disc1-1
音声特典と重複する部分もままありますがご容赦。
1.たしかなこと/小田和正
ネタありきの選曲。今思えば明治じゃなくてR教だったが、元ネタが行方不明になるので控えめにしておいてよかったかも。
2.(曲名不明 ※COUNTDOWN TV)
音楽番組ってことでいろいろ調べて出てきたのがこれ。youなんとかに上がってたのをまんま貼り付けただけ。
MCの声も自分でやったが、スキルがなさすぎてテイクを重ねるたびに別人になった。最後の唱和には調整がメンドウになったので素の声が入っている。
3.太陽ノック/乃木坂46
これの映像がたまたま手元にあったので、これをもとに前後のつながりを考えた、だから音楽番組のOPになった。上のテロップはMステを意識した。
このパートは使用可能写真が諸事情によりかなり限られていたので、尺合わせで同じ写真を2回使ったりした。なるべくプログラム順に並べた。上映当日の早朝、このパートを最後に制作したので、眠すぎて自分でも何を作ってるのかわかってないまま出力した。写真が動いてないのはもろそのせい。
COUNTDOWN TVで展開する元気は残っておらず。
4-0. 雨の音
どっかの環境音サイトから引っ張ってきた。
4.追求 ~大逆転のとき/北川保昌【大逆転裁判】
勝手に恒例になった逆裁ノルマ。「大逆転裁判」は2015年夏に発売だったので、ある種新鮮な時期での選曲。本当は説明映像をちゃんと作るつもりだったのだが、技術と時間の面から断念。ナレーションって難しいなあと実感。
効果音も9割方逆裁だが、「フィクション」のくだりでなぜかリズム天国の効果音を使用している。
5.光るなら/Goose house
2015年春にこれがop曲に使われていた「四月は君の嘘」をみてハマったから選曲。最初と最後で元ネタならびにそのopを意識、主に背景。九月は謎の雨ってなんだよ。
「クラスが偏らないように写真を配置する」というのが、ここに限らずすべての映像に通底する難題だった。もらったデータの中から作らなければならないので、集合写真があるクラスとないクラスがあったり、写真の数が違ったりする。さらに撮影者のクラスや編集者のクラスの偏りもあり‥‥と、編集に至る前のあらゆる偏りが塊になって襲いかかってくるので、まあ気を遣った。クラス順に並べてみたり、足りないところには先生の写真を入れてみたり、意外と試行錯誤をしている。この問題はかなり根深いので、続きはいずれ。
アウトロの部分で副団長は来年団長だね~みたいなつながりを意識している。
好きなドラえもん映画の主題歌から。冒頭の鈴はこの映画のエンドシーンを意識。誰が分かるんだ?
Aviutlのパーティクルを初めて使ってみた(白い泡みたいなやつがいっぱい出てくるやつ)。ビミョウ。
わかりやすくクラスごとに時間枠をガチガチに決めて、写真の登場順も外装→内装→その他に固定。
写真のチョイス、ちょっと微妙だったね。
7-0.犬と猫の鳴き声
犬や猫はなんの関係もなく、次の曲が「ワンニャン時空伝」の主題歌だから、ってことでワンとニャンなのである。なぜ入れた。
7.YUME日和/鳥谷ひとみ
「映画ドラえもん のび太のワンニャン時空伝」主題歌。いい曲。
6.の曲尺上3クラス分しか入らなかったので順番を入れ替え、学年内1位だったクラスだけ別の曲にするという策をとった。不平等になるならその理由が説明できないとなあ、という自分なりのルール。
サビ前で出演者しりとりみたいなことをしているが伝わらない。
8.candy wagon/葉加瀬太郎
BGM集めのためだけに借りてきたアルバムでいい曲発見、ってことで投入。
冒頭の英字は「TEQUILA」「GOD」「DANCE」「Super Idol」「WOTA-GEI」「Bridge of Glory」色は合わせてみたりぞんざいだったり。なんのことだか思いだせますかね‥‥。
誰かが動画を撮ってくれていたので、入れない手はないと思って入れた。なんでフルだったんだろうね。
最後の3人の写真は「これを作らせた先生」の提案で入れたはず。
10.Summer/久石譲
夏の思い出、ってことで安直なエンディングテーマ。
エンディングに自分の御託並べるのは恒例になっ(てしまっ)た。毎回、”フラット”を心がけ自分の主観は排除したつもり。見る人によっては冷酷にイベントの終わりを突きつけているように見えたかもね。
あと一度が"もう"なのか"いよいよ"なのか"やっと"なのかは人によって違うだろうし、それを制作者の主観で決めつけるのははばかられた。
「そして‥‥」
「終わっていく。」
「今年も、終わっていく。」
「夏が、終わる。」
「〇〇〇の夏は、あと一度。」
拝啓、最後の先輩方
4年前、冬の日。年末が差し迫り、一年の清算をはじめる人々をよそに、見ず知らずの集団に頭を下げ新たな環境に身をおいた男がいた。
男が顔を上げたとき、そこには30人を超える先輩がいて、ヤブから這い出した新参者をあたたかく受け入れ、トラックに乗せた。や、トラックには自ら乗ったが。
よんどころない事情、もっぱら学年という肩書きのせいで、夏の舞台は1度きり、定期演奏会での演奏も2回にとどまった。慣れを感じはじめたころにトラックの可動式荷台から降ろされた(これが引退の婉曲表現って、どうなの?)男は、部活を円満に離れた状態で先輩の活動を見守るという、奇妙な立ち位置についた。叶わなかった先輩との合奏を果たすために、半ば強引に合宿に参加した。先輩の結実させた集団の姿が見たくて、今に至るまですべての演奏会を鑑賞した。
今思うに、男は引退後も積極的にこの部活に参加することで、本来入部から引退までにかかった時間の分だけ追体験をしていたのだ。
そして、”入部して5回目”の定期演奏会を、ほんの少し特別に位置づけて迎えた。
男にとって、”最後の先輩方”の引退が控えていたから。
初めて楽器庫のやや重めのドアを開けた日から、彼らはずっとそこにいた。毎年の引退はいつも手を振って見送る側で、男の知る”吹部”を守ってきた。男の”吹部”パレットにはずっと彼らの色があって、その色こそが”吹部”なんだと、いつしかそう思っていた。
それが幻想にすぎないことも、また知りながら。
開演、入場。毅然とした顔に浮かぶ、彼らの熟れ(うれ・こなれ)。同時に、率いられる側のあどけなさ残す下級生に、在りし日の彼らが重なって見えた。過去も今も、同じ舞台の上にあった。
演奏の話は、正直言ってちゃんとはできない(1年ぶり2回目)。以下言い訳。
これを当たり前といって逃げたくはないが、男は技術とかそういうものにさほど詳しくない。演奏のことは「いい」か「よくない」ぐらいの違いしかわからない。先輩ヅラを取り繕ってきたものの、努力もしていない現状ではアドバイスにも限りがある。
それに、情が入ると感覚が鈍くなる。演奏そのものより演奏するヒトを見てしまいがちだったから、肝心の演奏について覚えていることがあまりにも少ない。
他の卒業生のように曲目に思い入れがあるわけでもなく、ただ単に演奏を聞くのでもなく、演奏していることそれ自体にいちばん重きを置いていた、というわけ。
なにより1ヶ月以上前のことを鮮明に思い出せないのだ
以上言い訳。
一部からアクセル全開ふかし気味だったのは”期の特色”というか、ここ最近ではあまりない立ち上がりだったのではと思ったり。悪い意味でなく。
そして今年も司会へ襲いかかったスウェアリンジェンさんだった(司会の方お疲れさまでした)。来年も戦いから目が離せない。誰がやるんだろ。
二部、踏みっぱなしのアクセルが多少緩んできたタイミングで曲が追いついてきた感じ。9月の練馬を思い出す、楽しいステージだった。客席で手拍子に狂った。
彼が司会やるのも最後か。初司会の彼に台本を書いて無茶をやらせた4年前がよぎって感慨にふけった。
三部、一度本番前に聞いていた平和への行列はあのときよりずっと良く聞こえた。マードックもよく仕上がっていた、あんな大曲なのに。アンコール、「人数が多いとやっぱり良く響いて聞こえるね」って誰かが言ってた。
あと、部長挨拶がパワーアップしていた。名前を呼ばれ立ち上がった彼らを見て、「(ここ最近で)元祖・人数の多い期」だったのを改めて思い出した。
演奏会はあっけなく終わった。気づいたら男はトラックに乗っていて(なんで?)、気づいたらいつものロビーで、あふれかえる部員とあふれかえる感情の端で、11人の”最後の手紙”を聞いていた。
1年間最高学年として航海を続けた彼らの船が、まさに沈まんとするとき。
共に旅した者たちへ、次の船に乗る者たちへ、親しく愛した者たちへ。
立った波の形を偲びながら、船の大事を案じながら、明日の海の天候を憂いながら。
それぞれの思いが綴られた11通。春の宵、言の葉が舞った。
拝啓 最後の先輩方
温かさと暑さのはざまで今にも春を忘れてしまいそうなこの頃、いかがお過ごしですか。9ヶ月後輩の身から、稚拙なお便りです。
入部時期が近いので、皆さんには勝手ながらある種の親近感を抱いていました。一足お先に部を去ってからも、早すぎる引退への未練がくすぶるたびに思い浮かぶのは皆さんの姿でした。5年間を走りきった皆さんを尊敬しているし、同時に少し羨ましくも思っています。
たぶん僕が積極的に部に顔を出していたのは、皆さんへの羨ましさに端を発していた気がします。上にも書いたけど、追体験というやつです。僕も、一番長い道のりを走り切る経験がしたかった。そういう意味では、皆さんが祝われながら引退を迎えたことは誇っていいと思います。
僕もそれこそ1年生のときに入部していれば、と思ったりもします。でも、うちの代が最初からこの人数だったら僕はサックスパートに配属されていなかっただろうし(少なくともバリサクは吹いていなかったでしょうね)、仲良くなる先輩も後輩も違っていただろうし(同期はどうせ仲良くなったと思っていますが)、もっと部活の闇に苦しんだろうし(幹部なんて可能性もあったのか)、合宿でヘタクソな恋ダンスをキマジメな彼奴と踊ることになんてならなかっただろうし(ノーコメント)、たぶんこんなブログで長々と感想を述べることにはならなかった。
そう、このブログのこの感想こそ、追体験の最たるものなのです。僕が活動していた時間はあまりにも短かったから、僕が直接関わっていない行事の感想なんかを書いて、あたかも参加したように思いたかったんでしょうね。自己満足、きっとそうなのでしょう。
月並みですが、皆さんがこの1年間で作り上げ魅せつけた演奏会、とても良かったです。部を率いる皆さんの姿は押しも押されもしない最高学年のそれでした。
思い入れのあまりとうに客観性を失ってしまった僕にはもはや”粗”と”味”の判別がつかなくて、演奏会が成立したことだけでもう特大の拍手を送りたい気分になっていたから、少なからず偏った評価であることは疑いようもないです。けれど、きっと”粗”に関しては演奏者という存在の一番近くにいた自分自身にもう痛いほど身にしみていることだろうから、第三者が今さら主観を覆してまでほじくり返すことではないでしょう。
定期演奏会って、どうしても「舞台装置」と不可分なんですよね。「演奏会」が前に出るか、「引退」が前に出るか‥‥前提である前者を置いてけぼりにして、舞台を中心として盛り上がることもありうる(一方、「舞台装置」を見に来ているお客さんもいるから、話はややこしい)。
「舞台装置」が前に出ることもひとつの形として立派に成立しています、技術にもまして感情の乗った音だってヒトを動かします。
そんな形だったなあって、変に悔やんで恥ずかしがって歪めずに、そのままの形で覚えておくことが未来をちょっと豊かにするんじゃないかな、と思うのです。
たぶんそのうち、青い果実の瑞々しさ、熟れた果実のまろやかさを嗅ぎ分け、それぞれに堪能できるときが来ます。いつか自分の感覚のレパートリーを並べるとき、大事に育てもぎ取った、そして大事に包んでおいたちょっと青めの果実が、感覚に広がりをくれる、なんだかそんな予感がします。
下書きに残っていた過去の僕に言わせると、皆さんは「感情のもつれ、現実のほつれに顔を覆いつつも、ここが底と信じて這い続ける気力があった頃。避けて通れぬイバラの道を、傷を負っても進み続ける覚悟があった頃。」に該当するらしいです。ほんとかな。
部のスタイルを、守りつつも(僕はこの”つつも”というのが出色だと思う)攻めて挑み戦い変え革めていった皆さん。こういうと怒られるかもしれないですが、諦めることはいつでもできたはずだと思うから、走り抜けたことはただゴールに到達したのみではない、障害を乗り越えたこともちゃんと意味していることでしょう。
僕という「年上の後輩」みたいなよくわからない立場の人間が部内でどうたち振る舞えばいいのか、最初ほんとうに悩みました。個人的なつながりだけでやっていくのかな‥‥とか、ね(なんのことだろうね??)。皆さんが積極的に声をかけてくれたから、開き直って「先輩ヅラ」できたのかな、と思います。
それはとても楽しく、同時に未練を生むわけで。。。新しい場所に行っても、未だ引きずられるように高校の話ばかりしてしまいます。
でも、こんな現状だからこそ、あの時期に入部してよかったと心から思っています。皆さんの後輩でよかったと思います。未練があるってことは、きっとすごく楽しかったということだから。楽しい思い出の一片になってくれて、ありがとうございました。
タイタニックは沈みます。皆さんの乗った、皆さんの率いたタイタニックも沈んでいきました。今度はいっしょに海の底から、新たな陽に照らされる水面のキラメキを眺めるとしましょう。
そのときまで、またいつか。
敬具
ワカルの季節
春は別れの季節、なんて凡庸な書き出ししか思いつかないが、春をひとつの節目とするニッポンの風習が続くかぎり、春は別れの季節である。名残惜しさを胸に散らして、カスミをかき分け、温めた場所を離れていく。
環境が”代わる”ことはほとんどなくて、新しく”増える”だけなんだけど、そんなに多くを覚えていられないから、”代わる”ように思える。新しい環境に向いた分だけ、昔からの環境にはどうしたって心を届かせづらくなる。単純接触効果なんて言葉があるが、きっと環境にも当てはまる。会った分だけ親しくなる。会わない分だけ疎遠になる。
それでも、幸か不幸か”代わり切る”ことはできない。思い出は顔のない栄養になって、今の自分を形作る。無意識の下で、過去は息づく。増えすぎて溢れそうになったら、芯を残して削られていく。新しく惹かれた環境の中、不意に見えた昔の思い出の影は、当時より美しくなっている。
”別れ”という言葉は元には戻らないんだという不可逆性を秘めている気がする。再び会ったところで、もう前とは確実に何かが変質している。18歳のワタシは18歳のアナタと別れ、20歳のワタシが20歳のアナタと会って、”同じ”だった環境の上に”違い”が積まれていて、それに気づく。あるいは会わずとも、ワタシのいる新しい環境にアナタはいない、そんな”違い”を認識するだろう。”別れ”の先に、違いが生まれるべくして生まれるのだ。どことなく悲しい、まだ”同じ”でありたいのに、変わってほしくないのに変わってしまうことを惜しむような、少々後ろ向きの”違い”が。
これが”分かれ”だったら、どうなんだろう。
なんとなく、あくまで個人的にだが、はるか遠くで再びつながっている可能性が残されているような気がする。クラスに分かれ班に分かれて得た経験は、それぞれに”違い”があるけれど、それは想定され期待された”違い”だ。”分かれ”は、”違い”があることを念頭に置いた上で進む。再び会ったとき、それぞれ”違い”を獲得したという点でワタシとアナタは”同じ”になる。その”違い”はきっと誇らしく、自らが獲得した”違い”でもって、アナタとの”違い”を楽しむ、少々前向きの”違い”。
離れたのち絶対に生じる”違い”への姿勢が消極的か積極的か、そんな”別れ”と”分かれ"の”違い”。春は”別れ”と”分かれ”がどちらも入り交じる、ワカレの季節なのだ。
この2つの言葉の"違い"を調べると、”別れ”はヒトに、”分かれ”はモノやコトに使うという。ヒトは”分かれ”ほど単純に”違い”を受け入れることができないからこそ、その後ろ髪を引かれる”別れ”が、人間模様を彩るのだろう。
ところで”分かれ”(終止形で書くなら”分かれる””分ける”)という言葉の語源は「我離る(わ・かる)」と言われているそうだ。「自分がヒトや場所から離れる」、これは「分かる」、理解するという意味の言葉にもつながっていく。
「分かろう」とするとき、たいていの人間は道理や筋道に物事を照らして、真であるか偽であるかの判断を行おうとする。これは真と偽を道理や筋道によって”分かって(分かちて)”いることにほかならない。逆に言えば、真と偽の差異がはっきりしないとき、それは二重に”「分かってない」”のである。真も偽も、全ては”同じ”な状態である。"違い"を知って、初めて真と偽を”分かち”「分かる」のである。
離れるということはどこまでもマイナスなことではない。”同じ”である限り、それは「分かって」ないことなのかもしれない。
新しい環境に身をおくことは、かつての環境で共に過ごした誰かを「分かる」という、より高度なフェーズの始まりでもある。一時的な”別れ”は、長く続く”分かれ”の先で「分かり」になる。
春うらら。一歩踏み出せば、ワカルの季節が待っている。
櫛の歯を欠いたまま
年をまたいで三十余日。冬の夜の冷え込み厳しく、つい半年前のうだる暑さなどなかったかのような寒一色の日を過ごしつつ、そういえばとこの場末の「ひとりごち場」の存在を思い出したわけなのだ。
スミとホコリにまみれた暖炉に、そろそろ薪をくべるとしましょうか。
謹賀新年、一攫千金、合格祈願、千客万来。
駄文に数え方なんてものがあるか、不勉強にしてわかりませんが、今年もいくらかの駄文にお付き合いくださいまし。
ものはついで。
↓ゆく年くる年について検討した昨年の正月記事。
そんなことはさておき。
この頃巷に流行るものとして、”強い言葉”を挙げたい。
なにかを称賛するとき、あるいは誹謗するとき。良いものを良いというとき、悪いものを悪いというとき。断定的な一言が口から飛び出して、評価を終える風潮があるような気がする。
「天才」とか。「尊い」とか。「虚無」とか。「○ね」とか。
こういう状況になるのも、ある程度説明はつく。
インターネットが普及して進歩して、パソコンのような媒体を通してコミュニケーションをとる機会が劇的に増えた。そしてメールやブログのような「片方向×2」、手紙のやりとりのように少しの間をおいて為されるコミュニケーションから、LINEや各種SNSのような「双方向」、直接会話しているような即時のコミュニケーションへと中心が移ったことで、「すぐに」自分の感情を伝える必要が生じた。
顔を合わせていない分、画面上に現れる会話以外の一切は「無」であり、その間を嫌う情動もこれに寄与しているだろう。直接顔を見ていれば、考えている様子や表情から読み取れることもあるが、SNS上にはたち現れない。
結果、短いことばを使ってそこに自分の感情を詰め込むことで「発言」にかかる時間を短くし、そのうち使いやすいものを「定型フレーズ」としてストックし常に手札としてすぐに出せるよう持っておくことで「発言」を考える時間を短くし、といった努力によって出来上がったのが”強い言葉”なのである。
インターネット掲示板上で生まれた多くの新語の誕生過程には「省略」が含まれているし、新語でなくてもより感情の程度の大きい言葉が選ばれ、使われている。
さらにこの文化がインターネットの世界から日常社会に輸入され、会話の中に”強い言葉”が折り混じって、今の状況になったのだろう。会話の間を嫌う情動が、ここでも影響していると思われる。
この状況を否定しようとはとても思わない。時代の潮流を、棒切れ一本で変えられようはずもないし、特に変えたいわけでもない。悲観というのも少し違う。あくまで自分に落とし込んだ上で、自分はそうでないようにしようと思うだけだ。主語は、なるべく小さくいこう。
確かに便利である。重い国語辞典を頭の中に入れて歩く必要はもはやない。先ほど手札という言葉を使ったが、好みのカードを十数枚ストックしておけばいいのだ。その場その場に応じて、パッと出すだけで事足りるのだから。知識が入り用のときは、自分に代わって手に収まる電子頭脳が答えてくれる。
持てる武器が強くなったから、それに合わせて自分の行動を最適化し効率の良いパターンを編み出す。適応という意味では、人間はとても優れている。
しかし。それでいいのかな、という思いが首をもたげる。
便利を追求しすぎて、戻れなくなりはしまいかと。
たぶん、いまさら交通手段のない生活には戻れないだろうし、上下水道のない生活にも戻れない。新しい道具に浸かるということは、古い道具との決別も意味している。
ブログブームが過ぎた今もこうして誰に読まれるわけでもない文章を書いている。メールも好きだ。長すぎもせず短過ぎもせずの文章を懸命に考えて送信し、返信をしばし待つ、どことなく落ち着かず心のどこかがわずかにヒリヒリしている感覚を愉しむ、しかいこんな機会もほとんどなくなった。あるのは定型文で固めた業務連絡だけ、文章を考えるのも返信を待つのもちっとも愉快じゃない。
ここでいう”強い言葉”というのはもともとある言葉も含まれているから、新しい道具というよりは言葉の新しい使い方、とでもいえようか。しかしこれに浸かるあまり、コミュニケーションを「じっくり」とる感覚を忘れてしまいそうで、それがあまりにも寂しくて、川の流れを見つめるだけの尖った石になっている。
とはいえ世の中広し、”強い言葉”を濫用しつつも場面場面でしっかりした切り替えを見せこなしていく人がたくさんいる。そういう人からしたら、考えすぎダヨと一笑に付すところであろう。いやしかし、世の中広しという以上、切り替えられない人もいるわけで、例えばこれを書いている凡夫がまさにそうであって、ひとたび”強い言葉”に染まったら、すべてが朱に染まって赤くなってしまう。真っ赤に染まることを是としない以上、”強い言葉”に背を向けたくなるのだ。
昔の人は感情を表す言葉を、微妙な差異を埋めずにたくさんこしらえた。これを大きさ・程度で数値化し、順に並べられるとしよう。0から100までの感情は、連続して絶え間なく表されることはなく離散的であるものの、少しの間をおいて櫛の歯のように並び、小さな範囲を少しづつ受け持ちあって、感情をあまねく表す。なめらかに櫛が動いて、美しく生活を彩る。
時代を下るにつれ、その歯がだんだん欠けていく。
表現の豊かさより、櫛の歯の数より、速さを求める。短さを求める。
櫛をせわしなく動かして、引っかかった歯がとれて、消えていく。
少ない歯でも、力を入れれば使えるさと強引に動かすその手付きは決して間違っているわけではなく、でも「淘汰」で片付けるにはあまりに忍びない。
端の歯だけが残って、引っかかりが少ないと喜ぶ裏で、感情は梳かされず塊になって、インターネットの海に放たれ、一瞬の水しぶきのあと沈んでいく。
とはいえ。塊のままにしておきたいときもある。細かく砕くのが手間でメンドウで、エイヤッと投げてしまうときもある。いつまでも気を張っていられるほど強くはないのだ。
だからたまにはこういうところで、櫛を修理し磨くわけなのだ。
多少欠けて汚れていても、自分の櫛と誇れるように。
と、いうわけで。新年早々、長々と草々。
物好きな方は、今後とも櫛磨きにお付き合いくださいませ。
衣替えには向かない日
列島を襲い、関東にも激しく爪を立てた台風が、取るに足らない雲までかっさらって北に去っていったから、再び夏が来たようだった。めまいがするほど唐突で、くらくらするほど灼熱の青空。秋を迎え、早くも忘れかけられていたのを寂しがるように、今日ばかりは暑さにぼやけて夏の入り口が見えた気がした。
神無月に入り、ぼちぼち衣服の袖も長くなってきた。休暇という長い眠りから覚めたばかりで、曜日感覚どころか"月感覚"さえ失っている身としては気温に合わせた服装を一日一日とるまでなのだが、年度下半期の始まりに合わせ服を替えると決めた明治の役人の"切り替え給え"という声が聞こえた気がして、しゅんとした姿勢もいくばくかシャンとした、と思いたい。
混沌で幕を開けた都民の日は、しかし昼には晴れ渡り、何の気なしに訪れた池袋には少年少女とその保護者があふれていた。生粋の東京都民なのか、はたまた台風で学校が吹っ飛んだ埼玉県民なのか、見分ける術はないけれど、どっちにしろ休日を謳歌していることに変わりはない。サンシャインシティの地下でラーメンをすする横でも、親子が楽しげに遊び回っていた。
サンシャイン60通りを駅へと向かう途中、HUMAXの前を通りかかったとき、横に学生服のブレザーが2つ並んで歩いているのが目に入った。かたっぽが男の子、もうかたっぽが女の子。ちょっと暑そうな顔をしながら、会話も心なしか少なく思える。律儀に着ずとも脱げばいいのに、"衣替え令"の敷かれた学校からの帰り道、なんとなく羽織ったままなんだろう。つかずはなれずの距離のまま、いずこともしれぬ池袋の喧騒に溶けていった。
季節外れの猛暑をうけて、街ゆく人の多くが半袖のような開放的な服装だったからこそ、重そうなブレザーに包まれた彼らを見て、衣替えのことを思い出したわけなのだ。とはいえ、衣替えと聞いてクローゼットから現れたブレザーの戸惑い肩を落とす姿が見られるのも、今日限りだろう。この暑さも、幻のごとく数日のうちに消え失せ、嘘のようにブレザーの快進撃が始まっていくのだろう。
しょげたブレザー、なんてちょっといいものを見た気分になった。しょげたといえば、台風が去ったあと機能麻痺していた東京も、少しづつ回復していき、早くも元の姿に戻ろうとしている。しょげた東京も、あまり見られたものではない。二重の意味で。
その頃私はといえば、着ていった襟付き長袖シャツをしょげさせ、こちらも衣替えに失敗していたのであった。いやー、暑かった。長袖なんて着るんじゃなかった。