大げさだが、なにかが宿っているような"生"の息吹をここでも感じた。日本人の血、なのだろうか。
中心街に戻ってきた。雨はほとんど降っていない。そこらへんを散歩する。
和菓子屋にちょっと入っただけなのに、試食と黒豆茶がいそいそと運ばれてきて面食らう。気圧されたわけではないが買わないわけにもいかぬという思い強まり、三笠焼きを購入。
そのまま、近鉄奈良駅から10分ほど離れたJR奈良駅に向かっていたら、突如として豪雨。(凛として時雨と比べると風情もへったくれもない)
逃げるようにJR奈良駅に飛び込んだものの、こちらは交通の便は良くとも商業的には明らかに近鉄奈良周辺に劣る様子。帰りのバスは21時発。雨の中をもう一度、近鉄奈良まで戻る。
することもないので、早めに夕食。釜飯も美味しかったけど、揚げ出し豆腐が絶品だった。
今回食事に関しては、かなりの高水準だった、と思う。朝に餅とか、朝食べないとか、そういうのを除けば。
いよいよ手持ちぶさたになったので、マイクを握ることに。
終わってない旅の打ち上げとは、なかなかの前傾姿勢ぶりである。
サライで締めるのも、だいぶん自分の中で恒例行事化してきた。
とまあ、長かった旅行も振り返れば短く感じるわけで。
21時過ぎ、JR奈良駅をバスが"さよ奈良!!"とばかりに発車して、今回の旅行はおしまいだ。
お金を出してどこかに行く以上、なにか得るものがあると嬉しい。
それは本当になんでもよくて、例えば語らいの中の安心とか、美しい景色に囲まれての情動とか、食に舌鼓を打っての満足とか。
今回は、"変化"を受け止めることが楽しかった。
そもそも旅行は"ここではないどこか"への移動だ、根底に"変化"があるのである。
違いを見つけて、どう違うのかなぜ違うのか、意識的でも無意識的にでも考えているとき、旅行先の街を面白いと感じるし、それに追随していつもの街も面白いと思える。
畑を耕して土に空気をいれるように、日常を非日常で掘り起こして面白くできたら、とてもステキなことだろう。
次はどんな形で掘り起こされることになるのか、そんな期待感も胸に入れておいて変わらぬ日常を過ごすのも、悪くないかもしれないね。
それではまた、次なる掘り起こし現場のレポートにご期待ください。
台風との待ち合わせ・名古屋編
10月第3週の土日を使って京都に行ったら台風が来ちゃった、という笑い話から1週間。
懲りない男は再び京都に向かった。そして再び、台風が来ちゃったのである。
旅の前に、そもそもなぜ2週連続で京都に行かなければならないのか?という至極まっとうな問いへの答えを出しておかなければならない。といってもそれはシンプルなもので、上の記事で紹介した京都アニメーションのファン感謝イベントが2週に分けて行われたからである。なんと単純か。熱狂的ファン、という肩書きを与えられても拒否ができなくなってきた。
1週目は先述の通りステージイベントが主で、新作の先行上映会などが行われた。吹奏楽の演奏会もこの一環である。
そして2週目は、関東でいえば幕張メッセや東京ビッグサイトのようなマルチイベント会場である"みやこめっせ"を使った大規模な展示企画が催された。原画や背景、絵コンテに人物設定など膨大な制作資料が一挙に公開される貴重な機会だ。
ここでこのイベントに参加する理由を述べていたら、あまりにも長くなりすぎたので、イベントの様子と合わせて別記事にまとめた。⇒
上の記事は随分とマニアックになってしまったので分かる人がわかればいいが、要の理由だけでも、ということで以下記事から引用。
アニメーションは総合芸術だ。そもそも私は絵を描くことが不得手なので、静止画一枚、原画一枚でも感服のひとことであるところを、それが動き、感情を持ち、生き生きと世界に存在している様子を見ると、並大抵の感想で片付けられる感動ではない。背景や音楽、吹き込まれる命とも形容される声と一体化して雄弁に物語られるストーリーは、よく考えなくてもおびただしい積み重ねの成果であることを認識させられる。
よく言われることだが、"撮れてしまう"実写映画やドラマに対してアニメーションは"撮らなくてはいけない"。実写では、ロケに行けばその場所の風景や音や光の差し込みなどがあらかじめ"有"り、その上に俳優の演技、時にはアドリブなどあらゆる要素が偶発的なものも合わせてカメラの中に収まるが、アニメーションにおいて始まりは"無"である。音もなければ光もない。そしてなにより、偶然がない。無の上に世界を細部に至るまで構築し、キャラクターを動かすという点では実写よりも難しいと思う。ここにおいて、細部へのさまざまなこだわりを持って作られ、実写とひけをとらない密度の濃い世界を画面の中に構築できる京都アニメーションが制作する作品を、私は好きになったのである。
さて、またも前置きが長くなってしまったが、そろそろ出かけるとしよう。
そして、またあのやらかしを思い出して頭を痛めることにしよう‥‥。
(追記:12月にここまで書いたのち、倉庫でホコリをかぶせていたようだ。
今は4月。年も年度もかわってしまったが、覚えている範囲で記録を残すことにする)
10月26日(金)
午後10時 バスタ新宿
↑水曜どうでしょうのテロップみたい。‥‥どう(でもいい)でしょう。
バスタ新宿にやってくるのは7月以来、3ヶ月ぶりだ。それぞれの目的地を胸に、おもいおもいのバスを待っている人たちの中に混じって、私もひとりバスを待つ。
大衆という言葉は、あらゆる色や向きの矢印を包み込んで単色のカタマリにしてしまうけれど、一つ一つの矢印の向きに目線を合わせてみるのも一興だな、などとそんなことを考えているはずもなく、ただただ旅行を楽しみに楽しみに、心の中で大はしゃぎしていた。
新宿には少し早く到着したので、時間つぶしのためにカフェに入り、ペンシルパズルを解くというオトナな時間(自称)を過ごしていた。
(このあとむちゃくちゃハタン*1した)
この高揚があの消失点につながるとは、思いもしなかったな‥‥。
午後10時15分
夜行バスが、京都を目指して静かに夜の新宿を後にした。
座席毎にコンセントがついており、身体は休めずともスマートフォンに休息を与えられる。格安旅行に多少ノ犠牲ハツキモノデース‥‥が、本当にダイジョーブじゃない事態に陥ったのである。
まだ太陽も姿を見せず、闇に支配された京都駅八条口午前5時。
いつも通り、あまり眠れないままバスを降りた。
ロータリーから少し歩くと、白い光に包まれた京都駅の新幹線ホームが見える。光に照らされたとき、そこは朝となる。新幹線の朝は早い。
どれ、到着記念に一枚写真でもとカバンをあさる。その表情が怪訝になる。
スマホ、どこだ?
上着のポケット。ジーンズのシリポケット。カバンのポケット。
どこにも、多機能携帯電話の影はない。
夜明け前最後の仕事とばかりに、街灯がアセる男の影を地面に落とす。
ふいにフラッシュバックする、バスの記憶。
コンセントでありがたく充電していたスマホのケーブルを抜き‥‥
ケーブルをカバンにしまい‥‥
スマホで現在位置なんかを調べていたら、もう到着と知って慌てて立ち上がり‥‥
足元のカバンを取り出すべく、左手に持っていたスマホを‥‥
座席に置いた‥‥
そこで、意識が戻った。
夜明け前の闇がいちばん深いという。
まだ朝の5時だぞ。
始発電車がすべりこもうかという新幹線ホームのまばゆい光に照らされて、男はひとり立ち尽くした。
長い一日、1幕休憩なし。インパクトのあるツカミとともに、オープニングを迎えた。
ロータリーを振り返っても、終着地大阪へと向かったバスのテールランプひとつ残っていない。
バス会社に電話しようにも、連絡先がわからない。バスの乗車票はスマホの中。
インターネットカフェを探すにも、街中の地図に場所が書いてあるはずもない。
夜明け前の八条口にはなにもないので、とりあえず移動だ。
人気の少ない南北自由通路を通りながら、しかし案外と冷静だったことをよく覚えている。
人間、取り返しのつかないやらかしをすると心に血が通わなくなるのか。
中央口に来たころには、だんだんと外も白ずみはじめた。
そして小雨。雨の神と、一週間ぶりの待ちあわせ。
まずやるべきはバス会社の連絡先を調べること。
とても幸運なことに、カバンの中には役目を終えただの音楽プレイヤーと化していた先代のスマホが眠っていた。電波を拾うことに関しては悪評高いポンコツであるが、いるといないとでは大違い。
さっそくフリーwifiを求め、ダウジングをするかのように京都駅前をうろついた。
途中構内図の横にちょこんと載せられた宝の地図を発見し激写したが、心の余裕のなさが写真のブレに現れる結果となった。
とにかくも電話番号をゲット(もちろんスクリーンショットは忘れない)。オンボロスマホで通話はできないので、今度は公衆電話を探す。
中央改札口出てスグのところに発見、駆け込む。あの妙に押しごたえのない番号ボタンを押したのは、いつぶりだったろう。
しばらく続いた発信音のあと、聞こえたのは念のためにと投入した100円玉が落ちる音。
まあ、たしかにな。狭い返却口に指を入れながら思う。
まだ朝6時だもんな。
その後少し間を置いて4回ほどかけたが、どんなに間を空けたところで"早朝"の枠から時間ははみだしてくれない。ひとまず連絡を諦め、かといって手持ちぶさたなことには変わりなく、地下鉄に乗る。
ここで駅のwi-fiを使い、大阪に迷い込んだとおぼしきスマホの位置検索。
しかしあまり要領を得た解答をポンコツは返さず。
万が一のことを考えて、携帯の通信機能を一時的に停止した。別の端末からでもログインさえできれば、ロックをかけられるのである。
不安は消えないが、いくばくかマシになった。
その足で向かうは6月以来のご来店、イノダコーヒ本店。
レトロな新館の、上質なつくりの椅子に腰を下ろせば、高級感とムカシのカオリに軽くやられる。やられてこそ、ここに来る意味がある。
6月とは気分を変えて、シュガートーストを注文。
京都で、初雪を観測した。
しかしどんなに洒落た雰囲気に包まれようと、イモ大学生は馬車になったりしない。
リュックサックを駅に預けイヤに身軽になったカラダで、テクテクと時間を潰す。
三条通を進んで、東大路通との交差点を右折。かなり歩いたところで、八坂神社に到着。午前8時を回ったところ。目の前の交差点に並ぶ電話ボックスに折り畳み傘を挟みつつ飛び込んでみたけど、100円硬貨のリリース&キャッチに終わった。
境内をさらに奥に進むと、円山公園。日本史に明るくないので歴史的感動に浸れないのが残念。池を打つ雨が描く波紋にしばし見とれた。
適当なところで右に曲がり、ねねの道をぐんぐん進むと清水寺に到着。
工事中の舞台から、秋に撫でられ朝が湿らせた京都の山を眺める。
寺院では"静"を味わいたいから、こうして人の比較的少ない朝に訪れるのが良いのかもしれないな。
余談だが、二年坂だか三年坂のあたりに"漬物食べ放題ランチ"の店を見つけた。開店時間や混雑状況と噛み合わず未だ訪れることができていないが、いつか行ってみたい。
元来のクセで、バスを待つ時間を惜しんで歩き出す。
知恩院古門が見えたら、そこから白川に沿った細い道を歩く。
柳の下を流れるなんのヘンテツもない川だが、京都の中でも指折りの好きな場所だったりする。
しばらく歩くと仁王門通にぶつかる。京都国立近代美術館が目の前だ。
平安神宮の大鳥居をくぐる。いったいどうやって建てたのか、何回見てもわからない。
時計を見ると10時過ぎ。そろそろ早朝は脱したか。
二条通との交差点の一角、京都府立図書館を過ぎたあたりにもしもしボックス。
流れてくる人波に見守られながら発信すると、眠そうなおじさんが電話口に出た。
おはようございます。
乗ったバスとスマホの特徴を話すと、届いているとの返事。
バスが京都に戻ったときに渡そうかと言われたが、あいにくそのときには京都にいない。
住所を伝え、自宅に送ってもらうことにした。
財布の中に1円玉だけを残して、失せ物には一応の決着がついた。
住所を伝えているときに液晶画面が点滅しはじめたときは大いに焦ったものだ。
場所さえ選べば、ポンコツのほうも最低限の調べ物はできる。
今夜までに必要な分をやり終えて、もう恐れるものはない。
意気揚々と、みやこめっせへと乗り込んだ。
上にも貼ったけど、時系列としてはここに入る。
イベントを終えると、宿のチェックイン時刻が急かしてくる。
会場を出たのが17時前。名古屋の宿のチェックインは20時。
結局、N700系にたった30分だけ乗車。すこぶる快適だった。
名古屋市営地下鉄を乗り継ぎ、上前津駅で降りたときには本降り。
ひとまずチェックインを済ませ、二段ベッドの上で汗やら雨で濡れた衣服を片付ける。
カバンを覗くと、思ったより少ない着替え。
物販で買ったTシャツに手を伸ばした。
名古屋駅に戻って夕食。
名古屋に来たらエスカからの矢場とん、と相場が決まってしまっている。
小畑優奈さんのポスターが貼られている限り、今後もきっとそうなるだろう。
名古屋の夜が更けていく。寝ているあいだにも、台風がじりじりと迫っていた。
10月29日
早朝。旅行先だと3分の2位の割合で早起きに成功する。自宅だと5分の1くらい。
名古屋の喫茶店はモーニングサービスに力が入っていると世間の評、コメダももちろん例に漏れず。ゆで卵に塩をふり、コーヒーをすすりながら目を閉じたら寝てしまいそうだった。
朝の名古屋は小雨。しかし小雨でも軽く喜べる程度には感覚が麻痺している。
なにせ台風は必ずやって来る。大粒の涙が流れる前に、めいいっぱい遊ばねば。
本日のメインディッシュはこちら。
明治村のホームページより画像を拝借。
逆転裁判シリーズの新プロジェクト「大逆転裁判」と明治の文化を今に再現したテーマパーク「明治村」とがコラボした謎解きラリー形式のリアル脱出ゲームの第2弾である。「大逆転裁判」の舞台が19世紀末であることから実現した当イベントは、ゲームのディレクターもテキスト監修として参加しており、かなり力の入ったものとなっている。
現在は終了してしまったが、続編が発売されたことで開催された第2回であるだけに、「大逆転裁判3」の発売があれば第3回の開催の可能性も少なくないだろう。
もっとも、イベントの開催とは関係なく続編を望んでいるわけなのだが。
近鉄名古屋駅の改札にフリーきっぷを差しこんで、犬山駅に向かう。
イベントの開催にあわせて発売された"大逆転裁判2きっぷ"は、明治村までの往復交通費と明治村入村料がついてそこそこオトク。
窓口に買いに行ったら、駅員のおじさんに「雨の場合は内容物を全てお持ちの上で払い戻しにお越しくださいね‥‥」となんども念押しされた。そりゃそうだデッカイ台風くるんだもん。
それでも、いやそれだからこそ行かねばならぬ。雨男の宿命である。
犬山駅からはバス。1時間2本のバスをのんびり待つ。
曇天選手権で上位に入りそうなグレーの空からは、しかしなにも降ってはこない。
明治村は屋外施設。謎解きラリーは当然、外を歩き回る。
いつまで持つかな‥‥。
15分待った。その間、バス停にはバスも人も来なかった。
20分ほどで明治村に到着。
明治150年!
なんと日本3位の広さを誇るテーマパークである(ディズニーランドより広い)明治村、本来であれば建物ひとつひとつをじっくり眺めたかったところだが、謎解きと台風が待っている手前そういうわけにもいかない。
急いでキットを購入して、やっていくうちに気がついた。
これ、建物ひとつひとつをじっくり眺めないと解けないやつだ。
今回のイベントは2つのコースがあり、難易度は異なるがやることは同じ。テキストを読みつつ、指示された場所に行って手がかりを集める。それをもとに、ムジュンを見つけ犯人を捕まえろ!というもの。広い村内を端から端まで歩かされることで数々の建造物に触れることができたし、部屋ひとつをまるまる使った"殺害現場"で"現場検証"を行い、証人とのムジュンを見つけるなんていう場面も。楽しく散歩と推理を楽しんだ。
心配されていた空模様であるが、たまに小雨がぱらつくことはあれど本降りにはほど遠く、締まりきらない蛇口のような中途半端さ。いっそ不気味ですらある。
今思えば、"ひょっとして降らずに帰れるかも‥‥?"などと思ってしまったのが運のつきだったんだろう。油断大敵、である。
2つ目のコースが終盤に差しかかるころ。建物の中で最後の謎解き、この答えを受付に持っていけば終わり!というタイミングでついにお天道さまのしびれが切れた。それは同時に台風のラブコールであり、「知ってた」以外で片付けることのできない感情を抱かせるには十分の、
特大の、
嵐であった。
なんとか受付にたどりつきクリアに胸をなでおろすヒマもなく、というのもこの受付と出口は村の両端に位置していた。園内バスに乗ることも考えたが、あいかわらずの財政難を抱えるフトコロから予算執行の許可は下りない。
滝と化した階段を遡上し、川と化した坂道を泳ぐ。傘などもはや役に立たぬ。
いつのまにか落として行方不明になっていた上着の不在が、ここにきて痛い。いや、雨でなくとも十分痛手ではある。夕方に差しかかった名古屋は、少しどころではなく寒い。
バケツをひっくり返すのに忙しそうなお天道さまをにらみつつ、最寄り駅行きのバスに飛び乗った。おかげさまで、土産もなにもあったものではない。
振り返ってみると、腰を落ち着けて読んだら面白そうな建物の記述をすべてすっ飛ばし、写真も先のスマホ紛失によりまったく撮れなかったので、明治村にはまた行く必要がありそうだ。
名古屋駅に戻ってくるやいなや、冷え切った体を温めるべくみそ煮込みうどんの店へ。
温度という意味でも、激しくエネルギーを補給した。
そして本日2度目のコメダ珈琲で時間をつぶしているころには、なんと台風は過ぎ去っていた。
嵐の後の静けさが、日曜を凌駕していた。
夜行バスも定刻通りに発車。かくして、台風との再びの密会はお開きとなった。
2度の旅行で2度台風と遭遇するなんてめったにないことだし、これからもなくていい。
雨男の名をさらにほしいままにしていることは、なんの名誉にもならない。
こりずに旅行の予定を立てて、天気予報に震える日々が、続く、続く。
*1:解き終わる前にムジュンが見つかり、正解にたどり着けないこと