色メガネ売場

目の届くかぎり広く、手の届くかぎり深く

拝啓、最後の先輩方

4年前、冬の日。年末が差し迫り、一年の清算をはじめる人々をよそに、見ず知らずの集団に頭を下げ新たな環境に身をおいた男がいた。

男が顔を上げたとき、そこには30人を超える先輩がいて、ヤブから這い出した新参者をあたたかく受け入れ、トラックに乗せた。や、トラックには自ら乗ったが。

よんどころない事情、もっぱら学年という肩書きのせいで、夏の舞台は1度きり、定期演奏会での演奏も2回にとどまった。慣れを感じはじめたころにトラックの可動式荷台から降ろされた(これが引退の婉曲表現って、どうなの?)男は、部活を円満に離れた状態で先輩の活動を見守るという、奇妙な立ち位置についた。叶わなかった先輩との合奏を果たすために、半ば強引に合宿に参加した。先輩の結実させた集団の姿が見たくて、今に至るまですべての演奏会を鑑賞した。

 

今思うに、男は引退後も積極的にこの部活に参加することで、本来入部から引退までにかかった時間の分だけ追体験をしていたのだ。

そして、”入部して5回目”の定期演奏会を、ほんの少し特別に位置づけて迎えた。

男にとって、”最後の先輩方”の引退が控えていたから。

 

初めて楽器庫のやや重めのドアを開けた日から、彼らはずっとそこにいた。毎年の引退はいつも手を振って見送る側で、男の知る”吹部”を守ってきた。男の”吹部”パレットにはずっと彼らの色があって、その色こそが”吹部”なんだと、いつしかそう思っていた。

それが幻想にすぎないことも、また知りながら。

 

 

開演、入場。毅然とした顔に浮かぶ、彼らの熟れ(うれ・こなれ)。同時に、率いられる側のあどけなさ残す下級生に、在りし日の彼らが重なって見えた。過去も今も、同じ舞台の上にあった。

 

演奏の話は、正直言ってちゃんとはできない(1年ぶり2回目)。以下言い訳。

これを当たり前といって逃げたくはないが、男は技術とかそういうものにさほど詳しくない。演奏のことは「いい」か「よくない」ぐらいの違いしかわからない。先輩ヅラを取り繕ってきたものの、努力もしていない現状ではアドバイスにも限りがある。

それに、情が入ると感覚が鈍くなる。演奏そのものより演奏するヒトを見てしまいがちだったから、肝心の演奏について覚えていることがあまりにも少ない。

他の卒業生のように曲目に思い入れがあるわけでもなく、ただ単に演奏を聞くのでもなく、演奏していることそれ自体にいちばん重きを置いていた、というわけ。

なにより1ヶ月以上前のことを鮮明に思い出せないのだ

以上言い訳。

 

一部からアクセル全開ふかし気味だったのは”期の特色”というか、ここ最近ではあまりない立ち上がりだったのではと思ったり。悪い意味でなく。

そして今年も司会へ襲いかかったスウェアリンジェンさんだった(司会の方お疲れさまでした)。来年も戦いから目が離せない。誰がやるんだろ。

 

二部、踏みっぱなしのアクセルが多少緩んできたタイミングで曲が追いついてきた感じ。9月の練馬を思い出す、楽しいステージだった。客席で手拍子に狂った。

彼が司会やるのも最後か。初司会の彼に台本を書いて無茶をやらせた4年前がよぎって感慨にふけった。

 

三部、一度本番前に聞いていた平和への行列はあのときよりずっと良く聞こえた。マードックもよく仕上がっていた、あんな大曲なのに。アンコール、「人数が多いとやっぱり良く響いて聞こえるね」って誰かが言ってた。

あと、部長挨拶がパワーアップしていた。名前を呼ばれ立ち上がった彼らを見て、「(ここ最近で)元祖・人数の多い期」だったのを改めて思い出した。

 

 

演奏会はあっけなく終わった。気づいたら男はトラックに乗っていて(なんで?)、気づいたらいつものロビーで、あふれかえる部員とあふれかえる感情の端で、11人の”最後の手紙”を聞いていた。

 

1年間最高学年として航海を続けた彼らの船が、まさに沈まんとするとき。

共に旅した者たちへ、次の船に乗る者たちへ、親しく愛した者たちへ。

立った波の形を偲びながら、船の大事を案じながら、明日の海の天候を憂いながら。

それぞれの思いが綴られた11通。春の宵、言の葉が舞った。

 

 

 

拝啓 最後の先輩方

 

温かさと暑さのはざまで今にも春を忘れてしまいそうなこの頃、いかがお過ごしですか。9ヶ月後輩の身から、稚拙なお便りです。

入部時期が近いので、皆さんには勝手ながらある種の親近感を抱いていました。一足お先に部を去ってからも、早すぎる引退への未練がくすぶるたびに思い浮かぶのは皆さんの姿でした。5年間を走りきった皆さんを尊敬しているし、同時に少し羨ましくも思っています。

たぶん僕が積極的に部に顔を出していたのは、皆さんへの羨ましさに端を発していた気がします。上にも書いたけど、追体験というやつです。僕も、一番長い道のりを走り切る経験がしたかった。そういう意味では、皆さんが祝われながら引退を迎えたことは誇っていいと思います。

僕もそれこそ1年生のときに入部していれば、と思ったりもします。でも、うちの代が最初からこの人数だったら僕はサックスパートに配属されていなかっただろうし(少なくともバリサクは吹いていなかったでしょうね)、仲良くなる先輩も後輩も違っていただろうし(同期はどうせ仲良くなったと思っていますが)、もっと部活の闇に苦しんだろうし(幹部なんて可能性もあったのか)、合宿でヘタクソな恋ダンスをキマジメな彼奴と踊ることになんてならなかっただろうし(ノーコメント)、たぶんこんなブログで長々と感想を述べることにはならなかった。

そう、このブログのこの感想こそ、追体験の最たるものなのです。僕が活動していた時間はあまりにも短かったから、僕が直接関わっていない行事の感想なんかを書いて、あたかも参加したように思いたかったんでしょうね。自己満足、きっとそうなのでしょう。

 

月並みですが、皆さんがこの1年間で作り上げ魅せつけた演奏会、とても良かったです。部を率いる皆さんの姿は押しも押されもしない最高学年のそれでした。

 

思い入れのあまりとうに客観性を失ってしまった僕にはもはや”粗”と”味”の判別がつかなくて、演奏会が成立したことだけでもう特大の拍手を送りたい気分になっていたから、少なからず偏った評価であることは疑いようもないです。けれど、きっと”粗”に関しては演奏者という存在の一番近くにいた自分自身にもう痛いほど身にしみていることだろうから、第三者が今さら主観を覆してまでほじくり返すことではないでしょう。

 

定期演奏会って、どうしても「舞台装置」と不可分なんですよね。「演奏会」が前に出るか、「引退」が前に出るか‥‥前提である前者を置いてけぼりにして、舞台を中心として盛り上がることもありうる(一方、「舞台装置」を見に来ているお客さんもいるから、話はややこしい)。

「舞台装置」が前に出ることもひとつの形として立派に成立しています、技術にもまして感情の乗った音だってヒトを動かします。

そんな形だったなあって、変に悔やんで恥ずかしがって歪めずに、そのままの形で覚えておくことが未来をちょっと豊かにするんじゃないかな、と思うのです。

たぶんそのうち、青い果実の瑞々しさ、熟れた果実のまろやかさを嗅ぎ分け、それぞれに堪能できるときが来ます。いつか自分の感覚のレパートリーを並べるとき、大事に育てもぎ取った、そして大事に包んでおいたちょっと青めの果実が、感覚に広がりをくれる、なんだかそんな予感がします。

 

下書きに残っていた過去の僕に言わせると、皆さんは「感情のもつれ、現実のほつれに顔を覆いつつも、ここが底と信じて這い続ける気力があった頃。避けて通れぬイバラの道を、傷を負っても進み続ける覚悟があった頃。」に該当するらしいです。ほんとかな。

部のスタイルを、守りつつも(僕はこの”つつも”というのが出色だと思う)攻めて挑み戦い変え革めていった皆さん。こういうと怒られるかもしれないですが、諦めることはいつでもできたはずだと思うから、走り抜けたことはただゴールに到達したのみではない、障害を乗り越えたこともちゃんと意味していることでしょう。

 

 僕という「年上の後輩」みたいなよくわからない立場の人間が部内でどうたち振る舞えばいいのか、最初ほんとうに悩みました。個人的なつながりだけでやっていくのかな‥‥とか、ね(なんのことだろうね??)。皆さんが積極的に声をかけてくれたから、開き直って「先輩ヅラ」できたのかな、と思います。

それはとても楽しく、同時に未練を生むわけで。。。新しい場所に行っても、未だ引きずられるように高校の話ばかりしてしまいます。

 でも、こんな現状だからこそ、あの時期に入部してよかったと心から思っています。皆さんの後輩でよかったと思います。未練があるってことは、きっとすごく楽しかったということだから。楽しい思い出の一片になってくれて、ありがとうございました。

 

 

タイタニックは沈みます。皆さんの乗った、皆さんの率いたタイタニックも沈んでいきました。今度はいっしょに海の底から、新たな陽に照らされる水面のキラメキを眺めるとしましょう。

そのときまで、またいつか。

 

 

敬具