関西周遊記 ~旅ゆくところ、変化アリ
旅行に旬はない。季節を選ぶのは、単なる好みの問題だ。
一方で、"行きたい"と"行く"を必ずしも近くに配置できないのが悩みのタネだ。
大勢が"行く"時節に合わせて、ガイドブックが作られる。そうして、旅行の旬ができていく。
3月初旬の旅行は、旬か、好みか。
3泊4日(5日)で近畿2府2県をさまよう旅程は、今までの旅行の中でも長い部類に入る。近畿に足を踏み入れたことのない同行者のために、少しずついろいろな場所を見て回ろうという魂胆だ。
旅のお供はこのブログでもおなじみ、貧乏学生の味方こと青春18きっぷ。往復でも交通費5000円に収まるスグレモノだが、その分時間を移動に費やすことも避けられない。
あれこれ思案した結果、帰りはきっと疲労で寝るだけであろうことから深夜バスを選択。
現地での滞在時間を伸ばし、交通費も抑える。
こういうときだけ研ぎ澄まされるバランス感覚を、ほかのところでも活かせないものかとつぶやいてみたりして。
3月2日(金)
青春18きっぷで西方へ出かけるときは、始発に乗るため朝3時過ぎに家を出る。非常識をもってして、非日常の扉を開ける。
夜の街は生きている、という感触を受けることがある。人の活動がなくなり、外とは思えない静寂の中に、強い"生"を感じる。
いつもと違う空の色、いつもより主張の激しい街灯の光。
やっぱり、非日常になにか心動くものが眠っているのかもしれない。
人間、どうしたって絶望的に飽きっぽい。
5時過ぎに同行者と東京駅で落ち合ったら、さっそく東海道線へ。
今回もまた、長い長い電車移動が始まる。
京都まで休憩なしなら8時間半あまりで着くが、今回はいつもと趣向を変えて途中下車に挑戦。
そもそも青春18きっぷの魅力は"乗り降り自由"な部分にある。こちらの方が、よりきっぷを活用できていると言えよう。
神奈川県に入ったあたりで、制服姿の学生の姿が目立つようになる。通勤・通学時間に割り込んでの旅行にも、かなり慣れた。
朝日に照らされ眩しく輝く海を擁する熱海の風景を眺めていたら、早くも乗り換えの時間だ。"早くも"といっても、1時間半は優に過ぎていたが。
乗り換え2本目にして早くも駅を出ることに違和感を覚えることに違和感を覚えつつ、清水駅で下車。清水エスパルスのお膝元ということで、朝から熱心に次節の宣伝が行われている。サッカーって、"観戦"はともかく"応援"が難しいスポーツだよなーなどと考えていると、バスがやってきた。
10分程度で目当てのバス停に到着。
その頃旅行者(たち)は、最後部の座席で眠りに落ちてしまっていた。
いわゆる寝過ごしというポカである。
終点がそこから2駅しか離れていなかったのが、幸いといえば幸いだった。
とぼとぼ、バスが来た道を歩く。眠い目をこすりながら。
日本新三景ならびに日本三大松原のひとつとして知られる、日本の名勝だ。
約500mにわたって続く松並木、通称「神の道」。
鼻腔をくすぐる松の香りの先に、行く者しか見ることのできない景色が待つ。
青々とした空と石に包まれた地の境に、たたずむ富士山の姿。
朝ゆえの閑散も手伝って、視界が広い。
しかし、未熟な腕ではどうしても、カメラを介してその雄大さを伝えることができない。
だから、体に付属のマナコをふたつ、精一杯澄ましてとらえておいた。
行ってわかる、来てのみ知る名勝たるゆえん、と仰々しく称えておくことにする。
神の道を戻るまえに、朝ごはん。
次はどんなおもちが食べられるかな?
静岡ぶらり旅を終えて清水駅に戻る。目的地はまだまだ遠く、はるか彼方の西方へ。
計画では島田駅でも途中下車して、蓬莱橋を渡ることになっていた。
ステキじゃないですか? 渡ってみたくないですか?
清水駅で乗車し、次に目を開けたときに見えたのは、通り過ぎるホーム。
駅標に「島田」の文字。
朝から活動していれば、こんなこともあるさと2回目のため息をつくやいなや、再び浅い眠りに落ちていった。
なんと今回は「昼食のための途中下車」が実現。
言い換えれば、今まではひもじいお腹を満たすことなく時間短縮のみを是として行動していたということだ。
あちらを立てればこちらが立たず。長期旅程の強みを活かし、人権を獲得した。
結果、今までただの乗り換え駅だった浜松駅が、この日初めて目的駅となった。
駅ビルのレストラン街はご老人とサラリーマンで賑わいを見せている。平日昼の光景。
うどんで腹を満たしたら、駅を出たときに見つけた施設へ向かう。
楽器博物館、というのが浜松駅から徒歩5分ほどの場所にしっぽり建っていた。
古今東西、あらゆる地域から集めてきた楽器たちが、一堂に会するさまは圧巻である。ビジュアル重視?のアジアン楽器、原始の香りにむせかえるアフリカン楽器、メジャーな楽器のプロトタイプ、戦火を生き抜いた大正生まれのアップライトピアノ、電子楽器黎明期の巨大シンセサイザー、環境音で舞台に生を宿す和楽器、実機で振り返るピアノ史、などなど。写真でもいくつか紹介してみよう。
まつり、である。祭か、祀か、どちらかの。
燭台が雄弁に時代を語る。
サソリを模しているようだ。反り返った曲線が美しい。
くねくね。
サックスバラバラ事件。キチンと撮影したら、パソコンの背景画像になりそうだ。
細部に命が宿ってこその音色だと思うと、奏者はさしずめリレーのアンカーか。
展示の一角には楽器体験コーナーも。ギターやピアノといった定番から、ハンドベル、コンガにアゴゴ、はては民族楽器まで。
弾いてみたけど、馬頭琴がすすり泣いただけだった。かわいそうなことをした。
とまあすっかり楽しく眺めていたら、いつのまにか昼下がりに。といっても活動開始が早すぎたせいで気分はもう夕方なのだが。ぼちぼち、宿のある京都へ向かう。
浜松から3本ほど乗り継いで、京都に着いたのは18時40分ごろ。ひとくせある駅構造にも慣れたもので、さくさく改札を出たら荷物を置きに宿へと歩く。
お世話になったホテルは6畳和室ワンルームで2泊4500円/人。破格、だと思う。
タオルを貸してくれたし、共用シャワーも清潔だった。
素泊まりゆえ、夕飯は京都の駅ビルで。
和食。同行者が頼んだホタルイカが滅法うまかった。
この日は移動のために旅行をしたような風情があったが、ここまではいわば下準備。
明日からいよいよ近畿を巡るべく、早起きを誓って眠りについた。
3月3日(土)
おはようございます。朝10時をお知らせします。
長時間移動のあした、誓いはどこかへ飛び去った。
ノロノロと支度をして、京都駅からバスに乗る。東大路通は混んでいて、同じ系統のバスが数珠つなぎの様相を呈していた。
二年坂、三年坂のあたりで見つけた飯屋で、朝飯と昼飯のコラボレーション。
湯葉丼やら麸丼を頼んだら、鍋が運ばれてきた。
ニガリを入れて自分で作る手作り豆腐。
オーソドックスに湯豆腐。
これで(四捨五入すれば)1000円。カジュアルの範囲内で良いモノにありつけた、とご満悦。
清水寺に向かう坂道には、土曜日ということもあって修学旅行生や観光客がそこかしこ。無料で刻印できるアクセサリーショップに群がる学生の背中に、ネギが見えたような気がした。修学旅行となるとわずかに小金持ちになる学生の習性をよく捉えた猟師であることだ。
でかいモノの前で、ヒトは無力になりがちだ。
続いて向かったのは金閣寺。洛東からはそこそこの時間を要するが、バス一日乗車券を手中に収めたから怖いものがない。
日本に住んでいたら、目をつぶっていても見える景色、といったら大げさか。
境内に入ったところで「左側で写真を撮ってからお進みください」と係の人。撮影が組み込まれた参拝のかたち、なかなか拝めないものだ。
そのまま歩いて龍安寺。名物にして名所であるところの石庭が「The Rock Garden」と訳されていたのが興味深かった。weblioいわく米国ではrockを小石の意味でも使うようだが、米国文化in Japanに毒された身ではロックの血が騒ぎ出し、石庭の静謐あふれた雰囲気とはミスマッチに思えた。
バスで一気に三条まで戻ってきた。洛東は観光地が歩いていける範囲内に点在しているので助かる、というわけで夕飯とのスキマ時間で平安神宮へ向かった。
到着したのが17時15分、閉門が17時30分だったので神宮内は閑散としていた。それゆえ、社殿の前の広大なスペースがより迫力をもって感じられた。
明治時代に再建され、幾度かの修復を経て目の前にそびえ立つ朱の社殿をどんなに見つめてみても、1000年以上前にここで先人が政治を行っていたという話に現実味は見いだせなかった。おとぎ話の上に今があるような気分。
京都に夜がやってきた頃、こちらは華やぐ四条通にやってきた。
ここだけは何度来ても左右の感覚を見失ってしまう。そのおかげで、毎度ジュンク堂京都店にたどり着けない。思ったより四条河原町交差点から離れたところにあるのも不安を増幅させてくれる。
本日は本ではなく食料を求めやってきたケモノたちは、寺町京極商店街に突入。賑やかなアーケードを進んだ先に、二度目の天丼が待つ。
あ、天丼といってもそういう意味ではない。ホンモノの、すべりうるほうではなく、食べられるほうの、天丼である。
無加工につき天丼が美味しそうにみえないのが残念だ。ギター侍でも呼んでこようか。
帰りがけに目に留まったベビーカステラをごっそり購入したら、暗くなった京の大通りを宿へと戻る。
京都一帯がイニシエに染まっているわけじゃないことは、少し歩けばすぐにわかることだ。それこそ四条通もそうだし、住宅街だってゴロゴロと。現代人が現代の生活を送る街だ、当たり前といえば当たり前なのだが。
古の都も、時代の経過の中でその時々の今を取り込んで、生き物のように変化している。
それが京都という街をより面白くしているような、そんな気がする。
見渡す限りの古風な景色、というのも一興だけど、町家のとなりにキレイな家が建っていたり、大きな寺院の横にでっかい学校がそびえていたり、なにより京の玄関口・京都駅のイマドキな世界から、バスに乗って地下鉄に乗って過去に飛び込んでいくあの感じ。
同じ街の中で今と昔をなんども行き来して、そのたびに変化を感じて。
昔だけでもない。今だけでもない。
そんな体験をわかりやすくできるのが、この街のいいところだと思う。
前田敦子も歌っていたではないか。
タイムマシンなんていらない、と。京都に来れば時間旅行ができるぞ、と。
‥‥違うか。
ケッキョク、変化、"今と違うこと"を求めるきらいがあるみたいだ。
人間、どうしたって絶望的に飽きっぽい。
‥‥なんて、天丼で締めてみたりして。
3月4日(日)
この日は早起きに成功。早めに寝てよかった。
旅行は、しばしば夜更かしと早起きを同時に求めてくる。
"ハリキリ"の魔法の副作用、時として体にクるよね。
朝食は毎度おなじみイノダコーヒ。
アラビアの真珠、本当に美味しい。いつかコーヒーメーカーを家においたら、発注してみよう。
食べたらすぐに関西本線に飛び乗って、在りし日の天下の台所へ。
日本全国フォトラリーがあったらまず入ってきそうな場所である。
橋の上で見ず知らずの人々がみなカメラを構えている光景、一体感を通り越してわりとマヌケだと思う。
通天閣にも足を運んでみる。フォトラリーその2。
日曜昼の通天閣は、思ったより牙を向いてはこなかった。
それでも感じる、空気感の違い。
人に圧をかけ合っているようなさま、東京とは違う気がする。
それがいいのか、悪いのか。断言することは難しそうだ。
空きはじめの腹を抱え、大阪城までたどり着く。
雲ひとつない青空の真ん中、無邪気な太陽が背中に刺さる。暑い。
上るのに疲れてしまって、博物館と化している城内には入ることもなく、脱出。
空きだらけの腹を抱え、大阪天満宮までたどり着く。限界が近い。
梅が満開に近い。いい塩梅です!
もはや抱えるほどの中身もない腹を抱えて、商店街をうろつく。
商店街のこぢんまりとした店、雰囲気がステキすぎて入りづらいこともままある。
旅行かばんを持っていると、なおさらだ。
15分ほどフラフラさまよって、見つけたのは生そばのお店。
そば自体が美味しい上に、すだちが入っているだけでグンとステキに。
家庭でもできる一工夫。お試しあれ!(ここでキューピー3分クッキングのテーマが流れる)
はてさて番組が終わっても旅行は続く。ひとまず大阪駅に戻って、ここから神戸へ向かう。
「せっかく関西に来たので」という理由で、JRではなく阪急に乗車。
宿はJR神戸駅周辺にとったので、散策も兼ねて神戸三宮駅から歩いていくことに。
foreignとdomesticがないまぜになったこの街も、京都とはまた違う変化の楽しみがある。
豚まんに飛びついたり、餃子のプロトタイプみたいなものを食べて首を傾げたり。
チャイナタウンを通り抜けて、夕闇迫る港へも顔を出す。
スケボーに乗って走り回るイケイケの若者がいる。
ベンチに座り、ひとり海岸線をみつめるうらさびしい男がいる。
正装した男性が、ウエディングドレスを着た女性に向けて箱を差しだしている。
‥‥‥‥。
あまりにも普通にコトが行われていて、驚きの波も遅れてやってきた。
あとで思えば、すぐ近くに結婚式場もあったし、写真撮影が主な目的だったのだろう。
第一、プロポーズの前にウエディングドレスを着せたらピークが行方不明になってしまう。
ここで「デートの待ち合わせ」という題で脳内コントが始まる。
「遅くなってごめんねー。お、今日はタキシードなんだね」
「そうそうー。この前は燕尾服だったから、気分を変えてみようと思って。そういう君は、ウエディングドレスときましたか」
「そうなの! これ着るの難しいね、家で身支度するのに1時間もかかっちゃったの」
「その分、キレイに見えるよ」
「ばか」
「トナリを歩くの、少し気後れしちゃうな」
「そんなこと言ってないで、ほらほら。今日はどこに行くの?」
「ボウリングかな」
「まあ、このドレスならボウリングシューズ借りなくてもバレなさそうね。見えないから、足元」
「だろ? もってこいだと思ってさ」
‥‥なにがもってこいなのだろうか。ボウリングシューズを持ってこいってことか。
夕景が美しい神戸の港で、そんなしょうもないことを考えていた。
この日の宿はなかなかに不思議な雰囲気だった。
東南アジアのどこかにありそうなボロい建物で、壁は水色。オンボロシャワーとカビが生えそうなカーテン。備え付け和式トイレ。鍵が閉まらないドア。
屋根と布団があってよかった!とポジティブに考える。
夜になれば、色んな意味で目もつぶる。寝られたらそれでいいよね。
この日の最後に気になった看板を。
その筋とは、いったい‥‥。命に傍点がふってあるのも意味深長。
3月5日(月)
この日の午前を簡単に説明すると、
起床→降雨→就寝
宿のチェックアウトを1時間過ぎて、12時過ぎに宿を出る。フロントはなぜか無人なので、なにも言われない。いいのかそれで。
適当な店で適当に昼飯を食べたら、県境をまたいでの大移動。
短い滞在となった神戸から、阪神電車で脱出。近鉄奈良まで、なんと乗換なしである。
ちなみに、これはあとで調べてわかったことなのだが、宿泊した宿の周りには日本でも有数のソープタウンが広がっていたらしい。
宿に向かう際感じた奇妙な感覚にも合点がいく。奇妙な感覚というのは、怪しげな兄ちゃんに「やってく?」と言われたことも含めて、だ。
13時を回ったころ、奈良に到着。ここが関西周遊、最後の地点となる。
時間の都合上、奈良駅から離れたエリアにある斑鳩・法隆寺を断念し、大仏と鹿(作・酒井格)の待つ東大寺へと足を進める。小雨が降っているが、朝に比べれば大したことはない。
同行者がほんの出来心で購入した鹿せんべいは、シカジカ連盟春日公園支部・屋台監視班の素早い通報も手伝って15秒ほどで胃へと発送されていった。むろん、鹿のである。
アクティブに人が持つ食べ物に猛烈アタックをかます鹿あれば、道端にのんびり座り込み人生もとい鹿生の思索に沈む鹿あり。
大仏はさすがにリッパというところ。旅立つ前に勉強して、時代背景なんかを頭に入れていったら、平常より興味が4割増しとなった。
作り方も作られたわけも知らないで呆然と眺めるより、なにかを知った上で見たほうがDANZEN印象に残る。だいたい寺院なんて、知らずに行ったら「ほへー」で終わる。
事前準備も、こういう部分ではしておきたい。
春日大社にも行った。本殿より、そこに至る道に心惹かれた。
どんよりした湿気の多い空と、神社の白砂に覆われた道は不思議に相性が良いような気がする。なぜだろう。
神秘といっては多少大げさだが、なにかが宿っているような"生"の息吹をここでも感じた。日本人の血、なのだろうか。
中心街に戻ってきた。雨はほとんど降っていない。そこらへんを散歩する。
和菓子屋にちょっと入っただけなのに、試食と黒豆茶がいそいそと運ばれてきて面食らう。気圧されたわけではないが買わないわけにもいかぬという思い強まり、三笠焼きを購入。
そのまま、近鉄奈良駅から10分ほど離れたJR奈良駅に向かっていたら、突如として豪雨。(凛として時雨と比べると風情もへったくれもない)
逃げるようにJR奈良駅に飛び込んだものの、こちらは交通の便は良くとも商業的には明らかに近鉄奈良周辺に劣る様子。帰りのバスは21時発。雨の中をもう一度、近鉄奈良まで戻る。
することもないので、早めに夕食。釜飯も美味しかったけど、揚げ出し豆腐が絶品だった。
今回食事に関しては、かなりの高水準だった、と思う。朝に餅とか、朝食べないとか、そういうのを除けば。
いよいよ手持ちぶさたになったので、マイクを握ることに。
終わってない旅の打ち上げとは、なかなかの前傾姿勢ぶりである。
サライで締めるのも、だいぶん自分の中で恒例行事化してきた。
とまあ、長かった旅行も振り返れば短く感じるわけで。
21時過ぎ、JR奈良駅をバスが"さよ奈良!!"とばかりに発車して、今回の旅行はおしまいだ。
お金を出してどこかに行く以上、なにか得るものがあると嬉しい。
それは本当になんでもよくて、例えば語らいの中の安心とか、美しい景色に囲まれての情動とか、食に舌鼓を打っての満足とか。
今回は、"変化"を受け止めることが楽しかった。
そもそも旅行は"ここではないどこか"への移動だ、根底に"変化"があるのである。
違いを見つけて、どう違うのかなぜ違うのか、意識的でも無意識的にでも考えているとき、旅行先の街を面白いと感じるし、それに追随していつもの街も面白いと思える。
畑を耕して土に空気をいれるように、日常を非日常で掘り起こして面白くできたら、とてもステキなことだろう。
次はどんな形で掘り起こされることになるのか、そんな期待感も胸に入れておいて変わらぬ日常を過ごすのも、悪くないかもしれないね。
それではまた、次なる掘り起こし現場のレポートにご期待ください。