色メガネ売場

目の届くかぎり広く、手の届くかぎり深く

光を放った者だけが

思考や感情を披露するとき、脳みそを直接つないであますことなく伝えられるのだったら、"ことば"などという不完全な道具を振りかざして、本来生まれるはずのないすれ違いやぶつかり合いを育てる必要はない。言語化という作業は、ある種リスクを背負う営みだ。

感想文もことばの集まり。なるべく相手の顔色を見ないように(それでも多少意識はしてしまうが)、純に表すのを目標に、エイヤッとこしらえてみる。

 

‥‥いきなり御託を並べてどうした、と思われたかもしれないが、これも一応フリであって、というのも"ことば"というカタチをとって残るものならまだしも、音楽は(あえて"ことば"と比較すれば)カタチをとらず直に飛び込んでくるわけで、リスクを警戒する、という視点にあらず、ぶつかってなんぼ、といえるのが難しい。マスターキーを作ったつもりでも、どうしたってハマらない鍵穴ってのはこの世のどっかにあるわけで。

 

賞がからむ発表の場で、合鍵職人という選択をしなかったという点。「どうですか?」ではなく「どうだ!」だった点。賞があってもなくても、きっと同じようなことをやっていただろうと思えるのが、今年のステージの良さ、ではないか。

 

さて、箇条書きのお時間です。

・久しぶりに椅子が復活したステージ。剣道場では見慣れた光景であるものの、今まで立奏を追いかけてきた中学生にとっては、座奏が逆に珍しかったのでは。

・開演時間ギリギリに駆け込んだら、2階席は定員オーバー。席数が少ないのはあるにしろ、午後一番で注目のステージだったことが伺える。

・席がないので、消防法に違反しながらステージを見守っていた。早い話が立ち見である。

・1階最前列に見覚えのある影たち。サイリウムの振り方がうまかった。

・1曲目は「Make her mine」から。スティックの音がかっこいい。

・いきなり会場の手拍子が大きく、頬の緩む展開。パーカスが毎度ノリノリなのでさらに頬が緩む。終わった頃には外れてるんじゃないか、頬。

・四分でひたすら走るベース(※ランニングベースってことなんだけどテンポが乱れてるみたいな書き方になった)、楽しくも大変な譜面。頑張れの念を送る。

・男子部員の数が増え、そして成長したことでステージがパキっとしたような気がする。トランペットとトロンボーンのソロ然り。バリトンサックスのソロ然り。パンツスタイルが似合っている。それはきっとあのオシャレカッチョイイ部Tの活躍なしでは語れぬ効果だろう。

・椅子があるとはいえ上下左右の振り付けは激しく、多少心配したがバテを感じさせることなくcoda。人数増による音の厚みが功を奏したのかも。

・MCは部長副部長コンビ。ちゃんとお客を煽るし、曲説明も丁寧。こういう行事のたびに自分の拙速な仕切りを思い出して冷や汗をかく。客の反応を見る余裕なんか、まるでなかったもんなあ‥‥。

・1曲目のソロ紹介、ステージがステージならカメラで抜かれ大スクリーンにあのキメ顔が映し出されていたかと思うと、あまり意味を伴わない悔しさがこみあげてくる。

・2曲目「塔の上のラプンツェル・メドレー」。華やかなる御仁登場で会場沸く。暑そうってまず最初に思った。あのマント。

・うって変わってしっとりした入り。バスクラが最初ピンスポに照らされてたのはご愛嬌‥‥かな。オーボエの旋律が数瞬前とは違う世界への案内役。

・アルトサックスって、いいな。(和風総本家)

・サックスソリ、ね。パートとして今年は活躍の機会に恵まれたステージ、ちゃんと期待に応えていた、それ以上のものを見せていた、いや魅せていた、と思います。親バカなのでまともな判断ができません。あの8の字の振り付け好き。今度振り付け教えてね。

・チューバとフルートのところ、観客最前列の人がぴょこぴょこしてた。チューバもフルートもうまくなったね。

・メドレーの中で雰囲気が変わるところ、楽器間の受け渡しがハマってきれいに変わっていた。ボックスステップ(どじょうすくいという解釈も存在)し始める指揮者。

・あの照明の使い方、印象に残った人も多かったと思う。かっこよかった。

・会話し始めるオーボエとテナーサックス。周りで優しく支える音色あって、その上で輝くふたり。

・いつのまにかひとり高らかな愛を歌うテナーサックス。これを見るために、これを聞くために、この感動を幾重にも増幅させるために、私は吹奏楽部に入ったのかもしれない。

・アルトサックスのソロ、褒めてた人いたなあ。だんだん"ソロ"をモノにしてきたそのノリで、イケイケな演奏。来年はさらに弾けた姿を!

・終わったのち、こんな短かったっけとなる。映画音楽のメドレーにしては短く、こうしたステージで扱いやすいサイズに選曲の妙。

・再びMC。顧問の名前で笑いが起きるのはもはや定番に。

・ぶちょおおおおおおお

・あったけえ‥‥会場があったけえよお‥‥

・3曲目は「ジャパニーズグラフィティXII」。宇宙戦艦ヤマト銀河鉄道999のテーマソングをつなげた、松本零士スペシャルである。

・冒頭、木管の飾りに彩られ出てくる伸びやかな金管が日の出とか旅立ちを思わせ、個人的に好きなところ。

・テナーはやっぱり歌わなくちゃ!という伝統を継ぐ者よ。そのまま育つのじゃ。

・背中が大きく、頼もしく見える。陣頭指揮するには少々大きな船を、よくここまで泳がせてきたね。

・サビのトランペットの刻みがいい。ここではあまり触れられないものの、風紋のトランペットも上手でした。

・二度立ち上がり、ソロを吹く男。佇まいは変わっていないようで、しかしアイツはどこから頼もしさを連れてきたんだか。

・ステージ、発光。暗闇の中でも、息づかいと、感情と、輝きがそこにある。

ティンパニの号砲で飛び出してきた戦艦。敬礼。

・戦艦が帰ったと思ったら機関車が飛び出してきやがった。

・斜めに舞う楽器群を見ながら、終わりを感じる。毎年、ステージ中強烈に"終わり"を感じる瞬間があって、今年はここだった。

・列ごとの行進、体操部に似たものを感じる。マイクスタンドに阻まれてたサックスのパトリさん、どんまいです。

・アルトサックス3人出てきて、大好きなメロディを吹いている瞬間の高揚感。もっと間近で、音に殴られたかった。

・半分近くサックスの話題だった気もするが、そういうステージだったってことで。

・おしまい!

 

 

ステージドリル元年は、それをやりたいという気持ちを発端とし、革新ともいえる椅子のないステージを実現させ、結果が"ついてきた"。一度向きを変えると、ましてやなんだかいい向きな気がすると、惰性みたいな力が働いて、また別の向きにするのがためらわれることがある。一方、時のアカがついた革新は革新でなくなり、贅沢な観客は新しいものを求め続ける。

今年少なくとも全立奏から脱却した*1ということは、まず今年の執行代の"思惑"のなせる技だった。人数や学年構成といった環境が変わる中、決断を迫られた部分もあっただろうが、それを受け止め、そしゃくしたのち自分たちのステージとしてカタチにしたことは立派なことだ。座奏のステージを経験している最後の学年が舵を切ったのも、ある種意義深い。

毎年カシラが交代する宿命にある部活動において、その欠点を埋めるより美点を伸ばす形でアプローチしたのが今年の執行代なのだろうか、とぼんやり思う。

 

さらに次以降の代にひとつ方針を示せたという点では、単なる一回限りのステージを超えた望外の収穫だ。このステージは来年以降、確実に考えの材料となる。ブラッシュアップの踏み台になるか、全く新しいものを置く台座になるか、そればかりは今の代が決めうることではないが、部活動の血脈の中に残り、未来を支えていくだろう。そうやって積み上げていった財産と、先の執行代とが戦い得たものが、次の財産の仲間となるのだ。

 

 

無数の思惑の上そこに在ったであろうステージ。自分を、あわよくば他人をも満足させ、魅了したステージ。あのステージに立つまでの時間と、立っている時間のことを人に余すことなく伝えるのは、不可能に近いでしょう。"ことば"というものは、やっぱり不完全な道具ですから。

でも、伝えなくとも。あの時間を共有したステージの上の人たちだけは、語り尽くせぬ経験をお互いに分かち合うことができる。経験をどう受け止めるかは、人の素地と解釈によるけれど、少なくとも同じ景色、同じ音の中で過ごしたことは、そうかわりはしない。

私はそんな皆さんを横から見て、ゴシップ記事を書く三流ライターに過ぎません。経験したことが、あまりにも違いすぎるから。

でも、いい経験をしました。あまりにも違いすぎるんだけど、これはこれでいい経験です。

私の"良い"は、皆さんの"良い"とは違うかもしれないですが。

 

良いステージでした。

また、次の機会を楽しみにしています。

ありがとう!!

*1:変わることを是とし、伝統を引き継いだ過去の代を非としていると読まれてしまってはかなわないので添えておく。そもそも代による比較は野暮である。また、人間というのは"同じまま"より"変化"を敏感に、大げさに感じ取りやすいという性質も忘れないでいただきたい。誤解を恐れずぶっきらぼうに言えば、なにかを変えるということは、考えたという過程が確実に存在しただろうと相手に思わせる手っ取り早い手段なのである。伝統を吟味し、良いのであればそのまま受け継ぐことに何の問題もない。"惰性"とか"脱却"とか、ネガティブイメージのつきまとう"ことば"を使ったが、直接比較しているわけではないことを心に留めてね。

やっぱり言葉って難しいね(ここで冒頭に戻る)