色メガネ売場

目の届くかぎり広く、手の届くかぎり深く

Please make my room clean!

部屋の片付けが終わらない。

人を招く計画とともに立ち上がった一大プロジェクトは、計画の頓挫をもろともせず膨らみ続け、最近では帰宅するたび自分が知らない部屋に招待されているような感覚さえ覚える。

 

苦手だ。片付け。

なぜ苦手なのかにも心当たりがあって、きっとそれはカンペキを追い求めているから。

 

ありとあらゆる所有物を分類しつくし、自分で定めし配列どおりに整列させることこそ片付けであると一念発起するたび、そのあまりにも巨大であまりにも無謀な計画ぶりに道半ばで挫折し、むしろ分類の外にはじき出された物物物が溢れ出して"片付け"開始より"片付け"停止の方が乱雑な部屋模様となる。

片付けにカンペキがあるとしたら、それは一瞬でもその収納場所や存在意義に疑問を感じたものをひたすらダストシュートする職人にのみ与えられる称号であろう。

 

だから、探せ。妥協点。

 

部屋は生き物なのである。いつでも同じところに同じものが絶えず存在するはずもなく、持ち込まれ、並べられ、取り出され、動かされ、使われ、捨てられ‥‥動かない部屋などないのである。

それはまるで下手な人が持つルービックキューブのように。ある面が常に違う色の組み合わせを追い求め続けているように。

そこに分類・整列の概念を堅苦しく適用しようとしたら、部屋の住人たちだってストライキを起こしたくなるに決まっている。意地でも元の場所には戻ってやらねぇ、と。

カンペキに整える理想など、追うだけ無駄だ。

 

さらに、部屋には、そして床で無力にも散らかっている彼らには、歴史がある。片付け場所を与えられず、難民として過ごした不必要な歴史が。

ひとつひとつの歴史は大したことなくても、それが大量に複雑に絡み合っているのだから、部屋は戦場と化している。

 

歴史など与えず、最初からこまめに定めてやればよかったのだ。彼らの持ち場を。

肥大化する前に、氷のつぶては溶かしておくべきだったのだ。自分を痛めつける前に。

 

ルービックキューブをひっちゃかめっちゃかに回して絶対に戻せないと青ざめているような、氷山の一角をかき氷にして腹を満たしてしまい、さらなる掘削を怠った結果氷山の雪だるまが出来上がっているような、そんな状態でカンペキなど、目指すほうが馬鹿げている。

 

そこそこを目指そう。気負わず。

 

さて、物の山に囲まれながらキーボードを打つのはこの辺にして、復旧作業に戻ることにしようか。

復旧は終わるのか?今よりはマシだと片付け前の状態に戻ることになるのか?

とにかく、終わることを願うばかりだ。

 

一番片付けるのが難しいのは、片付けそのものかもしれない。

 

 

 

 

○最近のステキソングコーナー

「不思議/スピッツ

サビの晴れ晴れとした開放感が素敵。夏、トンネルを抜けたら一面の青い海!というイメージ。Aメロの歌詞が好き。

【知ったかぶりタイム】

サビのコード進行(おそらくⅣ-Ⅴ-Ⅲm-Ⅵm)によるものか、王道感に溢れた曲。