色メガネ売場

目の届くかぎり広く、手の届くかぎり深く

7月8日午前0時、ラデツキーの夢を見た

だれも知らないことは、たくさんある。

例えば司会者の2つあるはずのスーツのボタンが着替えたときにはすでにひとつとれてなくなっていて、そのまま舞台に出たこと、とか。

例えば着替えがあるといわれて下手袖を追い出された司会者が、ならばと上手袖でひとりアフリカを感じていたら上手袖でも着替えがあることを失念していて迷惑をかけたこと、とか(副部長本当にごめん)。

例えば司会者が、9人ともうひとりの"引退"をとてもとても寂しく思っていること、とか。

 

知らないところでなにかが動き、次に会うときにはなにもなかったような顔をしている。

きみにとって、わたしは"なにもなかった"時間を過ごしたようにしか思えないから、そう見える。悪いことではない。当然のことだ。

空白の時間は、存外空白でないものだけれど。

きみは、それを知る術を持たない。あるいは、持ってはいけない。

わたしのことばかり考えていたら、きみ自身の時間が空白になってしまうよ。

 

源が違えど、通った道が違えど、各々の時間は流れていく。

きみが川の流れにさした特大の棹は、なにも変えちゃくれない。

ただひたすらに、流れ落ちるのみ。

それを誰が責めることができようか。

 

演奏者の集団。

そこには過去も未来もなく、ただ現在があるだけ。

過去や未来があるとすれば、実線でなく点線だ。

その点をまっすぐ結ぶだけで人間の過去が完成するなら、どんなに単純で楽なことだろう。

川は、まっすぐ流れない。

 

 

演奏の話は、正直言ってちゃんとはできない。

なぜかって?そりゃあ、緊張してたから。

演奏の間、ずっと下手袖で指揮のマネごとをして飛んだり跳ねたりして緊張をまぎらわせていたので、ちゃんと聞くことができなかった。言い訳としてはびっくりするほど幼い行為をもってきたものだが、どうか許してほしい。

司会は、添え物だから。バランが弁当の味を変えることはないから。

だから添え物なのに弁当の味を知っているのが、問題といえば問題で。

ひとつ噛んだら、ひとつコケたら、演奏会は少しでも確実に変質してしまう。

終演後、いろんな人に「つまらなかった!!」「出てきたときが一番面白かった!!」と大いなる褒め言葉をいただけたので、肩の荷が下りた気がした。

ひたすら徹するのにも、エネルギーがいるのだ。

 

良い演奏だったと思う。

1部。マーチは華々しく。センチュリアは聞き心地がよく。ゲールフォースは仕上がりに感心し。

2部。アフリカンシンフォニーは迫力で開幕を飾り。故郷の空故郷の空がまとまりとしては一番良かったかもしれないとさえ思った。ディズニー50thはフルートオーボエが立つところが好きなんじゃ。リトルマーメイドのソロ、3年前の彼女の姿が重なりちょっと泣きそうになった。

3部。天空への挑戦。5/4拍子の低音がとっても好きだった。さくらのうた。行き道に見た桜の木を思い出す。ステージの上で、それぞれどんな桜を思い浮かべていたのだろう。

 

2部の司会も衣装も、とてもステキだった。

こう後ろに書くと付け足してついでという感が尋常ではないが、実際ステキだったのだからどうしようもない。

塩MC、ザンシンだった。

 

そして、たなばた。

ハッキリ言おう。

演奏に関して、この曲を評価するすべは持ち合わせていない。

少なくともこの曲に関しては、添え物でいられなかったから。

 

曲が始まったとき、「演奏者は、ここで死ぬんだな」と思った。

どれだけ泣いても嘆いても、五線の上に踊る音符は無情に次への橋渡しを繰り返す。

流れを止めることは、放たれたら最後不可能。

そして演奏が終わるとき、演奏者は死ぬ。吹奏楽部と名付けた人生が、否応なしに途切れる。

 

だからこの曲は、レクイエムのように聞こえた。

命を終えて、空へ還っていく星たち。再会を喜ぶ彦星と織姫が、そのうちひとつ、名も知らぬひとつを指さして、星がきれいだねとほほえみあう。

 

吹いた瞬間に恐ろしい速さで過去へと駆け抜ける音の軌道が、流れ星の尾のようだった。

終わらないでほしかった。

ずっと、7月7日であってほしかった。

叶わぬ思いを、流れ星に託した。

 

中間部からティンパニとスネアが引き戻す華やかな景色。

不可逆な追い風が背中に吹いて、前へ前へと進ませていく。

ピッコロの方に目をやった。速いフレーズを待つ表情は、なにを思っていただろう。

トロンボーンの軽快なフレーズは、燃え尽きるロウソクの最後に見せる明るい灯火のようだった。

なにか、すべてがとても、美しかった。

終わるから、美しい。

美しいって、残酷だ。

 

全てを過去にして、演奏は終わった。

7月7日は過ぎ去った。

1年後の出会いを期して、織姫と彦星は再び背を向けた。

ステージと客席の間に流れる天の川。

9人とひとりが、渡っていった。

 

家に帰った織姫と彦星は夢を見たのかもしれない。

つらく苦しく面倒で長かった時間が、とても明るく、そして短く感じられるという夢を。

3分程度の、手拍子に包まれた夢を。

 

ひとりひとりがどんな天の川に揺られてここに来たかなんて、分かるはずがない。

それでも、いっとき同じ場所に流れつき、同じ時間を過ごしたのは事実。

少なくとも集まった天の川は、キレイだった。

 

 

だれも知らないことは、たくさんある。

例えばいつまで業者は業者としてトラックの上に乗り続けるのか、とか。

例えば後輩が何人増えて、パートがどう変わっていくのか、とか。

例えば来年の天の川の景色、とか。

 

 

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おつかれさまでした。

また来年、会いましょう。