色メガネ売場

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三角印の予定表

前に、予定を立てるのが苦手だと書いた。 

sakushusen.hatenablog.com

 

今回は、予定を管理するのも苦手というお話。

 

人付き合いの中で、イベントの日程調査に参加することも多い。○×△で答えるアレだ。大学入学後、その機会はさらに増えた。

 

ここでひとつ悪癖があって、というのは予定があろうがなかろうが△をつけてしまうのである。

予定がないなら○をつければいいのにつけられないのは、予定の重要度や参加希望度を考慮してしまうから。例えばその日一日空いていたとして、その予定で4時間を費やすより、他のさらに充実した予定が入る可能性を考えてしまうのだ。

要は、自分がより楽しい予定を組みたい。そのためには、予定を"上書き"することもいとわない。ただ、それでは断る予定先の相手に申し訳ないから、その免罪符として△を刻んでいるわけだ。"行けないかもしれない"とあらかじめ匂わせることで。

 

○という記号が持つキズのないカンペキさは、時に重い。

完全な肯定は私の苦手とするところであり、それはつまり予定がなくても△を選んでしまう心理と密接に結びついている。

「"あてはまる"と"ややあてはまる"という選択肢があったら、"ややあてはまる"を選びがちですか?"あてはまる"か"ややあてはまる"でお答えください」という質問があったら、ムジュンを蹴散らし"あてはまる"を連打しているだろう。

立場を示しつつも決断を避ける責任逃れの一手ではないか、と言われるともうマルッッッ!である。

 

逆に予定があるのに△を入れてしまうのはなぜだろう。先に検討した場合と、根本は同じだ。前提として、"先約"それ自体に△がついていることが多い。要するに、意図的かつ積極的にダブルブッキングの状況が生まれる可能性を作り出そうとしている。その上で、どちらが自分にとってより有益かつ楽しいものであるか比較検討しようと目論んでいるわけだ。

参加可能性の程度を示す前に比較検討は終わらせておけよ、と思うだろう。これも悪癖であるが、「殿、ご決断を!」と自分以外の存在全てに唱和されるまで一切の決断ができないという私が指定した難病を患っている。物理的に同時参加不可能とか、そういう状況まで追い込まれないと選べないのである。

 

こうやって言語化すると、自分のダメさ加減がありありと見えてくる。○なら○、×なら×と素直に言えたらいいのにな。

 ×が悪いことではないと重々承知はしているものの、やはり×ばかりなのはなんとなくバツが悪い。そんな申し訳なさも、△を多用してしまう一因になっている。

 日程調整においては○が正解、×が不正解を表さないことの意味をもう少し慎重にとらえ、その上で積極的な判断が求められているし、するべきである。

なんせ、大人数の調査をまとめ予定を組む人にとって一番扱いにくいのは△だから。

 

最後に、これは日程調査で△をつけた人への皮肉とかそういうものではなく、単に内省を述べたにすぎないものであり、逆に△を付ける人の心理はなんとなく把握しているので、仮に私が出した日程調査に△をつけたとしても私の目が三角になることはない、と付け加えておく。