色メガネ売場

目の届くかぎり広く、手の届くかぎり深く

櫛の歯を欠いたまま

年をまたいで三十余日。冬の夜の冷え込み厳しく、つい半年前のうだる暑さなどなかったかのような寒一色の日を過ごしつつ、そういえばとこの場末の「ひとりごち場」の存在を思い出したわけなのだ。

スミとホコリにまみれた暖炉に、そろそろ薪をくべるとしましょうか。

 

謹賀新年、一攫千金、合格祈願、千客万来

駄文に数え方なんてものがあるか、不勉強にしてわかりませんが、今年もいくらかの駄文にお付き合いくださいまし。

 

ものはついで。

 ↓ゆく年くる年について検討した昨年の正月記事。

sakushusen.hatenablog.com

 

 

そんなことはさておき。

 

この頃巷に流行るものとして、”強い言葉”を挙げたい。

なにかを称賛するとき、あるいは誹謗するとき。良いものを良いというとき、悪いものを悪いというとき。断定的な一言が口から飛び出して、評価を終える風潮があるような気がする。

 

「天才」とか。「尊い」とか。「虚無」とか。「○ね」とか。

 

こういう状況になるのも、ある程度説明はつく。

インターネットが普及して進歩して、パソコンのような媒体を通してコミュニケーションをとる機会が劇的に増えた。そしてメールやブログのような「片方向×2」、手紙のやりとりのように少しの間をおいて為されるコミュニケーションから、LINEや各種SNSのような「双方向」、直接会話しているような即時のコミュニケーションへと中心が移ったことで、「すぐに」自分の感情を伝える必要が生じた。

顔を合わせていない分、画面上に現れる会話以外の一切は「無」であり、その間を嫌う情動もこれに寄与しているだろう。直接顔を見ていれば、考えている様子や表情から読み取れることもあるが、SNS上にはたち現れない。

結果、短いことばを使ってそこに自分の感情を詰め込むことで「発言」にかかる時間を短くし、そのうち使いやすいものを「定型フレーズ」としてストックし常に手札としてすぐに出せるよう持っておくことで「発言」を考える時間を短くし、といった努力によって出来上がったのが”強い言葉”なのである。

インターネット掲示板上で生まれた多くの新語の誕生過程には「省略」が含まれているし、新語でなくてもより感情の程度の大きい言葉が選ばれ、使われている。

さらにこの文化がインターネットの世界から日常社会に輸入され、会話の中に”強い言葉”が折り混じって、今の状況になったのだろう。会話の間を嫌う情動が、ここでも影響していると思われる。

 

この状況を否定しようとはとても思わない。時代の潮流を、棒切れ一本で変えられようはずもないし、特に変えたいわけでもない。悲観というのも少し違う。あくまで自分に落とし込んだ上で、自分はそうでないようにしようと思うだけだ。主語は、なるべく小さくいこう。

 

確かに便利である。重い国語辞典を頭の中に入れて歩く必要はもはやない。先ほど手札という言葉を使ったが、好みのカードを十数枚ストックしておけばいいのだ。その場その場に応じて、パッと出すだけで事足りるのだから。知識が入り用のときは、自分に代わって手に収まる電子頭脳が答えてくれる。

持てる武器が強くなったから、それに合わせて自分の行動を最適化し効率の良いパターンを編み出す。適応という意味では、人間はとても優れている。

 

しかし。それでいいのかな、という思いが首をもたげる。

便利を追求しすぎて、戻れなくなりはしまいかと。

 

たぶん、いまさら交通手段のない生活には戻れないだろうし、上下水道のない生活にも戻れない。新しい道具に浸かるということは、古い道具との決別も意味している。

ブログブームが過ぎた今もこうして誰に読まれるわけでもない文章を書いている。メールも好きだ。長すぎもせず短過ぎもせずの文章を懸命に考えて送信し、返信をしばし待つ、どことなく落ち着かず心のどこかがわずかにヒリヒリしている感覚を愉しむ、しかいこんな機会もほとんどなくなった。あるのは定型文で固めた業務連絡だけ、文章を考えるのも返信を待つのもちっとも愉快じゃない。

 

ここでいう”強い言葉”というのはもともとある言葉も含まれているから、新しい道具というよりは言葉の新しい使い方、とでもいえようか。しかしこれに浸かるあまり、コミュニケーションを「じっくり」とる感覚を忘れてしまいそうで、それがあまりにも寂しくて、川の流れを見つめるだけの尖った石になっている。

 

とはいえ世の中広し、”強い言葉”を濫用しつつも場面場面でしっかりした切り替えを見せこなしていく人がたくさんいる。そういう人からしたら、考えすぎダヨと一笑に付すところであろう。いやしかし、世の中広しという以上、切り替えられない人もいるわけで、例えばこれを書いている凡夫がまさにそうであって、ひとたび”強い言葉”に染まったら、すべてが朱に染まって赤くなってしまう。真っ赤に染まることを是としない以上、”強い言葉”に背を向けたくなるのだ。

 

 

昔の人は感情を表す言葉を、微妙な差異を埋めずにたくさんこしらえた。これを大きさ・程度で数値化し、順に並べられるとしよう。0から100までの感情は、連続して絶え間なく表されることはなく離散的であるものの、少しの間をおいて櫛の歯のように並び、小さな範囲を少しづつ受け持ちあって、感情をあまねく表す。なめらかに櫛が動いて、美しく生活を彩る。

 

時代を下るにつれ、その歯がだんだん欠けていく。

表現の豊かさより、櫛の歯の数より、速さを求める。短さを求める。

櫛をせわしなく動かして、引っかかった歯がとれて、消えていく。

 

少ない歯でも、力を入れれば使えるさと強引に動かすその手付きは決して間違っているわけではなく、でも「淘汰」で片付けるにはあまりに忍びない。

端の歯だけが残って、引っかかりが少ないと喜ぶ裏で、感情は梳かされず塊になって、インターネットの海に放たれ、一瞬の水しぶきのあと沈んでいく。

 

 

とはいえ。塊のままにしておきたいときもある。細かく砕くのが手間でメンドウで、エイヤッと投げてしまうときもある。いつまでも気を張っていられるほど強くはないのだ。

 

だからたまにはこういうところで、櫛を修理し磨くわけなのだ。

多少欠けて汚れていても、自分の櫛と誇れるように。

 

 

と、いうわけで。新年早々、長々と草々。

物好きな方は、今後とも櫛磨きにお付き合いくださいませ。

 

衣替えには向かない日

列島を襲い、関東にも激しく爪を立てた台風が、取るに足らない雲までかっさらって北に去っていったから、再び夏が来たようだった。めまいがするほど唐突で、くらくらするほど灼熱の青空。秋を迎え、早くも忘れかけられていたのを寂しがるように、今日ばかりは暑さにぼやけて夏の入り口が見えた気がした。

 

神無月に入り、ぼちぼち衣服の袖も長くなってきた。休暇という長い眠りから覚めたばかりで、曜日感覚どころか"月感覚"さえ失っている身としては気温に合わせた服装を一日一日とるまでなのだが、年度下半期の始まりに合わせ服を替えると決めた明治の役人の"切り替え給え"という声が聞こえた気がして、しゅんとした姿勢もいくばくかシャンとした、と思いたい。

 

混沌で幕を開けた都民の日は、しかし昼には晴れ渡り、何の気なしに訪れた池袋には少年少女とその保護者があふれていた。生粋の東京都民なのか、はたまた台風で学校が吹っ飛んだ埼玉県民なのか、見分ける術はないけれど、どっちにしろ休日を謳歌していることに変わりはない。サンシャインシティの地下でラーメンをすする横でも、親子が楽しげに遊び回っていた。

 

サンシャイン60通りを駅へと向かう途中、HUMAXの前を通りかかったとき、横に学生服のブレザーが2つ並んで歩いているのが目に入った。かたっぽが男の子、もうかたっぽが女の子。ちょっと暑そうな顔をしながら、会話も心なしか少なく思える。律儀に着ずとも脱げばいいのに、"衣替え令"の敷かれた学校からの帰り道、なんとなく羽織ったままなんだろう。つかずはなれずの距離のまま、いずこともしれぬ池袋の喧騒に溶けていった。

 

季節外れの猛暑をうけて、街ゆく人の多くが半袖のような開放的な服装だったからこそ、重そうなブレザーに包まれた彼らを見て、衣替えのことを思い出したわけなのだ。とはいえ、衣替えと聞いてクローゼットから現れたブレザーの戸惑い肩を落とす姿が見られるのも、今日限りだろう。この暑さも、幻のごとく数日のうちに消え失せ、嘘のようにブレザーの快進撃が始まっていくのだろう。

 

しょげたブレザー、なんてちょっといいものを見た気分になった。しょげたといえば、台風が去ったあと機能麻痺していた東京も、少しづつ回復していき、早くも元の姿に戻ろうとしている。しょげた東京も、あまり見られたものではない。二重の意味で。

 

その頃私はといえば、着ていった襟付き長袖シャツをしょげさせ、こちらも衣替えに失敗していたのであった。いやー、暑かった。長袖なんて着るんじゃなかった。

光を放った者だけが

思考や感情を披露するとき、脳みそを直接つないであますことなく伝えられるのだったら、"ことば"などという不完全な道具を振りかざして、本来生まれるはずのないすれ違いやぶつかり合いを育てる必要はない。言語化という作業は、ある種リスクを背負う営みだ。

感想文もことばの集まり。なるべく相手の顔色を見ないように(それでも多少意識はしてしまうが)、純に表すのを目標に、エイヤッとこしらえてみる。

 

‥‥いきなり御託を並べてどうした、と思われたかもしれないが、これも一応フリであって、というのも"ことば"というカタチをとって残るものならまだしも、音楽は(あえて"ことば"と比較すれば)カタチをとらず直に飛び込んでくるわけで、リスクを警戒する、という視点にあらず、ぶつかってなんぼ、といえるのが難しい。マスターキーを作ったつもりでも、どうしたってハマらない鍵穴ってのはこの世のどっかにあるわけで。

 

賞がからむ発表の場で、合鍵職人という選択をしなかったという点。「どうですか?」ではなく「どうだ!」だった点。賞があってもなくても、きっと同じようなことをやっていただろうと思えるのが、今年のステージの良さ、ではないか。

 

さて、箇条書きのお時間です。

・久しぶりに椅子が復活したステージ。剣道場では見慣れた光景であるものの、今まで立奏を追いかけてきた中学生にとっては、座奏が逆に珍しかったのでは。

・開演時間ギリギリに駆け込んだら、2階席は定員オーバー。席数が少ないのはあるにしろ、午後一番で注目のステージだったことが伺える。

・席がないので、消防法に違反しながらステージを見守っていた。早い話が立ち見である。

・1階最前列に見覚えのある影たち。サイリウムの振り方がうまかった。

・1曲目は「Make her mine」から。スティックの音がかっこいい。

・いきなり会場の手拍子が大きく、頬の緩む展開。パーカスが毎度ノリノリなのでさらに頬が緩む。終わった頃には外れてるんじゃないか、頬。

・四分でひたすら走るベース(※ランニングベースってことなんだけどテンポが乱れてるみたいな書き方になった)、楽しくも大変な譜面。頑張れの念を送る。

・男子部員の数が増え、そして成長したことでステージがパキっとしたような気がする。トランペットとトロンボーンのソロ然り。バリトンサックスのソロ然り。パンツスタイルが似合っている。それはきっとあのオシャレカッチョイイ部Tの活躍なしでは語れぬ効果だろう。

・椅子があるとはいえ上下左右の振り付けは激しく、多少心配したがバテを感じさせることなくcoda。人数増による音の厚みが功を奏したのかも。

・MCは部長副部長コンビ。ちゃんとお客を煽るし、曲説明も丁寧。こういう行事のたびに自分の拙速な仕切りを思い出して冷や汗をかく。客の反応を見る余裕なんか、まるでなかったもんなあ‥‥。

・1曲目のソロ紹介、ステージがステージならカメラで抜かれ大スクリーンにあのキメ顔が映し出されていたかと思うと、あまり意味を伴わない悔しさがこみあげてくる。

・2曲目「塔の上のラプンツェル・メドレー」。華やかなる御仁登場で会場沸く。暑そうってまず最初に思った。あのマント。

・うって変わってしっとりした入り。バスクラが最初ピンスポに照らされてたのはご愛嬌‥‥かな。オーボエの旋律が数瞬前とは違う世界への案内役。

・アルトサックスって、いいな。(和風総本家)

・サックスソリ、ね。パートとして今年は活躍の機会に恵まれたステージ、ちゃんと期待に応えていた、それ以上のものを見せていた、いや魅せていた、と思います。親バカなのでまともな判断ができません。あの8の字の振り付け好き。今度振り付け教えてね。

・チューバとフルートのところ、観客最前列の人がぴょこぴょこしてた。チューバもフルートもうまくなったね。

・メドレーの中で雰囲気が変わるところ、楽器間の受け渡しがハマってきれいに変わっていた。ボックスステップ(どじょうすくいという解釈も存在)し始める指揮者。

・あの照明の使い方、印象に残った人も多かったと思う。かっこよかった。

・会話し始めるオーボエとテナーサックス。周りで優しく支える音色あって、その上で輝くふたり。

・いつのまにかひとり高らかな愛を歌うテナーサックス。これを見るために、これを聞くために、この感動を幾重にも増幅させるために、私は吹奏楽部に入ったのかもしれない。

・アルトサックスのソロ、褒めてた人いたなあ。だんだん"ソロ"をモノにしてきたそのノリで、イケイケな演奏。来年はさらに弾けた姿を!

・終わったのち、こんな短かったっけとなる。映画音楽のメドレーにしては短く、こうしたステージで扱いやすいサイズに選曲の妙。

・再びMC。顧問の名前で笑いが起きるのはもはや定番に。

・ぶちょおおおおおおお

・あったけえ‥‥会場があったけえよお‥‥

・3曲目は「ジャパニーズグラフィティXII」。宇宙戦艦ヤマト銀河鉄道999のテーマソングをつなげた、松本零士スペシャルである。

・冒頭、木管の飾りに彩られ出てくる伸びやかな金管が日の出とか旅立ちを思わせ、個人的に好きなところ。

・テナーはやっぱり歌わなくちゃ!という伝統を継ぐ者よ。そのまま育つのじゃ。

・背中が大きく、頼もしく見える。陣頭指揮するには少々大きな船を、よくここまで泳がせてきたね。

・サビのトランペットの刻みがいい。ここではあまり触れられないものの、風紋のトランペットも上手でした。

・二度立ち上がり、ソロを吹く男。佇まいは変わっていないようで、しかしアイツはどこから頼もしさを連れてきたんだか。

・ステージ、発光。暗闇の中でも、息づかいと、感情と、輝きがそこにある。

ティンパニの号砲で飛び出してきた戦艦。敬礼。

・戦艦が帰ったと思ったら機関車が飛び出してきやがった。

・斜めに舞う楽器群を見ながら、終わりを感じる。毎年、ステージ中強烈に"終わり"を感じる瞬間があって、今年はここだった。

・列ごとの行進、体操部に似たものを感じる。マイクスタンドに阻まれてたサックスのパトリさん、どんまいです。

・アルトサックス3人出てきて、大好きなメロディを吹いている瞬間の高揚感。もっと間近で、音に殴られたかった。

・半分近くサックスの話題だった気もするが、そういうステージだったってことで。

・おしまい!

 

 

ステージドリル元年は、それをやりたいという気持ちを発端とし、革新ともいえる椅子のないステージを実現させ、結果が"ついてきた"。一度向きを変えると、ましてやなんだかいい向きな気がすると、惰性みたいな力が働いて、また別の向きにするのがためらわれることがある。一方、時のアカがついた革新は革新でなくなり、贅沢な観客は新しいものを求め続ける。

今年少なくとも全立奏から脱却した*1ということは、まず今年の執行代の"思惑"のなせる技だった。人数や学年構成といった環境が変わる中、決断を迫られた部分もあっただろうが、それを受け止め、そしゃくしたのち自分たちのステージとしてカタチにしたことは立派なことだ。座奏のステージを経験している最後の学年が舵を切ったのも、ある種意義深い。

毎年カシラが交代する宿命にある部活動において、その欠点を埋めるより美点を伸ばす形でアプローチしたのが今年の執行代なのだろうか、とぼんやり思う。

 

さらに次以降の代にひとつ方針を示せたという点では、単なる一回限りのステージを超えた望外の収穫だ。このステージは来年以降、確実に考えの材料となる。ブラッシュアップの踏み台になるか、全く新しいものを置く台座になるか、そればかりは今の代が決めうることではないが、部活動の血脈の中に残り、未来を支えていくだろう。そうやって積み上げていった財産と、先の執行代とが戦い得たものが、次の財産の仲間となるのだ。

 

 

無数の思惑の上そこに在ったであろうステージ。自分を、あわよくば他人をも満足させ、魅了したステージ。あのステージに立つまでの時間と、立っている時間のことを人に余すことなく伝えるのは、不可能に近いでしょう。"ことば"というものは、やっぱり不完全な道具ですから。

でも、伝えなくとも。あの時間を共有したステージの上の人たちだけは、語り尽くせぬ経験をお互いに分かち合うことができる。経験をどう受け止めるかは、人の素地と解釈によるけれど、少なくとも同じ景色、同じ音の中で過ごしたことは、そうかわりはしない。

私はそんな皆さんを横から見て、ゴシップ記事を書く三流ライターに過ぎません。経験したことが、あまりにも違いすぎるから。

でも、いい経験をしました。あまりにも違いすぎるんだけど、これはこれでいい経験です。

私の"良い"は、皆さんの"良い"とは違うかもしれないですが。

 

良いステージでした。

また、次の機会を楽しみにしています。

ありがとう!!

*1:変わることを是とし、伝統を引き継いだ過去の代を非としていると読まれてしまってはかなわないので添えておく。そもそも代による比較は野暮である。また、人間というのは"同じまま"より"変化"を敏感に、大げさに感じ取りやすいという性質も忘れないでいただきたい。誤解を恐れずぶっきらぼうに言えば、なにかを変えるということは、考えたという過程が確実に存在しただろうと相手に思わせる手っ取り早い手段なのである。伝統を吟味し、良いのであればそのまま受け継ぐことに何の問題もない。"惰性"とか"脱却"とか、ネガティブイメージのつきまとう"ことば"を使ったが、直接比較しているわけではないことを心に留めてね。

やっぱり言葉って難しいね(ここで冒頭に戻る)

京都3泊6日3万円チャレンジ - 終盤戦(裏)

 

sakushusen.hatenablog.com

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 ↑旅の全容はこちらから。終盤戦は、その裏ストーリーである。

 

 

 

今までの旅行で、いくつ忘れものをしてきたことだろう。

タオル、上着、みやげ、スマホ‥‥。

已むないと諦められるものから、病むまいと平静を保つのに精いっぱいなものまで、旅先に幾度となく自分のモノを"撒いて"きた。

いいかげん、忘れものをやめると決意したから、次の2つを徹底することにした。

 

①去る前に確認を

あのとき後ろを振り返っていれば置き忘れることもなかった、なんて後悔よくある話。少しでも怪しいと思ったら立ち止まって、確認すること。旅先といえど浮つきは抑えめで。

②持っていくものを減らす

そもそもモノが多いから落とすのである。減らせるものは極限まで減らしてしまおう。落とすと怖いからクレジットカードも保険証もおいていこう。ズボンも1本あればいい、羽織るものも着ていくやつだけにして半袖シャツだけ着替えを持とう。

 

 

 

朝7時すぎ。深夜バスで京都に到着した。

頭がぼんやりする。例によって、バスではあまり眠れなかった。

バスの中ではさっそくメガネを失くしかけた。幸先の悪いスタートだ。気をつけねばと肝に銘じた。

 

午前10時。東山三条のレンタサイクルに到着。

電動アシスト付き自転車を借りる。念のため保険パックに入り、1日で1700円也。

出迎えてくれた店員さんが言う。今日は午後から雨の予報だ、くれぐれも無理はしないように‥‥。

雨が降る前に、なるべくいろんなところを回っておきたい。

どんより曇った京都の町へ、ペダルを漕ぎだした。

 

自転車の乗り心地は快適。電動アシストでペダルは軽く、東大路通を北へ北へとひた走る。

途中100円ショップに寄り、ごみ袋を購入。雨対策にと、カバンを入れて口を閉じる。

ついでに買った大きなどら焼きは、食費を抑える昼ごはん。大事にカバンにしまう。

となりに大きな薬局。雨が降ったらあそこに逃げ込むか。

 

何度か左右に折れ、いつのまにか山が近い。聞いたことのない通りを走る。

自転車で坂を上るのはきついが、こちらには電動アシストがついている。少々大きくなった気持ちで山の方に前輪を向けたとき、上からなにか落ちてきた。

 

雨だ。

 

まだ11時を過ぎたところ。ちょっと、早すぎやしないか。

とはいえまだまだ小降りのようす。唯一持ってきた上着、フード付きの長袖シャツを羽織って再度漕ぎ出す。

 

と、前方に大きなカーブ。道なりに進むと、曲がりくねった急勾配の上り坂。自動車と歩行者・自転車で道が分かれているらしい。自動車道とつきつ離れつ、木々に頭上を覆われ少々暗い歩行者・自転車道をくねくねと駆けのぼる。

しかし、あまりに上りが長い。道が真っ直ぐに抜けたところ、車止めの前でいったん自転車を止める。

 

https://kyoriver.web.fc2.com/report/other/takaragaike/pict/DSCF7911.jpg

 別の方のブログから写真を拝借。この写真の季節は冬だが、訪れた当時は初夏、枝を伸ばす木々に荒天も手伝って薄暗く、地面には濡れた葉がちらほらと落ちていた。

 

さて、どうしたものか。

このまま上に行くのもいいが、天気が怖い。山で大雨となっては帰りが危ぶまれる。

登ってきた坂を一気に下りきり、市街に戻ることにした。

 

自転車をぐるっと回す。前カゴに入れた荷物と、電動自転車そのものの重さでややぐらついた。

気を取り直し、地面を蹴る。

 

直線の坂を下る。顔に当たる雨が気持ちいい。

つい、スピードを出してしまった。

減速しようと構えた刹那、我が目は下りゆく坂道の上にある"なにか"を捉えた。

白っぽい、ハンカチくらいの大きさ。

まさか、上ってきたときに振り落としたか‥‥?

確認しようと、ブレーキを両手で握りしめた。

 

 

思い出してほしい。

忘れものをやめるため、決意したふたつの項目のうちひとつめ。

 

少しでも怪しいと思ったら立ち止まって、確認すること

 

 

 思い出してほしい。

今の状況を。

天気は雨。路面は濡れている。

急勾配の下り坂。

かなりのスピード。

自転車には重い荷物。

 

そんなとき、急ブレーキをかけたらどうなるだろうか。

 

 

自転車が、真上に跳ねた。

濡れた路面への着地が滑り、そのまま大きく右に傾く。

耐えきれず、転倒。

なおも下り斜面。そのまま、自転車もろとも1mばかり滑落。

止まった後も、勢いよく回転するタイヤの音がしばらく響き渡った。

 

鈍い痛みを右腕に覚えながら、やおら立ち上がる。

自転車を起こしたはいいものの、斜面に止めるのに一苦労。が、不幸中の幸いで、前カゴが少々擦れた以外に自転車にはほとんど損傷なし。カバンもゴミ袋に入れていたので無事だった。

よろよろ、"なにか"を確認するべく近寄ったら、ただの落ち葉だった。

 

そこへ偶然通りかかった、ジョギング中の方に声をかけられる。

「大丈夫ですか?」

見栄を張り、笑顔を作る。実際、擦り傷だと思っていたので大丈夫なのである。

その方が拾ってくれた腕時計。正確には、その破片。

 

右袖を見たら、羽織っていた長袖に大きく赤黒いシミが。

雨も心なしか強くなってきた。

しかし、ここで立ち尽くしているわけにもいかない。

なんせ、旅行中の身である。

 

なんとか自転車にまたがる。曲げると痛い右膝が気になるが、左足一本でペダルを漕ぎ、どうにか出発。

そしてすぐ、恐ろしいことに気がついた。

 

https://kyoriver.web.fc2.com/report/other/takaragaike/pict/DSCF7907.jpg

同じブログからもう一枚。この道の見切れている右側のところで、まさに転倒。

 

その写真を見ればわかるだろう。

恐ろしいヘアピンカーブなのだ。

ここに向かい全速力で坂を下っていたら、どうなったか。

スピードを落としきれず、カーブを曲がりきれず自転車はバランスを崩す。柵に衝突すれば、自転車はおろか体までオシャカになっていたかもしれない。

結果的にはハズレだった忘れもの・"なにか"が、命を救ってくれたのだろうか。

 

 

もと来た道を戻りながら頭にあったのは、先ほど通りかかった薬局。そこで消毒液とガーゼを買えば、なんとか自分でやりくりできるだろう。

とりあえず、右足が曲がらない。左の手のひらも大きな傷があってハンドルが握れない。右腕の痛みが徐々に増してきた。

行きは5分で通った道を、15分かけてヒイコラ戻る。

相変わらずの雨模様。泣きたいのは私の方だぜ。

 

やっと薬局に着いた。カウンターにいた店員さんに消毒液がどこにあるか尋ねる。

状況を説明しようと右腕を指さしたら、店員さんがぎょっとして言葉を失った。

 

とにかく水で洗ったら?と言われ、トイレの洗面所で傷を洗う。ものすごく痛い。

処方箋受け取り待ちブースのソファーに座らせてもらったところで、おばさん店員がやってきた。テキパキと傷の位置を確認し、白い手ぬぐいで右腕を縛ってくれた。

そして一言。「救急車呼びますけど、いいですか?」

 

え?

 

自分でなんとかするつもりで薬局まで這ってきた手前、なんとか言おうとした。

でも、おばさんの目があまりに心配そうだったから、なにも言えなかった。

 

救急車が来るまでの間、ちらっと手ぬぐいを見たらすでに赤く染まり始めている。

このとき初めて、擦り傷で済んでいないかもしれないことに思い当たった。

旅行中という状況が、重症の可能性にフタをしていたのだ。

 

 

5分後。

意識がピンピンしているときに、これから自分を運ぶ救急車のサイレンを聞く。なんてイヤな状況だろう。

車から飛び降りてきた救急隊員の方々。自力で歩く"病人"をみて、少し拍子抜けしたようす。

"申し訳ない"と書かれた紙吹雪が、頭の中を舞う。

自力で救急車に乗る。酸素ボンベとか、救命措置の道具がそこかしこにある。一つも使用することなく、ハキハキと問診に答える。

"恥ずかしい"と書かれたプラカードが、脳内パレードで一斉に行進を始める。

 

ぎょっとしたのは救急車に警察官が乗り込んできたとき。再度状況を説明する。

どうやら、車と衝突した可能性を考えていたらしい。一人でコケたと説明すると、こちらも少しく拍子抜け。

ちょうど入った"別の道で車が横転した"という通報を受け、警察官は早々と救急車から姿を消した。

 

車中で、救急隊員の方に話を聞いた。

自分が事故ったあの道は"狐坂"と呼ばれ、急勾配の坂と鋭いヘアピンカーブで自動車事故の現場として有名なところだったこと。

歩行者・自転車道と自動車道が分かれていたのは、あまりにも事故が多いので最近高架の自動車道が新しく作られたからだということ。

自動車の走る道で転倒していたらこんなものでは済まなかっただろうね、と救急隊員の方は真顔で言っていた。

 

こうして、人生で初めて救急車に乗ってしまったのである。しかも、旅先で。

 

 

担当してくれたのは若いクールな女性医師だった。低い声で、男顔負けのかっこよさである。

正直、笑われると思っていたのだ。救急外来と聞いて一般外来を飛ばし病室に入れた病人が"自爆した擦り傷兄さん"だったら、なんとなく面白おかしいだろう。

 

しかし、笑われなかった。

「ここ、ちょっと脂肪がはみ出してるんで縫いましょか」

 

負った傷の中でも血の出が良かった右腕。なにか白いものが出てる、膿かな~と思っていたら脂肪だったらしい。

ちなみに、左手と右膝に負った傷は(ちょっと重めの)擦り傷。念のためとレントゲン室で念入りに写真を撮ったけど、骨にも特に異常はなし。

 

レントゲン室に向かう途中で窓から外を見たら、雨は本降りを通り越しどしゃ降りになっていた。

雨宿りがまさかこんなカタチになるとは、3時間前の自分も思うまい。

 

薬局で水洗いをしたおかげか、医師に消毒液つきのでっかい綿棒を傷口にグリグリやられてもさほど痛さは感じなかった。

局部麻酔ののち、腕にブスッと2針。「腕に(糸を通すための)穴開けといて」と看護婦に指示する医師の言葉になぜか感心してしまった。医師だから言えるセリフだよなあ、と。

 

左手と右腕が包帯でぐるぐる巻きになり、無事に治療終了。

ケガして薬局に行った話をしたら、ここで初めて笑われた。

クールな女性のお医者さん、しばらく笑ってた。

 

 

さて。一難去ってまた一難。

会計である。

 

減らせるものは極限まで減らしてしまおう。落とすと怖いからクレジットカードも保険証もおいていこう。

 

保険証が、ない。

 

自分が持っている紙幣をすべて精算機に押し込んだのに、帰ってきたのは500円玉1枚だけだった。

 

 

治療費、しめて26500円也。

 

2日目の午後2時にして、3万円チャレンジは既に終了していたのであった。

 

 

 

その後の話。

レンタサイクルのお店に電話をしたら、わざわざ病院まで車を出してくれた。薬局に置きっぱなしだった自転車を回収し、いちどお店まで戻る。

まだ時間はありますけど、もう一度乗りますか?と聞かれたので、厄除守を買いに行きますと言ったら喜んで貸してくれた。

下鴨神社のお守り、大事にしよう。

 

序盤戦や中盤戦でペダルを漕ぐ足が重かったり、水に濡れては困る事情があったり、二段ベッドのはしごを上がるのが大変だったり、カラダを洗うのが大変だったりしたのは、全てこのせいである。

3日目に鞍馬口駅で降りた寄り道というのも、病院での経過観察だった。

着替えは全く持ってこなかったため、血痕残る上着と擦り跡残るズボンで残りの旅程を過ごした。

 

救急車で移動する旅行なんぞ、金輪際ごめんである。

ただ、忘れられない旅行になった。

 

 

そうそう、忘れられないといえば。

 

忘れもの、今回はなし。置き忘れゼロは快挙に近い。

もっとも、保険証や着替えを"持っていくのを"忘れたが。

 

 

 

もう、京都でケガはしない。

さもないと。京都の病院で作った診察券が、次回から東京に置いてきた"忘れもの"になってしまうから‥‥。

 

 

 

 

京都3泊6日チャレンジ 完

京都3泊6日3万円チャレンジ - 中盤戦(表)

 
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 ↑概要と2日目まではこちらへ。

 

引き続き6月はじめに行った旅の模様をお届けしよう。

なお、中盤戦と題しておきながら今回で旅は終わる。

 

 

3日目

三条の進々堂で朝食をとろうとしたが、既に齢人と異邦人で店は大繁盛。イートインはあきらめ、いくつかパンをテイクアウト。三条通を西へ進みつつ、食す。

烏丸通にさしかかろうかという頃、自転車に乗る学生の姿が増える。

中にはよそ見しながら運転している輩も。転倒事故が起こらないか心配になる。

大学でも近くにあるのかしらと思いつつ歩いてすぐ、右手に河合塾京都校が見えてきた。

時刻にして朝の9時すぎ。横を通り過ぎる直前、入口に立つ警備員に睨まれた気がした。サボってるわけではない。私もまた、異邦人なのだから。

 

地下鉄で北上し、鞍馬口駅で下車。寄り道を済ませ、出町柳まで歩く。

住宅が立ち並ぶ中、寺院もまた自然にそこに在る。

門に外部立ち入りを禁ずる柵が置いてあるのを見て、なぜか心が落ち着くこともある。

すべてがすべてに開かれていたら、逆に不安になるような気がする。

全知全能というのも、ひょっとしたらつまらない。

 

再びの鴨川、鴨川デルタ。平日の午前中、幼稚園らしきご一行が水遊びを楽しんでいる。水遊びしたいところだったが、濡れては少々困ることもある。

先日の西日本豪雨では洪水寸前だったという鴨川。この景色も、二度はない自然の営み。

 

出町柳駅から京阪本線に乗り、中書島駅へ。せっかくならばとプレミアムカーの2階に腰を下ろし、後ろに飛んでいく家々を眺める。

吹奏楽を題材としたアニメーション作品とのコラボレーションが開催されているという理由で訪れた中書島駅だったが、宇治・伏見エリアのフリーパスを購入したので下車してみることに。

降りて気づく。酒蔵の町、伏見が近い。

 

利き酒なるものを試してみる。

実は初めて飲んだ日本酒。年をぼちぼち重ねても、口はまだまだ青二才ということか、旨みを味わい尽くすことはできず。

生きていれば避けて通れぬ酒の道。またいつか、あいまみえることもあろう。

 

多少ふらつく足にまかせて宇治川公園を目指していたら、大きく方角を間違えて近鉄京都線向島駅に行き当たってしまった。仕方なしに、京阪宇治線観月橋駅を目指し来た道を戻る。

雲の少ない青空のもと、田畑はまばゆい緑色。否応なしに夏を感じるのは、都会住みだからというわけではあるまい。

 

フリーパスを有効活用するべく、八幡市(やわたし)駅で降りたら男山ケーブルへ。

これも京阪電車なので、フリーパスで乗車できる。

 

最後尾から、登ってきた線路を眺めたら、トンネルが小さくなっていく。別世界に来たような気分になる。千と千尋の神隠しのような感じ。

 

男山の上にそびえ立つは岩清水天満宮

山登りという苦難の先に、我らを救う神がいる。

神道を知らなくとも、"生"の息吹を感じた。

 

再び中書島駅に戻り、京阪宇治線で南下。ちょこちょこ途中下車をはさみつつ、夕方には宇治駅に到着。

 

宿はドミトリー。もうひとりの宿泊者が「響け!ユーフォニアム」の聖地巡礼に来たということで話をするうち、夜の山に登ろうということに。作中で出てきた大吉山という山である。

 

明かりのない真っ暗でうねった登山道を二人で歩く。Goose house工藤秀平氏に似ている彼は栄養士になるべく働いているそうで、夜道の恐怖をまぎらわすようにいろんな話をしてくれた。

そこそこ旅行をしてきたが、旅先で知り合った人と話す、歩くという経験はほとんど初めてに近い。見知らぬ人に声をかけるのは大の苦手だが、共通の趣味はひとつ武器になるようだ。

 

展望台から見える夜景。志を同じくする者が、展望台にかなりの数集まっていた。

 

さて、なぜ「ユーフォ」のファンが宇治に集まっていたかといえば、土日にイベントがあったからである。それも土曜に非公式の、日曜に公式のイベントが、なんと同じ会場で開かれるというから、ファンの鼻息が荒いわけである。

京都アニメーションのイベントに行ったときも思ったことだが、あるコンテンツを好み愛す者がこんなにもたくさんいるのかと知ったとき、同族意識からくる安心と畏れとが毎度入り交じる。

ファンコミュニティのようなネット上の世界が自分の目の前に顕現していること、ちょっと怖い気もしてくる。

 

 

4日目

非公式のイベントに顔を出すつもりだったが、開始時間がゆっくりということもあり、自転車で宇治市内を回ることに。昨日知り合った彼と連れ立って、宿で借りたママチャリでニシヘヒガシヘ。ハンドルを握る手が震える。

 

天ヶ瀬ダム。ハァハァいいながら自転車で走ったダムへの長い上り坂、先の西日本豪雨で土砂崩れを起こし通行不能と聞いた。

京都の水没を防いだこのダム、現在は琵琶湖の水位上昇に伴いかなりの水量で放流が行われているとか。受付の気さくなおじさんの「放流が見ものだけど、台風でも来ない限り放流は見られないんだよー」ということばを思い出す。

 

他は聖地巡礼色が強いので省略するが、昨日会った人と公園の草原でパンを食べながらしゃべることになるとは思いもしなかった。

 

ひととおり回ったところで、宇治市文化センターへ。ここに至る道も急勾配の上りが続く。ゼェゼェいいながら上りきる。

 

本日行われていたのは非公式のほう、ファン有志によるイベントである。内容はコスプレ、即売会、楽器試奏、痛車(車のボディにキャラクターを全面的にあしらったもの)展示、有志によるコンサート。

開催側もどれほどの来場が見込めるかわからず不安だったようだが、即売会は完売続出、楽器試奏にも長蛇の列ができていた。受付時間終了間際にすべりこみ、最後の1人としてトランペットを吹いてみた。チューニングベーってあんなに高いんですね‥‥”金管楽器を吹き続けると唇が死ぬ”理由を心得た‥‥いや、"体得"した。指を押さえるだけで音が変わるサックスって楽だなあと思ってしまったり。

 

コンサートでは宇治まで自前の楽器を持ち寄る愛と根性にあふれたみなさんによる演奏を聞かせてもらった。三日月の舞のトランペットソロが上手だった。

内輪ノリの温かい雰囲気に包まれたコンサートで、「ユーフォ」のコミュニティのバカでかさを改めて感じた。

吹奏楽を全く知らない(知らなかった)人から、コンクールに出るような人たちまで、まあなんと多様な人が集まったことか。

作中に出てくるオーボエ奏者が好きで自らオーボエを買い、教室に通っているファンの方の話を聞いたとき、「ほんとうにいるんだ‥‥」と心の中で都市伝説を聞いたような反応をしていたことがバレていないか気がかりである。

 

大多数の方は翌日の公式イベントにも参加するようだったが、チケットをとれなかった(とらなかった)ので、この日をもって宇治とはお別れ。自転車を乗り回す仲になった彼とも、握手をし再会を願った。また会えたら、とにかく”面白い”と思う。

 

 

さて、なぜか宿を銀閣寺近くにとったので、夕闇迫る宇治を背にまたしても出町柳へ。

またしても商店街で夕飯を買い、鴨川のほとりで即席弁当を広げる。

スーパーを横目に、商店街で惣菜屋豆腐屋、肉屋と回って買い物。楽しい。

 

夜の鴨川(色合いをいじっています)。暗い視界の中、水の流れる音だけが聞こえてくる。

 

このまま寝てしまうのもつまらないと思い、商店街の中にある小さな映画館に足を運んだ。

「出町座」という映画館。カフェや書店と併設されており、カルチャーの香り(なんだそれは)が漂う。ラインナップもメジャーどころというよりは、海外のドキュメンタリーを扱うなど渋いチョイス。建てられてまだ日が浅いようだが、ステキな施設である。

 

学生1000円という値段に惹かれ、飛び込みで見たのは「シェイプ・オブ・ウォーター」。洋画にとことん疎い私でも聞いたことのある、数々の賞に輝いた作品である。旅先で、夜に、ひとりで、映画を見ているという状況に興奮しつつ、映画そのものも大いに楽しんだ。

 

‥‥が、いかんせん洋画の類をスクリーンないしテレビで見ないためか慣れておらず、主人公が虐げられるシーンをみるにつけ「早く終わってくれないかな‥‥」と震えていた。アンパンマンの顔が濡れるやいなや寝室に逃げ帰っていた幼少時代からなにも変わっておらんな、とため息もこぼれるというものだ。

 

いやに文化的な夜を過ごした1080円の宿は、映画を見終わり戻ってきたタイミングで入口のカギが壊れ、中に入れなくなった。その後来た中国人に「でぃすどあーめいびーろっくど!(This door may be locked.)ぜいとらいとぅーあんろっく、ばっときゃのっとおーぷん!!(They try to unlock, but cannot open.)」とたどたどしく説明。なんとか汲み取ってもらえたようだ。

5分後、横の非常口らしき扉が開きなんとか事なきを得た。

 

中はほんとうにオンボロで、ドミトリーなのに床が激しくきしむ、肝っ玉のちっちゃい人間としては激しく精神を摩耗する館であった。相変わらず、カラダを洗うのもたいへんと来ている。

でも、寝られたのでOKです。(親指をグッと突き出す)

 

 

5・6日目

朝ごはんは昨晩目をつけておいた出町座併設カフェの「きゅうり三種サンドウィッチ」。

ボリュームある具材を片手に、カウンターにおいてあった「シェイプ・オブ・ウォーター」のパンフレットをめくる。デル・トロという人物、かなり面白そうだ。

 

さて、6日目といえば深夜バスに心身を削り取られるだけのものに過ぎないから、5日目が実質的な最終日である。

「夏の関西1デイパス」を使い、最終日ばかりは京都を離れてみることにした。

 

 

近鉄京都線でひたすら南下。大和八木(奈良県)で乗り換え、大阪線赤目口駅(三重県)まで1時間半ほど。バスが来るまで少し駅周辺を歩いてみるが、見事なまでになにもない。

橋から見える川の流れは今日も穏やかでー。

西日本豪雨で様変わりしていなければ良いのだが。

 

40分後やってきたバスに乗って到着したのは赤目四十八滝

渓谷を歩けば、数々の滝に癒やしをもらう。

道はかなりアップダウンがある上に、石の階段が濡れていると滑るのが怖い。歩きに歩いて、足は相変わらずじんじん痛む。

それでも、潤いのある夏木立に活力を与えられ、不思議と前に進む進む。

 

透明感著しい水。映り込む新緑を揺らす、小魚の影。

 

時間の都合上、端まで行くことはできなかったが、また来たいと思わせる美しい場所だった。

水槽の中のサンショウウオに見送られ、赤目四十八滝を後にした。

 

とりあえず近鉄で大阪に出て、夕飯。実はこの時点で3万オーバーが確定していたため、開き直って少々リッチな駅ビル夜ご飯。

 これで1000円超えるんだぜ‥‥お金ってのは上に際限がないものだ。

 

帰りのバスは京都から出るので、ひとまず京都に戻る。しかしヒマである。

少しでも現地にいたくて出発時間をつい遅らせてしまうが、酒も女も嗜まぬゆえ夜は案外とすることがない。

 

ここで、フリーパスの存在を思い出す。近鉄往復券とJR区間乗り放題券が入ったセットだが、後者はほとんど使えていなかった。

帰る前に、もうひと回り。琵琶湖線に乗り、大津駅で降りてみることに。

 

降りたのが22時くらいだから、もう夜が張り出して久しい。琵琶湖に続く広い道に、ヒトも車も影を落とさない。京阪京津線の踏切を渡ったら、静かに水の音が聞こえる。

 

夜を映す湖は黒く、空との境もわからない。夜の天球に迷い込んだようだ。

ぽつりぽつりと見える人影はみな釣り人。放浪の釣らぬ人は所在なく、湖近くのベンチに腰を下ろす。

 

自分より大きい存在に体を投げ出して、いろいろあった旅行を回顧する。

 

 

車に乗せてもらったこと。ひもじい昼ごはんで食いつないだこと。

出町柳にのべ3日訪れて、なにかあたたかい気持ちをもらったこと。

外国人に道を聞かれて、たどたどしく返す自分が情けなかったこと。

水を堰き止めるダム。山を祀る神社。

自然と人間のあいだの営み。

別のところから集まったヒトとの、たった1日の遠出。

知らぬヒトの数だけある、知らぬセカイ。

 

 

このまま一夜を過ごしてしまいたい気分になったが、バスが京都で待っている。そして羽虫が掃いて捨てるほど‥‥はたいて捨てるほど飛び回っている。いいかげん追っ払うのにも飽きてきたので、ぼちぼち京都に戻ることにする。

 

バスの待合室に入ったら、パイプ椅子を3席も使って太っちょな女性が爆睡していた。

乗っていない客を読み上げるバス乗務員の声が遠くの方からかすかにするが、いびきに遮られ彼女のもとへは届かない。

結末が気になりつつも、ヒトにはヒトの深夜バス。

幸運にも隣のいない4列シートで、東京に戻った。

 

 

結果

一応目標として掲げていた3万円チャレンジ、達成はならず。細かい地下鉄の運賃や駐輪場代金などを数え忘れている可能性はあるが、イレギュラーな出費を除き概ね3千円オーバーという結果に終わった。このぐらいなら、まあ許容範囲である。預金残高が過去に類を見ないペースで減り続けていたこの時期、なんとか食い止めたと思われる。

 

 

まとめ

琵琶湖のくだりでまとめのようなことを書いたから、改めて書くまでもない。

自由度高く、言い換えればテキトーあるいは思うがままにあちこち飛び回ることのできる一人旅ならではの利点を活かし、楽しい時間が過ごせた。

ふたつ、思うことがある。

ひとつ、なぜ毎度雨が降るのか。雨を流さねば旅行は不成立なのか‥‥?

ふたつ、なぜ今回に限ってあんなものまで流したのか‥‥?

 

 

 

予告

読者の方は不審に思われたかもしれない。この中盤戦、あることに関する記述がほとんどないということに。

むろん、「3万円チャレンジ」のことである。序盤戦では節約にいそしむ様子が垣間見られたが、中盤戦にはほとんどみられない。

『もしかして、途中で忘れてたんじゃないの?』

それもある。だらしのない話だが、そこにはちょっとした事情がある。

 

次回・終盤戦で、そのあたりのことをお話ししよう。

たいしたものではないが、序盤戦・中盤戦の2記事にわたり、伏線はあからさまなものも含めちょこまか張ってある。

おヒマでしたら、推理してみてください。(いや本当にそんな大したものではない)

 

 

 

終盤戦に続く。