色メガネ売場

目の届くかぎり広く、手の届くかぎり深く

衣替えには向かない日

列島を襲い、関東にも激しく爪を立てた台風が、取るに足らない雲までかっさらって北に去っていったから、再び夏が来たようだった。めまいがするほど唐突で、くらくらするほど灼熱の青空。秋を迎え、早くも忘れかけられていたのを寂しがるように、今日ばかりは暑さにぼやけて夏の入り口が見えた気がした。

 

神無月に入り、ぼちぼち衣服の袖も長くなってきた。休暇という長い眠りから覚めたばかりで、曜日感覚どころか"月感覚"さえ失っている身としては気温に合わせた服装を一日一日とるまでなのだが、年度下半期の始まりに合わせ服を替えると決めた明治の役人の"切り替え給え"という声が聞こえた気がして、しゅんとした姿勢もいくばくかシャンとした、と思いたい。

 

混沌で幕を開けた都民の日は、しかし昼には晴れ渡り、何の気なしに訪れた池袋には少年少女とその保護者があふれていた。生粋の東京都民なのか、はたまた台風で学校が吹っ飛んだ埼玉県民なのか、見分ける術はないけれど、どっちにしろ休日を謳歌していることに変わりはない。サンシャインシティの地下でラーメンをすする横でも、親子が楽しげに遊び回っていた。

 

サンシャイン60通りを駅へと向かう途中、HUMAXの前を通りかかったとき、横に学生服のブレザーが2つ並んで歩いているのが目に入った。かたっぽが男の子、もうかたっぽが女の子。ちょっと暑そうな顔をしながら、会話も心なしか少なく思える。律儀に着ずとも脱げばいいのに、"衣替え令"の敷かれた学校からの帰り道、なんとなく羽織ったままなんだろう。つかずはなれずの距離のまま、いずこともしれぬ池袋の喧騒に溶けていった。

 

季節外れの猛暑をうけて、街ゆく人の多くが半袖のような開放的な服装だったからこそ、重そうなブレザーに包まれた彼らを見て、衣替えのことを思い出したわけなのだ。とはいえ、衣替えと聞いてクローゼットから現れたブレザーの戸惑い肩を落とす姿が見られるのも、今日限りだろう。この暑さも、幻のごとく数日のうちに消え失せ、嘘のようにブレザーの快進撃が始まっていくのだろう。

 

しょげたブレザー、なんてちょっといいものを見た気分になった。しょげたといえば、台風が去ったあと機能麻痺していた東京も、少しづつ回復していき、早くも元の姿に戻ろうとしている。しょげた東京も、あまり見られたものではない。二重の意味で。

 

その頃私はといえば、着ていった襟付き長袖シャツをしょげさせ、こちらも衣替えに失敗していたのであった。いやー、暑かった。長袖なんて着るんじゃなかった。