色メガネ売場

目の届くかぎり広く、手の届くかぎり深く

失わないと気づかないバカのおとぎ話

数年前になりますか、私はとある彫刻を手に入れたのです。たまたま行った博覧会で、コレだ!と目が合ったその美しいヒトをかたどった彫刻は、偶然にも所有者がいない状態といいます。ならばと私はその彫刻を大切に持ち帰り、家に飾ることにしました。彫刻がたたえる微笑みは、私に持ち帰られるのを嬉しがっているようにも見えました。

 

それから、彫刻と過ごす日々が始まりました。出かけるときも家に帰ってきたときも、彫刻はこちらを向いて微笑んでくれました。暇ができたときには彫刻を磨きました。光を受け一層輝きを放った彫刻に、私はよく見とれたものでした。私が彫刻を手に入れたことを知った友人はみな、感心し喜んでくれました。あれは素晴らしい作品だ、よくぞ迎え入れたものだね、と。彫刻を磨く手により力が入りました。

 

その彫刻を手に入れたことをきっかけに、私は美術の世界に浸るようになりました。たくさんの素晴らしい絵画や彫刻に出会いましたが、やはり私にとってその彫刻は特別なものでした。私は、またお金が貯まったら家を買って、その彫刻を飾るためだけのスペースを作りたいとまで考えるようになっていました。

 

一方で、わたしは不安でもあったのです。私は資産家としてはちっぽけな存在。たまたま他に受け取り手がなかっただけで、いつ大資産家がこの彫刻の魅力に気づき、私の家からそれを運び出してしまうのだろうと考えて眠れなくなることもありました。とはいえ、せっかくの彫刻ですから他人に自慢したい。素晴らしいとは言ってほしいが、欲しいとは言ってほしくない。私のわがままは、こうしてふくれていきました。

 

そしてあるときから、私は理不尽にもその彫刻をうっとおしく思うようになったのです。あまりにも美しすぎるから、私が苦しむことになるのだ、と。資産家として成長できればその思いも消えるかもしれないといろいろなことを考えましたが、最終的には何もすることができなかった私はちっぽけな資産家のままでした。たまに家に来客があると、彼らは決まってその彫刻の前で足を止め賞賛してくれます。それが私には、彼らがその彫刻を我が物にしたいと思っているようにしか聞こえませんでした。

 

気がつくと、磨く頻度も少なくなっていました。その間も彫刻は、ずっと同じ微笑みを浮かべていました。私はその微笑みすらまともに直視することができなくなりました。仕事が忙しいのを良いことに、家にもまともに帰らなくなりました。

 

時々、暗い部屋にたたずむ彫刻の姿を思い出すこともありました。その姿は決まって微笑んでいるんです。だから私は、放置しておいても彫刻はずっと私のために微笑んでくれるんだと信じ込んで、不安に必死でフタをしていました。

 

家に帰って少し汚れた姿を見るたび、自分の行いを反省し、また手入れをしようと決意したことも一度や二度ではありません。でもその思いすらも、回数を重ねるごとに麻痺していきました。明日やればいい、明後日やればいい‥‥‥‥。

 

そのうち会社では社運をかけた一大プロジェクトが始まりました。そちらに集中しないと、いい結果を残すことはできない。彫刻に対する中途半端な思いの集合体のような今の私では、とても太刀打ちできるような任務ではありませんでした。

 

そこで、私は決心したのです。

彫刻を売却しよう、と。

 

そう決意した夜、私は久々に家に戻りました。やはり、彫刻は薄汚れていました。それでも、変わらない微笑みをたたえていました。私はまともに手入れもしないまま、その彫刻を売りに出しました。心のどこかでは、買い手がつかないでほしかったのです。

 

こうしてその彫刻は、私の家から姿を消しました。私が消させたのです。

 

 

そのおかげかはわかりませんが会社の仕事は成功を収め、私は少し上の役職へと昇進を果たしました。

 

いい気になった私は彫刻を売るのをやめて、今度は会社に飾ることにしました。もう自分の家に飾るほどではないけれど、見知らぬ誰かに買われるよりは、自分の目につくところにおいておこうと思ったのです。彫刻は会社のいろいろな人に手入れをされ、日々美しくなっていきました。

 

一度、昔のように丁寧に手入れをしてみました。誰にも変わらぬ微笑みを向ける彫刻は、当然あのひどい仕打ちをした私にも同じ微笑みを向けてくれます。このまま会社で愛される彫刻になってくれればいいなと思っていたんです。その時までは。

 

ある日彫刻は、会社の人にもらわれていきました。

 

彫刻を気に入ったのは私と同じプロジェクトチームの人で、私より有能な大資産家です。会社に持ってきたのは私ですが、断る理由もありませんでした。思いつきませんでした。もうあの微笑みの彫刻が手元に戻ってくることは、ないでしょう。

 

あるはずのものがそこになくて愕然としたのと、愕然とした自分に愕然としたのが同時でした。愕然としているということは、持っておきたかったということですから。自分で持っておくことはいくらでもできたはずなんです。失うまで気づかない私は、なんと愚かでしょうか。

 

あの微笑みの彫刻は、微笑める場所を探していなくなってしまいました。彫刻だから顔など変わるはずもないと思っていたけれど、私は彫刻の顔すら歪ませてしまっていたのでした。

 

私はきっと一生、あの彫刻を忘れることはないでしょう。そして思い出すたびに、大きな後悔が私を殴ることでしょう。

 

終わり。