失わないと気づかないバカのおとぎ話
数年前になりますか、私はとある彫刻を手に入れたのです。たまたま行った博覧会で、コレだ!と目が合ったその美しいヒトをかたどった彫刻は、偶然にも所有者がいない状態といいます。ならばと私はその彫刻を大切に持ち帰り、家に飾ることにしました。彫刻がたたえる微笑みは、私に持ち帰られるのを嬉しがっているようにも見えました。
それから、彫刻と過ごす日々が始まりました。出かけるときも家に帰ってきたときも、彫刻はこちらを向いて微笑んでくれました。暇ができたときには彫刻を磨きました。光を受け一層輝きを放った彫刻に、私はよく見とれたものでした。私が彫刻を手に入れたことを知った友人はみな、感心し喜んでくれました。あれは素晴らしい作品だ、よくぞ迎え入れたものだね、と。彫刻を磨く手により力が入りました。
その彫刻を手に入れたことをきっかけに、私は美術の世界に浸るようになりました。たくさんの素晴らしい絵画や彫刻に出会いましたが、やはり私にとってその彫刻は特別なものでした。私は、またお金が貯まったら家を買って、その彫刻を飾るためだけのスペースを作りたいとまで考えるようになっていました。
一方で、わたしは不安でもあったのです。私は資産家としてはちっぽけな存在。たまたま他に受け取り手がなかっただけで、いつ大資産家がこの彫刻の魅力に気づき、私の家からそれを運び出してしまうのだろうと考えて眠れなくなることもありました。とはいえ、せっかくの彫刻ですから他人に自慢したい。素晴らしいとは言ってほしいが、欲しいとは言ってほしくない。私のわがままは、こうしてふくれていきました。
そしてあるときから、私は理不尽にもその彫刻をうっとおしく思うようになったのです。あまりにも美しすぎるから、私が苦しむことになるのだ、と。資産家として成長できればその思いも消えるかもしれないといろいろなことを考えましたが、最終的には何もすることができなかった私はちっぽけな資産家のままでした。たまに家に来客があると、彼らは決まってその彫刻の前で足を止め賞賛してくれます。それが私には、彼らがその彫刻を我が物にしたいと思っているようにしか聞こえませんでした。
気がつくと、磨く頻度も少なくなっていました。その間も彫刻は、ずっと同じ微笑みを浮かべていました。私はその微笑みすらまともに直視することができなくなりました。仕事が忙しいのを良いことに、家にもまともに帰らなくなりました。
時々、暗い部屋にたたずむ彫刻の姿を思い出すこともありました。その姿は決まって微笑んでいるんです。だから私は、放置しておいても彫刻はずっと私のために微笑んでくれるんだと信じ込んで、不安に必死でフタをしていました。
家に帰って少し汚れた姿を見るたび、自分の行いを反省し、また手入れをしようと決意したことも一度や二度ではありません。でもその思いすらも、回数を重ねるごとに麻痺していきました。明日やればいい、明後日やればいい‥‥‥‥。
そのうち会社では社運をかけた一大プロジェクトが始まりました。そちらに集中しないと、いい結果を残すことはできない。彫刻に対する中途半端な思いの集合体のような今の私では、とても太刀打ちできるような任務ではありませんでした。
そこで、私は決心したのです。
彫刻を売却しよう、と。
そう決意した夜、私は久々に家に戻りました。やはり、彫刻は薄汚れていました。それでも、変わらない微笑みをたたえていました。私はまともに手入れもしないまま、その彫刻を売りに出しました。心のどこかでは、買い手がつかないでほしかったのです。
こうしてその彫刻は、私の家から姿を消しました。私が消させたのです。
そのおかげかはわかりませんが会社の仕事は成功を収め、私は少し上の役職へと昇進を果たしました。
いい気になった私は彫刻を売るのをやめて、今度は会社に飾ることにしました。もう自分の家に飾るほどではないけれど、見知らぬ誰かに買われるよりは、自分の目につくところにおいておこうと思ったのです。彫刻は会社のいろいろな人に手入れをされ、日々美しくなっていきました。
一度、昔のように丁寧に手入れをしてみました。誰にも変わらぬ微笑みを向ける彫刻は、当然あのひどい仕打ちをした私にも同じ微笑みを向けてくれます。このまま会社で愛される彫刻になってくれればいいなと思っていたんです。その時までは。
ある日彫刻は、会社の人にもらわれていきました。
彫刻を気に入ったのは私と同じプロジェクトチームの人で、私より有能な大資産家です。会社に持ってきたのは私ですが、断る理由もありませんでした。思いつきませんでした。もうあの微笑みの彫刻が手元に戻ってくることは、ないでしょう。
あるはずのものがそこになくて愕然としたのと、愕然とした自分に愕然としたのが同時でした。愕然としているということは、持っておきたかったということですから。自分で持っておくことはいくらでもできたはずなんです。失うまで気づかない私は、なんと愚かでしょうか。
あの微笑みの彫刻は、微笑める場所を探していなくなってしまいました。彫刻だから顔など変わるはずもないと思っていたけれど、私は彫刻の顔すら歪ませてしまっていたのでした。
私はきっと一生、あの彫刻を忘れることはないでしょう。そして思い出すたびに、大きな後悔が私を殴ることでしょう。
終わり。
思いつきで長野に行ってみた話
サークルの帰り、同期から高尾山へ行ったという話を聞いた。
大学は冬学期の中休みともいえる小休暇中。明日は一日空いている。
どこかへ行くか。同期にならって高尾山に行こうか。
軽い気持ちでそんなことを考えていた。
夜。バスタ新宿のホームページを開くと、津々浦々の行き先が並んでいた。
その中からなんとなく長野を選んで、なんとなく家を出た。
行くアテはまるでない。
終わりかけの紅葉でも見に行くか、なんて思いつつ、あくまでなんとなく。
てっぺんを過ぎた夜の新宿から、ピンク色のバスで脱出した。
まったくの余談であるが、夜の騎士バス、乗ってみたいけど乗りたくない。
新宿バスタ→長野駅東口
2400円
明朝5時半。ピンク色のバスが長野駅前にすべりこんだ。
暗い。寒い。人がいない。
深夜バスゆえ、大して眠れてもいない。
とはいえ最近の怠惰な生活をカエリみれば、補って余りあるくらいの睡眠貯金はあるはずだ。
高尾山を選ばなかったのは、この辺にも理由がある。起きられないからだ。
深夜バスなら、寝坊も寝過ごしもない。
長野駅のホームを見やると、東京行の長野新幹線が停車している。
これで帰れたらどんなに腰がラクなことだろう。
とはいえ、若者の財布と若者の腰は天秤にかけるまでもないのだ。
出かける30分前に行き先を決めただけの旅は、当然下ごしらえされていないナマの味。
とりあえず早朝の長野駅を徘徊すると、長野電鉄なるローカル線のりばにたどり着く。
時刻表がスカスカ。最高。
ただ、沿線に何があるかサッパリわからない。かといってスマホを取り出すわけでもない。
先日の京都旅行でスマホを紛失した結果、スマホがなくても、いやむしろスマホがないほうが旅という非現実を楽しめると気づいたのだ。
まだ日は長い。一日を長く使えるのが深夜バスを利用するメリットのひとつだ。
ブラブラしているうちに反対の出口に出た。何かないかとキョロキョロしていると、
2℃!
思わず二度見した、というのはウソのようでホントの話である。
次に足を運んだのはJR長野駅の改札。きっぷ売り場の路線図を見ながら思案するうち、目に留まるフライヤー。
"黒部アルペンルート"
頭のなかでファンファーレが鳴り響く。行き先を発見した記念すべき瞬間だ。
決めた理由はひとつ。
ずっとトロリーバスに乗ってみたかったから。ただそれだけなのである。
長野駅はSUICAの利用範囲外ということできっぷを購入。新幹線も止まるのに未導入なのか、と驚く。
入手したフライヤーによると、黒部アルペンルートは信濃大町という駅が起点のひとつで、篠ノ井線から大糸線に乗り継いで向かうということだ。
電車が来るまで、立ち食いそば屋で朝ごはん。
山菜うどん
440円
深夜バスを降りて冷えた身体に温かい出汁がしみる。
旅先の立ち食いそばには旅行補正という最強の調味料がかかっている。
長野駅始発飯田行の電車がやってきたのは15分ほどあとのこと。
3両編成、ドアの開閉は押しボタン式。こうでなければ。
最初は登山者ばかりまばらで空いていた車内も、学生やサラリーマンで徐々に混雑。
そういえば今日は平日だったな。
飯田線直通という響きにそのまま乗っていたい気持ちにもなったが、トロリーバスが呼んでいる。
松本で下車。
長野→松本
篠ノ井線ほか
1140円
時刻表を見ると次の大糸線が来るのは1時間後。
ひとまず改札を出ると、立ち込める霧の中見えてきた看板には"松本城"の文字。おあつらえ向きのスポットだ。
振り返ると、駅ビルに光る温度0℃の表示。‥‥ゼロ!
学校へ向かう中高生に混じる城行きの学生おひとり、耳を赤くして朝の松本を歩く。
やってきました松本城。
城を取り囲む堀からいっせいにたちのぼる蒸気霧に包まれた松本城は、難攻不落のオーラをまとっていた。
中にも入ってみた。
6階まで急傾斜の階段を上っていく。板間の冷たさが靴を脱いだ足にしみる。
今まで、この通路を誰が通ってきたんだろう。タイムベルトをつけたような気分になった。
入場(城?)料
600円
財布をみたら1500円しか入っていなかったので、コンビニで実弾補給。
ついでに、外気にさらされ縮み上がった手に温もりを補給。
コンビニ
肉まん・コーヒー
270円
松本駅に戻ると気温は0℃から1℃に上昇していた。ようこそ正の世界へ。
大糸線は1本/時間のローカル線。単線をゴトゴトと、ワンマン運転だ。
先頭車両から車窓を眺めて、見えてきた駅が無人だったときの高揚感を味わう。
1時間くらい乗車。終着駅・信濃大町こそが、アルペンルートへの入り口だ。
松本→信濃大町
670円
駅舎にはアルペンルートの地図があった。助かる。
なにせ何も調べず来たので、行き方も何があるかもよく知らない。
とりあえず次の駅まではバスで移動らしい。
ここではじめて、アルペンルートが富山方面まで抜けられることを知った。
1日でいけるかどうかはかりかねつつも、とにかく行ってみる。
頭を使うのは困ってから、ということにして。
2500円(往復)
そうそう。駅前でおやきを買った。
野沢菜、ではなくあんこなのである(某番組を知っている人はいるのかな)。
おやき
180円
バスが山に入った途端、視界に白いものが入ってきた。
そう、雪である。まだ朝方だったので、とけずに残っていた。
温かいバスの中から、これから待つ厳しい寒さを思った。
山にはサルもいた。2匹連れでどこかに向かっているようだった。
私はひとりで、あてもなくどこへ行くのだろう。
扇沢駅は山の斜面の開けた場所に立っていた。
冬の抜けた青空と、雪をまとった白い山がキレイだ。
運賃表を見る。終点・立山駅との往復料金は9650円。当然のごとく払えない。
継ぎ足し継ぎ足し、行けるところまで行くことにした。
温室のような待合室にはご年配の方しかいない。
なんだか落ち着かない気持ちだったが、後にこれはまだ序の口だったことが判明する。
そわそわしていたら、トロリーバスがやってきた。
トロリーバスは、2本のポールを架線に伸ばして電力を得て走る。法律的には電車である。
現在では日本全国でもここ立山黒部アルペンルートでしか走っていない珍しい乗り物だ。
といっても昔は東京とか横浜とか、都心の道路を普通にトロリーバスは走っていた。
しかし、交通渋滞の原因となったり地下鉄建設が進んだりしたことで、路面電車とともに徐々に姿を消していったのだ。
何が面白いって、バスに乗っているはずなのに、聞こえる音は電車に乗っているときのそれということだ。
長いトンネルに入り10分ほど走行する。
東京の地下鉄にバスで乗り入れちゃったような不思議な乗り物に心が躍った。
2570円(往復)
黒部ダム駅に着いた。まずは展望台を目指す。
この約200段の階段を上るのだ。
途中には休憩ポイントも。冷たくて目が覚めた。
上るだけの価値ある景色を展望台は見せてくれた。
黒部ダムは一度階段を降りて、トンネルを進んだ先にある。
トンネル内の気温は4℃。だいぶ慣れてきた。
黒部ダムの文字がお出迎え。
でっかい。山に挟まれた巨大な湖だ。
こんなものを人の手で造るのか。
近くに慰霊碑があった。
200人近くの名前が、そこには並んでいた。
ダムの上を歩く。命の上を歩く。
黒部湖には遊覧船が就航しているらしいのだが、冬季は休航。先に進む。
標高差約400m、最大勾配31度の急斜面を走る日本で唯一の全線地下式ケーブルカーだそうだ。
羊の防犯ブザー(CV.村川梨衣)みたいな音が鳴ったら、1 2 3を待たずに24小節、もとい420秒の旅の始まりである。
黒部平から引っ張られて、車両はゴトゴトと斜面を上っていく。
黒部平駅には広場があるのだが、雪が積もって半分くらいの広さになっていた。
黒部峡谷が見える。この地域の景観保護のために、ケーブルカーは地下に潜ったそうな。
次の大観峰駅まではロープウェーで移動。
こちらも景観保護のために、柱が一本もないワンスパン方式を採用している。正直、怖い。
出発直後、前面から撮影。約1.7km間柱なしという否応ない事実に圧倒される。
ここでさらなる孤独感を味わうことに。
なんと、私以外の乗客は中国人団体観光客だったのだ。
ここは中国の山ですか?
黒部湖→黒部平→大観峰
ケーブルカー・ロープウェー
3240円(往復)
冬季なので展望台は閉鎖。別の季節に出直そう。
そしてここで残金が2000円になり、さらなる北上は断念。ということでここが旅行の最北端。
記念(?)にごへいもちをいただく。暖かいうちに食べるが吉。
ごへいもち
300円
そういえば帰りのバスをとっていない、と気づく。つくづくいきあたりばったりである。
ぼちぼち山を降りるか、と時計を見ると14時を過ぎている。早い。
大糸線の1時間に1本のダイヤが頭をよぎる。サクサク戻ろう。
来た道を引き返す。
ロープウェー、下りの車窓から黒部湖が遠くに見える。
ケーブルカー、下りで先頭から見るとかなり怖い。ここが富士急なら急落下だ。
帰りの黒部ダム駅は修学旅行生(なぜこの寒い時期に来た)と中国人観光客の群生地となっていた。トロリーバスの団体利用である。
そして当然そこに放り込まれる一人ぼっちの私。
まあ、こんなもんだ。
扇沢駅に戻ると、駐車場に残っていた雪はすっかりとけていた。
また来るぞ。今度は富山まで行くぞ。
雄大なる山々にしばしの別れを告げ、信濃大町駅に戻った。
阪急交通社のサイトより拝借。これを見ると、あそこ(大観峰)まで行ってまだ半分か、と恐ろしくなる。
そういえば昼飯を食べていない。
信濃大町駅周辺をウロウロしてみたのだが、平日夕方の商店街は人通りが皆無、シャッターが並び寂しいたたずまい。
そんな中、洋菓子屋がドーナツの実演販売をしていた。
ほとんど誰も通らないのに‥‥。
気がつくと明るい店主の呼び声におびき寄せられ、1個購入していた。旨い。
もっと売れるといいな。
あんドーナツ
180円
いよいよ空腹が身体を支配したところで、松本駅に戻る。
車内にはひたすら乗客を隣に座らせようとする変なピンクババァや、3DSを握りしめて徘徊する変なジジィがいた。山で見たサルが化けた姿だったのかもしれない。
地元の学生も乗ってくる。健康的な色をした少女は、部活の疲れからかウトウトしている。仕事帰りのおじさんはぐったりと足を通路に放り出している。
ここにも息づく人がいる。生活がある。
この場所に溶け込んだ人たちが作る日常を見せてもらっている。
私は、ちょっと振り向いてみただけの異邦人。
たまの非日常と、非日常の中の日常が好きだ。
信濃大町→松本
670円
ここまで来たらスマホは使わず乗り切るぞ!と意気込んだが、そのせいで2時間近く初冬の松本を歩き回るハメに。
ちなみに夜の松本は7℃。
あったかい!!!
まず、浅間温泉に行こうと思って歩き出したはいいけど、けっこう遠い。
トボトボ引き返す道すがらに偶然見つけた銭湯で、地元のジイちゃんと共に温まった。
次に、松本でご飯屋を探すも、居酒屋しかない。
1時間近く歩き回り、松屋の看板がイルミネーションのごとく輝いて見えてきたところで入った駅ビルにその店はあった。
その名も”ご飯屋”。直球すぎる。
おろし山賊焼き定食
1080円
山賊焼きというのは長野県の郷土料理らしい。しかしこれが美味い。
サッパリした油淋鶏、という感じだろうか。大満足。また来ます。
翌朝にはサークルの練習がある。名残惜しいが、帰らないわけにもいかない。お金もないし。
バスに乗って3時間あまり、あっという間に新宿に戻ってきた。
金曜終電間際の新宿の景色は、どことなく無機質にも見えた。
たくさんの人が行きかって、イルミネーションだって輝いているのにね。
何も調べず考えず、その場その場の選択で過ごした1日。
計画性のカケラもない旅は思ったよりも楽しく充実していた。
やっぱり旅行にスマホはいらないね。
おそらくひとり旅でしかできない芸当、またやってみよう。
バスタ新宿の運行予定を開いて、目を閉じて指差したバスに乗って行ってみよう。
知らない場所に、いろいろ教えてもらおう。
それまでは、東京を見に来た人のために、せいいっぱい日常を作ってやろう。
誰かの背中にギリギリ届かないでほしい言葉
どうしても年を食っているので、俯瞰で物事を見ることが多い。
まだまだ若造、視界こそ世界な側面が未だ多く残されているには違いないとはいえ。
入部当初、技量はないくせに年だけムダに重ねていたせいか、視点切り替えスイッチだけは立派なものがついていて、当時から今に至るまで、様々な側面からあの部活を見てきた、と思う。
しかしそれは、集団全体の話。船がどこにいてどこに進むのかは見えていても、船員たちの思惑はほとんどわからない。
自分が見ているのは可愛らしくはしゃぎ、かっこ良く演奏している姿だけなのだから。
何を思っているのだろうと思いを馳せても、実情にはきっとかすりもしていないのだろう。
振り返ってみる。今、さっと。
話していて楽しかったな、という思い出ばかり。
あのニヤッとした笑顔とともに、これからも胸にしまっておく。
振り返っている。今、きっと。
それでも、文字に起こすには膨大で複雑な出来事と感情を抱いたまま、前を向いて走り出しているんだと思う。
走り出せるチカラに、私は惹かれる。
ふと後ろ髪をひかれることがあるかもしれない。
でも後ろ髪をなびかせているのは、仲間が送った追い風だ。
思う存分暴れてきてほしい。
今こちらから見えるのは、何か抱えていたとしても、それに気がついたときにはもう颯爽と去ってゆく後ろ姿だけ。
でも、その顔はきっと笑っているはずで、やっぱり素敵な人だな、と思う。
なんだろうね。
ほんの微々たる時間しか会っていないはずなのに。
こんなに寂しく感じるのは。
また会える日まで。
「お久しぶりです!先輩おごってください!」と笑顔で言われるその日まで。
どの立場から言っているのかもわからない謎の先輩もひとり、あなたを応援しています。
いつかまた、合宿ではついぞ聞けなかった魔女宅のソロをもう一度聴かせてください。
本人に向かって投げていますが、本人の背中には届きませんように。
Please make my room clean!
部屋の片付けが終わらない。
人を招く計画とともに立ち上がった一大プロジェクトは、計画の頓挫をもろともせず膨らみ続け、最近では帰宅するたび自分が知らない部屋に招待されているような感覚さえ覚える。
苦手だ。片付け。
なぜ苦手なのかにも心当たりがあって、きっとそれはカンペキを追い求めているから。
ありとあらゆる所有物を分類しつくし、自分で定めし配列どおりに整列させることこそ片付けであると一念発起するたび、そのあまりにも巨大であまりにも無謀な計画ぶりに道半ばで挫折し、むしろ分類の外にはじき出された物物物が溢れ出して"片付け"開始より"片付け"停止の方が乱雑な部屋模様となる。
片付けにカンペキがあるとしたら、それは一瞬でもその収納場所や存在意義に疑問を感じたものをひたすらダストシュートする職人にのみ与えられる称号であろう。
だから、探せ。妥協点。
部屋は生き物なのである。いつでも同じところに同じものが絶えず存在するはずもなく、持ち込まれ、並べられ、取り出され、動かされ、使われ、捨てられ‥‥動かない部屋などないのである。
それはまるで下手な人が持つルービックキューブのように。ある面が常に違う色の組み合わせを追い求め続けているように。
そこに分類・整列の概念を堅苦しく適用しようとしたら、部屋の住人たちだってストライキを起こしたくなるに決まっている。意地でも元の場所には戻ってやらねぇ、と。
カンペキに整える理想など、追うだけ無駄だ。
さらに、部屋には、そして床で無力にも散らかっている彼らには、歴史がある。片付け場所を与えられず、難民として過ごした不必要な歴史が。
ひとつひとつの歴史は大したことなくても、それが大量に複雑に絡み合っているのだから、部屋は戦場と化している。
歴史など与えず、最初からこまめに定めてやればよかったのだ。彼らの持ち場を。
肥大化する前に、氷のつぶては溶かしておくべきだったのだ。自分を痛めつける前に。
ルービックキューブをひっちゃかめっちゃかに回して絶対に戻せないと青ざめているような、氷山の一角をかき氷にして腹を満たしてしまい、さらなる掘削を怠った結果氷山の雪だるまが出来上がっているような、そんな状態でカンペキなど、目指すほうが馬鹿げている。
そこそこを目指そう。気負わず。
さて、物の山に囲まれながらキーボードを打つのはこの辺にして、復旧作業に戻ることにしようか。
復旧は終わるのか?今よりはマシだと片付け前の状態に戻ることになるのか?
とにかく、終わることを願うばかりだ。
一番片付けるのが難しいのは、片付けそのものかもしれない。
○最近のステキソングコーナー
「不思議/スピッツ」
サビの晴れ晴れとした開放感が素敵。夏、トンネルを抜けたら一面の青い海!というイメージ。Aメロの歌詞が好き。
【知ったかぶりタイム】
サビのコード進行(おそらくⅣ-Ⅴ-Ⅲm-Ⅵm)によるものか、王道感に溢れた曲。
1階席に行きたい ~感想・2(吹部)
【注】吹部の話しかしません
さぁ書き切るぞ。
‥‥本当は明日からの宿泊行事の準備をするべきなのだ。進捗0だから。
性質上実名で書けないので、楽器名で察してけろ。
リハーサルのリハーサルの日に長話を垂れてしまってから3週間。練習の様子を垣間見ているとはいえ、客席から見るステージは一回こっきり。何を見せてくれるのかとても楽しみで、出ないくせに緊張した。
本番。もうホントは声は出したい手拍子したい手振りたいで立ち上がって踊りださんばかりの勢いだったのだが、抑えつけた。でも3階席で大音量の拍手はきっとうるさかっただろうな‥‥。
収拾がつかないので箇条書きにする。
・パーカスの彼が可愛らしい音で2回もネコを踏んづけやがった。いいセンス。
・サウンドチェックで遊ぶの、良い。
・そして不意打ちのダッタン人でニヤニヤする。いや、ニタニタした。気持ち悪い。
・ここらで名前呼びたい衝動が来る。でも呼べる空気ではない。3階席って遠いんだなと実感。もうひっくり返っても現役にはなれないのか、としみじみ。そしてOBという立場を痛感。近いようで遠い、あまりにも遠い。
・はじまる。ドラムの彼女、頑張れ。最後まで持て。と祈念。
・中央で舞う9人。全員切れが良くなり(特にトランペットの彼はかなり向上)副部長が浮いてなかった。まとまりがあった。その中のチューバ、目立つ。よく動く。同期にスゴイねあの子(というニュアンスのコト)を言われる。彼女喜ぶだろうなと私が勝手に心のなかでガッツポーズ。
・手拍子をもう少し煽れたら良かったかもなーとは思った。難しいけど。
・一段上に並ぶ低音。強そう。もっと主張して良いのでは!音で!
・一曲目おわり。MC。2年前を思い出して頭のなかで比較。丁寧さが段違い。
・あ、2曲目ディスコか!となってからテキーラも2曲目だったなと思い出す。
・ソリスト紹介。3階席で一番大きい拍手を送ったつもり。つもり。。。
・舞台を降りていく人々。(演奏でミスできないな‥‥自分には厳しい)などと弱音。
・声飛ばしてぇ~~~~~となる。
・突然の生演奏つき掛け声リハ。リハがあってこそ本番が生きるよね。
・果たしてディスコはうまく行った‥‥んじゃないかな?というのも3階席はいわゆる"地蔵"なもので、1階席のアツい声も巧みに吸収するカラクリつきなわけで、当然ディスコと言えなかったわけで、うーむ。3階席は静かだ。
・やばい。この辺り曲にノリすぎて記憶がない。
・"マイク"が動いてソロの音拾ってた。なるほど。
・中間ソロのお二人、タスクの山を越えよくぞここまで。敬礼。
・ディスコおわり。MC。部長あいさつ。ステージ見て、やっぱり増えたなあ、部員、と。1年から入部してる同期はより一層感じていることなのだろう。
・ソロのポーズが可愛かったりかっこよかったり。ちゃんとポーズがあって良い。
・そして次の曲には今回一番楽しみにしてたと言っても過言ではないソロとソリがあるのである。
・ワクワクなのである。
・ドキドキするのである。
・3曲目。冒頭の照明、バッチリ決まってて舌を巻く。こういうところ、やはり外部の方の協力あっての発表だと思わされるとき。
・チューバ2台、跳ねる跳ねる。重いだろうに、一切ツラそうな素振りがないところが演者の意地か。ステキだ。
・ペンライトをおもむろに拾い上げる指揮者さん。踊る指揮者さん。上手いから映えるのよね。
・雰囲気がコロコロ変わるのもこのメドレーの特徴であり特長か。静かな伴奏に乗せてオーボエの音色が胸を打つ。なぜ聴いていたいものほど一瞬で終わってしまうのか。
・フルートソロ、少し毛色の違う振り付け、旗。前後との差異、印象の付け方に工夫を感じる。
・雰囲気が再び明るくなったら、パーカスの出番。いやー跳ねる跳ねる。ティンパニの狭いスペースでぴょこぴょこしてるのもまた一興。じつは練習を見に行った時後ろで跳びたいと思っていたのだが、明らかに練習の妨げになるので自制。
・手拍子をする木管勢。楽しげな感じが伝わってくる。
・ペットボーンソリ。人、多っ!新たな世代の台頭をここで一番実感したかも。
・そして。
・サックスソリなのである。
・ソリ。6人。ソリ。
・この時の状態を表す言葉として間違っているものの中で最も正しいものを選ぶとすると"親バカ"
・ドラムのフィルインからさらにアップテンポに。俄然盛り上がる。
・ホルンが最前列に並んで構えてるのかっこよすぎるな。
・バリサク氏のキレがマシマシで感嘆。仕上げてきたものだ。
・で、あれ。全生徒が惚れたやつ。
・アルトサックスのソロ。
・ソロ。
・正直夏休み終盤の練習で初めて聴いたときは涙出かけた。
・ご本人曰く本番が一番うまく行ったそうな。さすがの一言。
・このときは知る由もなかった‥‥私のスナオな感想を、言う相手を間違えたばかりに当該期LINEに載せられちょっとした騒ぎが起きることを‥‥騒ぎというほどでもないけどね。どのみち次に会うときには何らかの制裁が下るでしょう。私に。
・この素晴らしきソロが終わったあたりで、終わる、終わってしまう‥‥となった。終わってほしくないのに、止まることなく集結へと向かっていく曲。サミシイ。
・思い起こせば2年前は、3曲目、屈んで構えていたところに後ろから迫ってくる冒頭のドラムソロがどうにも終わりを告げる合図のようにしか聞こえなくて、来ないでくれ‥‥あぁ来た‥‥と決まらない覚悟の間で逡巡した記憶がある。
・終わった。あっという間だった。
ステージドリルを導入した初年度の新鮮さが段々と失われ、観衆が「いつものこと」「当たり前」と感じる領域に入ってきた中でのステージ。観衆の中で過去のステージが無意識にハードル化して、より高いものが要求されてしまう難しい年だったと思う。
よくやり遂げたな、というのが素直なところ。
反省点もあるだろうし、OBという立場で関わってきたことでその断片を感じ取ることはあるけれど、形として成立していたこと。そして"最低限"を越えて、ステージとして成立していたこと。紆余曲折の四字でまとめるにはあまりに多くのことがあったことだろう。きっとそれら全部、立ったステージを支える土台になっていたはずだ。
とはいえ、外部から何を言っても想像の範疇を超えることはない。だからとりあえず、お疲れさまと言うことにする。あのステージをどう捉えているかはわからないけど、少なくともその日そこで客席から見たものは、確かに良いものだったよ、と。
今後のことは、まだ先に考える機会がある。先延ばしではなく。先で考えるべきなのである。
だから目の前を、楽しんで。
その姿が何よりもステキで、羨ましいと感じるOBのタワゴトでした。