色メガネ売場

目の届くかぎり広く、手の届くかぎり深く

拝啓、最後の先輩方

4年前、冬の日。年末が差し迫り、一年の清算をはじめる人々をよそに、見ず知らずの集団に頭を下げ新たな環境に身をおいた男がいた。

男が顔を上げたとき、そこには30人を超える先輩がいて、ヤブから這い出した新参者をあたたかく受け入れ、トラックに乗せた。や、トラックには自ら乗ったが。

よんどころない事情、もっぱら学年という肩書きのせいで、夏の舞台は1度きり、定期演奏会での演奏も2回にとどまった。慣れを感じはじめたころにトラックの可動式荷台から降ろされた(これが引退の婉曲表現って、どうなの?)男は、部活を円満に離れた状態で先輩の活動を見守るという、奇妙な立ち位置についた。叶わなかった先輩との合奏を果たすために、半ば強引に合宿に参加した。先輩の結実させた集団の姿が見たくて、今に至るまですべての演奏会を鑑賞した。

 

今思うに、男は引退後も積極的にこの部活に参加することで、本来入部から引退までにかかった時間の分だけ追体験をしていたのだ。

そして、”入部して5回目”の定期演奏会を、ほんの少し特別に位置づけて迎えた。

男にとって、”最後の先輩方”の引退が控えていたから。

 

初めて楽器庫のやや重めのドアを開けた日から、彼らはずっとそこにいた。毎年の引退はいつも手を振って見送る側で、男の知る”吹部”を守ってきた。男の”吹部”パレットにはずっと彼らの色があって、その色こそが”吹部”なんだと、いつしかそう思っていた。

それが幻想にすぎないことも、また知りながら。

 

 

開演、入場。毅然とした顔に浮かぶ、彼らの熟れ(うれ・こなれ)。同時に、率いられる側のあどけなさ残す下級生に、在りし日の彼らが重なって見えた。過去も今も、同じ舞台の上にあった。

 

演奏の話は、正直言ってちゃんとはできない(1年ぶり2回目)。以下言い訳。

これを当たり前といって逃げたくはないが、男は技術とかそういうものにさほど詳しくない。演奏のことは「いい」か「よくない」ぐらいの違いしかわからない。先輩ヅラを取り繕ってきたものの、努力もしていない現状ではアドバイスにも限りがある。

それに、情が入ると感覚が鈍くなる。演奏そのものより演奏するヒトを見てしまいがちだったから、肝心の演奏について覚えていることがあまりにも少ない。

他の卒業生のように曲目に思い入れがあるわけでもなく、ただ単に演奏を聞くのでもなく、演奏していることそれ自体にいちばん重きを置いていた、というわけ。

なにより1ヶ月以上前のことを鮮明に思い出せないのだ

以上言い訳。

 

一部からアクセル全開ふかし気味だったのは”期の特色”というか、ここ最近ではあまりない立ち上がりだったのではと思ったり。悪い意味でなく。

そして今年も司会へ襲いかかったスウェアリンジェンさんだった(司会の方お疲れさまでした)。来年も戦いから目が離せない。誰がやるんだろ。

 

二部、踏みっぱなしのアクセルが多少緩んできたタイミングで曲が追いついてきた感じ。9月の練馬を思い出す、楽しいステージだった。客席で手拍子に狂った。

彼が司会やるのも最後か。初司会の彼に台本を書いて無茶をやらせた4年前がよぎって感慨にふけった。

 

三部、一度本番前に聞いていた平和への行列はあのときよりずっと良く聞こえた。マードックもよく仕上がっていた、あんな大曲なのに。アンコール、「人数が多いとやっぱり良く響いて聞こえるね」って誰かが言ってた。

あと、部長挨拶がパワーアップしていた。名前を呼ばれ立ち上がった彼らを見て、「(ここ最近で)元祖・人数の多い期」だったのを改めて思い出した。

 

 

演奏会はあっけなく終わった。気づいたら男はトラックに乗っていて(なんで?)、気づいたらいつものロビーで、あふれかえる部員とあふれかえる感情の端で、11人の”最後の手紙”を聞いていた。

 

1年間最高学年として航海を続けた彼らの船が、まさに沈まんとするとき。

共に旅した者たちへ、次の船に乗る者たちへ、親しく愛した者たちへ。

立った波の形を偲びながら、船の大事を案じながら、明日の海の天候を憂いながら。

それぞれの思いが綴られた11通。春の宵、言の葉が舞った。

 

 

 

拝啓 最後の先輩方

 

温かさと暑さのはざまで今にも春を忘れてしまいそうなこの頃、いかがお過ごしですか。9ヶ月後輩の身から、稚拙なお便りです。

入部時期が近いので、皆さんには勝手ながらある種の親近感を抱いていました。一足お先に部を去ってからも、早すぎる引退への未練がくすぶるたびに思い浮かぶのは皆さんの姿でした。5年間を走りきった皆さんを尊敬しているし、同時に少し羨ましくも思っています。

たぶん僕が積極的に部に顔を出していたのは、皆さんへの羨ましさに端を発していた気がします。上にも書いたけど、追体験というやつです。僕も、一番長い道のりを走り切る経験がしたかった。そういう意味では、皆さんが祝われながら引退を迎えたことは誇っていいと思います。

僕もそれこそ1年生のときに入部していれば、と思ったりもします。でも、うちの代が最初からこの人数だったら僕はサックスパートに配属されていなかっただろうし(少なくともバリサクは吹いていなかったでしょうね)、仲良くなる先輩も後輩も違っていただろうし(同期はどうせ仲良くなったと思っていますが)、もっと部活の闇に苦しんだろうし(幹部なんて可能性もあったのか)、合宿でヘタクソな恋ダンスをキマジメな彼奴と踊ることになんてならなかっただろうし(ノーコメント)、たぶんこんなブログで長々と感想を述べることにはならなかった。

そう、このブログのこの感想こそ、追体験の最たるものなのです。僕が活動していた時間はあまりにも短かったから、僕が直接関わっていない行事の感想なんかを書いて、あたかも参加したように思いたかったんでしょうね。自己満足、きっとそうなのでしょう。

 

月並みですが、皆さんがこの1年間で作り上げ魅せつけた演奏会、とても良かったです。部を率いる皆さんの姿は押しも押されもしない最高学年のそれでした。

 

思い入れのあまりとうに客観性を失ってしまった僕にはもはや”粗”と”味”の判別がつかなくて、演奏会が成立したことだけでもう特大の拍手を送りたい気分になっていたから、少なからず偏った評価であることは疑いようもないです。けれど、きっと”粗”に関しては演奏者という存在の一番近くにいた自分自身にもう痛いほど身にしみていることだろうから、第三者が今さら主観を覆してまでほじくり返すことではないでしょう。

 

定期演奏会って、どうしても「舞台装置」と不可分なんですよね。「演奏会」が前に出るか、「引退」が前に出るか‥‥前提である前者を置いてけぼりにして、舞台を中心として盛り上がることもありうる(一方、「舞台装置」を見に来ているお客さんもいるから、話はややこしい)。

「舞台装置」が前に出ることもひとつの形として立派に成立しています、技術にもまして感情の乗った音だってヒトを動かします。

そんな形だったなあって、変に悔やんで恥ずかしがって歪めずに、そのままの形で覚えておくことが未来をちょっと豊かにするんじゃないかな、と思うのです。

たぶんそのうち、青い果実の瑞々しさ、熟れた果実のまろやかさを嗅ぎ分け、それぞれに堪能できるときが来ます。いつか自分の感覚のレパートリーを並べるとき、大事に育てもぎ取った、そして大事に包んでおいたちょっと青めの果実が、感覚に広がりをくれる、なんだかそんな予感がします。

 

下書きに残っていた過去の僕に言わせると、皆さんは「感情のもつれ、現実のほつれに顔を覆いつつも、ここが底と信じて這い続ける気力があった頃。避けて通れぬイバラの道を、傷を負っても進み続ける覚悟があった頃。」に該当するらしいです。ほんとかな。

部のスタイルを、守りつつも(僕はこの”つつも”というのが出色だと思う)攻めて挑み戦い変え革めていった皆さん。こういうと怒られるかもしれないですが、諦めることはいつでもできたはずだと思うから、走り抜けたことはただゴールに到達したのみではない、障害を乗り越えたこともちゃんと意味していることでしょう。

 

 僕という「年上の後輩」みたいなよくわからない立場の人間が部内でどうたち振る舞えばいいのか、最初ほんとうに悩みました。個人的なつながりだけでやっていくのかな‥‥とか、ね(なんのことだろうね??)。皆さんが積極的に声をかけてくれたから、開き直って「先輩ヅラ」できたのかな、と思います。

それはとても楽しく、同時に未練を生むわけで。。。新しい場所に行っても、未だ引きずられるように高校の話ばかりしてしまいます。

 でも、こんな現状だからこそ、あの時期に入部してよかったと心から思っています。皆さんの後輩でよかったと思います。未練があるってことは、きっとすごく楽しかったということだから。楽しい思い出の一片になってくれて、ありがとうございました。

 

 

タイタニックは沈みます。皆さんの乗った、皆さんの率いたタイタニックも沈んでいきました。今度はいっしょに海の底から、新たな陽に照らされる水面のキラメキを眺めるとしましょう。

そのときまで、またいつか。

 

 

敬具

ワカルの季節

春は別れの季節、なんて凡庸な書き出ししか思いつかないが、春をひとつの節目とするニッポンの風習が続くかぎり、春は別れの季節である。名残惜しさを胸に散らして、カスミをかき分け、温めた場所を離れていく。

環境が”代わる”ことはほとんどなくて、新しく”増える”だけなんだけど、そんなに多くを覚えていられないから、”代わる”ように思える。新しい環境に向いた分だけ、昔からの環境にはどうしたって心を届かせづらくなる。単純接触効果なんて言葉があるが、きっと環境にも当てはまる。会った分だけ親しくなる。会わない分だけ疎遠になる。

それでも、幸か不幸か”代わり切る”ことはできない。思い出は顔のない栄養になって、今の自分を形作る。無意識の下で、過去は息づく。増えすぎて溢れそうになったら、芯を残して削られていく。新しく惹かれた環境の中、不意に見えた昔の思い出の影は、当時より美しくなっている。

 

”別れ”という言葉は元には戻らないんだという不可逆性を秘めている気がする。再び会ったところで、もう前とは確実に何かが変質している。18歳のワタシは18歳のアナタと別れ、20歳のワタシが20歳のアナタと会って、”同じ”だった環境の上に”違い”が積まれていて、それに気づく。あるいは会わずとも、ワタシのいる新しい環境にアナタはいない、そんな”違い”を認識するだろう。”別れ”の先に、違いが生まれるべくして生まれるのだ。どことなく悲しい、まだ”同じ”でありたいのに、変わってほしくないのに変わってしまうことを惜しむような、少々後ろ向きの”違い”が。

 

 

これが”分かれ”だったら、どうなんだろう。

なんとなく、あくまで個人的にだが、はるか遠くで再びつながっている可能性が残されているような気がする。クラスに分かれ班に分かれて得た経験は、それぞれに”違い”があるけれど、それは想定され期待された”違い”だ。”分かれ”は、”違い”があることを念頭に置いた上で進む。再び会ったとき、それぞれ”違い”を獲得したという点でワタシとアナタは”同じ”になる。その”違い”はきっと誇らしく、自らが獲得した”違い”でもって、アナタとの”違い”を楽しむ、少々前向きの”違い”。

 

離れたのち絶対に生じる”違い”への姿勢が消極的か積極的か、そんな”別れ”と”分かれ"の”違い”。春は”別れ”と”分かれ”がどちらも入り交じる、ワカレの季節なのだ。

この2つの言葉の"違い"を調べると、”別れ”はヒトに、”分かれ”はモノやコトに使うという。ヒトは”分かれ”ほど単純に”違い”を受け入れることができないからこそ、その後ろ髪を引かれる”別れ”が、人間模様を彩るのだろう。

 

 

ところで”分かれ”(終止形で書くなら”分かれる””分ける”)という言葉の語源は「我離る(わ・かる)」と言われているそうだ。「自分がヒトや場所から離れる」、これは「分かる」、理解するという意味の言葉にもつながっていく。

「分かろう」とするとき、たいていの人間は道理や筋道に物事を照らして、真であるか偽であるかの判断を行おうとする。これは真と偽を道理や筋道によって”分かって(分かちて)”いることにほかならない。逆に言えば、真と偽の差異がはっきりしないとき、それは二重に”「分かってない」”のである。真も偽も、全ては”同じ”な状態である。"違い"を知って、初めて真と偽を”分かち”「分かる」のである。

 

離れるということはどこまでもマイナスなことではない。”同じ”である限り、それは「分かって」ないことなのかもしれない。

新しい環境に身をおくことは、かつての環境で共に過ごした誰かを「分かる」という、より高度なフェーズの始まりでもある。一時的な”別れ”は、長く続く”分かれ”の先で「分かり」になる。

 

 

春うらら。一歩踏み出せば、ワカルの季節が待っている。

櫛の歯を欠いたまま

年をまたいで三十余日。冬の夜の冷え込み厳しく、つい半年前のうだる暑さなどなかったかのような寒一色の日を過ごしつつ、そういえばとこの場末の「ひとりごち場」の存在を思い出したわけなのだ。

スミとホコリにまみれた暖炉に、そろそろ薪をくべるとしましょうか。

 

謹賀新年、一攫千金、合格祈願、千客万来

駄文に数え方なんてものがあるか、不勉強にしてわかりませんが、今年もいくらかの駄文にお付き合いくださいまし。

 

ものはついで。

 ↓ゆく年くる年について検討した昨年の正月記事。

sakushusen.hatenablog.com

 

 

そんなことはさておき。

 

この頃巷に流行るものとして、”強い言葉”を挙げたい。

なにかを称賛するとき、あるいは誹謗するとき。良いものを良いというとき、悪いものを悪いというとき。断定的な一言が口から飛び出して、評価を終える風潮があるような気がする。

 

「天才」とか。「尊い」とか。「虚無」とか。「○ね」とか。

 

こういう状況になるのも、ある程度説明はつく。

インターネットが普及して進歩して、パソコンのような媒体を通してコミュニケーションをとる機会が劇的に増えた。そしてメールやブログのような「片方向×2」、手紙のやりとりのように少しの間をおいて為されるコミュニケーションから、LINEや各種SNSのような「双方向」、直接会話しているような即時のコミュニケーションへと中心が移ったことで、「すぐに」自分の感情を伝える必要が生じた。

顔を合わせていない分、画面上に現れる会話以外の一切は「無」であり、その間を嫌う情動もこれに寄与しているだろう。直接顔を見ていれば、考えている様子や表情から読み取れることもあるが、SNS上にはたち現れない。

結果、短いことばを使ってそこに自分の感情を詰め込むことで「発言」にかかる時間を短くし、そのうち使いやすいものを「定型フレーズ」としてストックし常に手札としてすぐに出せるよう持っておくことで「発言」を考える時間を短くし、といった努力によって出来上がったのが”強い言葉”なのである。

インターネット掲示板上で生まれた多くの新語の誕生過程には「省略」が含まれているし、新語でなくてもより感情の程度の大きい言葉が選ばれ、使われている。

さらにこの文化がインターネットの世界から日常社会に輸入され、会話の中に”強い言葉”が折り混じって、今の状況になったのだろう。会話の間を嫌う情動が、ここでも影響していると思われる。

 

この状況を否定しようとはとても思わない。時代の潮流を、棒切れ一本で変えられようはずもないし、特に変えたいわけでもない。悲観というのも少し違う。あくまで自分に落とし込んだ上で、自分はそうでないようにしようと思うだけだ。主語は、なるべく小さくいこう。

 

確かに便利である。重い国語辞典を頭の中に入れて歩く必要はもはやない。先ほど手札という言葉を使ったが、好みのカードを十数枚ストックしておけばいいのだ。その場その場に応じて、パッと出すだけで事足りるのだから。知識が入り用のときは、自分に代わって手に収まる電子頭脳が答えてくれる。

持てる武器が強くなったから、それに合わせて自分の行動を最適化し効率の良いパターンを編み出す。適応という意味では、人間はとても優れている。

 

しかし。それでいいのかな、という思いが首をもたげる。

便利を追求しすぎて、戻れなくなりはしまいかと。

 

たぶん、いまさら交通手段のない生活には戻れないだろうし、上下水道のない生活にも戻れない。新しい道具に浸かるということは、古い道具との決別も意味している。

ブログブームが過ぎた今もこうして誰に読まれるわけでもない文章を書いている。メールも好きだ。長すぎもせず短過ぎもせずの文章を懸命に考えて送信し、返信をしばし待つ、どことなく落ち着かず心のどこかがわずかにヒリヒリしている感覚を愉しむ、しかいこんな機会もほとんどなくなった。あるのは定型文で固めた業務連絡だけ、文章を考えるのも返信を待つのもちっとも愉快じゃない。

 

ここでいう”強い言葉”というのはもともとある言葉も含まれているから、新しい道具というよりは言葉の新しい使い方、とでもいえようか。しかしこれに浸かるあまり、コミュニケーションを「じっくり」とる感覚を忘れてしまいそうで、それがあまりにも寂しくて、川の流れを見つめるだけの尖った石になっている。

 

とはいえ世の中広し、”強い言葉”を濫用しつつも場面場面でしっかりした切り替えを見せこなしていく人がたくさんいる。そういう人からしたら、考えすぎダヨと一笑に付すところであろう。いやしかし、世の中広しという以上、切り替えられない人もいるわけで、例えばこれを書いている凡夫がまさにそうであって、ひとたび”強い言葉”に染まったら、すべてが朱に染まって赤くなってしまう。真っ赤に染まることを是としない以上、”強い言葉”に背を向けたくなるのだ。

 

 

昔の人は感情を表す言葉を、微妙な差異を埋めずにたくさんこしらえた。これを大きさ・程度で数値化し、順に並べられるとしよう。0から100までの感情は、連続して絶え間なく表されることはなく離散的であるものの、少しの間をおいて櫛の歯のように並び、小さな範囲を少しづつ受け持ちあって、感情をあまねく表す。なめらかに櫛が動いて、美しく生活を彩る。

 

時代を下るにつれ、その歯がだんだん欠けていく。

表現の豊かさより、櫛の歯の数より、速さを求める。短さを求める。

櫛をせわしなく動かして、引っかかった歯がとれて、消えていく。

 

少ない歯でも、力を入れれば使えるさと強引に動かすその手付きは決して間違っているわけではなく、でも「淘汰」で片付けるにはあまりに忍びない。

端の歯だけが残って、引っかかりが少ないと喜ぶ裏で、感情は梳かされず塊になって、インターネットの海に放たれ、一瞬の水しぶきのあと沈んでいく。

 

 

とはいえ。塊のままにしておきたいときもある。細かく砕くのが手間でメンドウで、エイヤッと投げてしまうときもある。いつまでも気を張っていられるほど強くはないのだ。

 

だからたまにはこういうところで、櫛を修理し磨くわけなのだ。

多少欠けて汚れていても、自分の櫛と誇れるように。

 

 

と、いうわけで。新年早々、長々と草々。

物好きな方は、今後とも櫛磨きにお付き合いくださいませ。

 

衣替えには向かない日

列島を襲い、関東にも激しく爪を立てた台風が、取るに足らない雲までかっさらって北に去っていったから、再び夏が来たようだった。めまいがするほど唐突で、くらくらするほど灼熱の青空。秋を迎え、早くも忘れかけられていたのを寂しがるように、今日ばかりは暑さにぼやけて夏の入り口が見えた気がした。

 

神無月に入り、ぼちぼち衣服の袖も長くなってきた。休暇という長い眠りから覚めたばかりで、曜日感覚どころか"月感覚"さえ失っている身としては気温に合わせた服装を一日一日とるまでなのだが、年度下半期の始まりに合わせ服を替えると決めた明治の役人の"切り替え給え"という声が聞こえた気がして、しゅんとした姿勢もいくばくかシャンとした、と思いたい。

 

混沌で幕を開けた都民の日は、しかし昼には晴れ渡り、何の気なしに訪れた池袋には少年少女とその保護者があふれていた。生粋の東京都民なのか、はたまた台風で学校が吹っ飛んだ埼玉県民なのか、見分ける術はないけれど、どっちにしろ休日を謳歌していることに変わりはない。サンシャインシティの地下でラーメンをすする横でも、親子が楽しげに遊び回っていた。

 

サンシャイン60通りを駅へと向かう途中、HUMAXの前を通りかかったとき、横に学生服のブレザーが2つ並んで歩いているのが目に入った。かたっぽが男の子、もうかたっぽが女の子。ちょっと暑そうな顔をしながら、会話も心なしか少なく思える。律儀に着ずとも脱げばいいのに、"衣替え令"の敷かれた学校からの帰り道、なんとなく羽織ったままなんだろう。つかずはなれずの距離のまま、いずこともしれぬ池袋の喧騒に溶けていった。

 

季節外れの猛暑をうけて、街ゆく人の多くが半袖のような開放的な服装だったからこそ、重そうなブレザーに包まれた彼らを見て、衣替えのことを思い出したわけなのだ。とはいえ、衣替えと聞いてクローゼットから現れたブレザーの戸惑い肩を落とす姿が見られるのも、今日限りだろう。この暑さも、幻のごとく数日のうちに消え失せ、嘘のようにブレザーの快進撃が始まっていくのだろう。

 

しょげたブレザー、なんてちょっといいものを見た気分になった。しょげたといえば、台風が去ったあと機能麻痺していた東京も、少しづつ回復していき、早くも元の姿に戻ろうとしている。しょげた東京も、あまり見られたものではない。二重の意味で。

 

その頃私はといえば、着ていった襟付き長袖シャツをしょげさせ、こちらも衣替えに失敗していたのであった。いやー、暑かった。長袖なんて着るんじゃなかった。

光を放った者だけが

思考や感情を披露するとき、脳みそを直接つないであますことなく伝えられるのだったら、"ことば"などという不完全な道具を振りかざして、本来生まれるはずのないすれ違いやぶつかり合いを育てる必要はない。言語化という作業は、ある種リスクを背負う営みだ。

感想文もことばの集まり。なるべく相手の顔色を見ないように(それでも多少意識はしてしまうが)、純に表すのを目標に、エイヤッとこしらえてみる。

 

‥‥いきなり御託を並べてどうした、と思われたかもしれないが、これも一応フリであって、というのも"ことば"というカタチをとって残るものならまだしも、音楽は(あえて"ことば"と比較すれば)カタチをとらず直に飛び込んでくるわけで、リスクを警戒する、という視点にあらず、ぶつかってなんぼ、といえるのが難しい。マスターキーを作ったつもりでも、どうしたってハマらない鍵穴ってのはこの世のどっかにあるわけで。

 

賞がからむ発表の場で、合鍵職人という選択をしなかったという点。「どうですか?」ではなく「どうだ!」だった点。賞があってもなくても、きっと同じようなことをやっていただろうと思えるのが、今年のステージの良さ、ではないか。

 

さて、箇条書きのお時間です。

・久しぶりに椅子が復活したステージ。剣道場では見慣れた光景であるものの、今まで立奏を追いかけてきた中学生にとっては、座奏が逆に珍しかったのでは。

・開演時間ギリギリに駆け込んだら、2階席は定員オーバー。席数が少ないのはあるにしろ、午後一番で注目のステージだったことが伺える。

・席がないので、消防法に違反しながらステージを見守っていた。早い話が立ち見である。

・1階最前列に見覚えのある影たち。サイリウムの振り方がうまかった。

・1曲目は「Make her mine」から。スティックの音がかっこいい。

・いきなり会場の手拍子が大きく、頬の緩む展開。パーカスが毎度ノリノリなのでさらに頬が緩む。終わった頃には外れてるんじゃないか、頬。

・四分でひたすら走るベース(※ランニングベースってことなんだけどテンポが乱れてるみたいな書き方になった)、楽しくも大変な譜面。頑張れの念を送る。

・男子部員の数が増え、そして成長したことでステージがパキっとしたような気がする。トランペットとトロンボーンのソロ然り。バリトンサックスのソロ然り。パンツスタイルが似合っている。それはきっとあのオシャレカッチョイイ部Tの活躍なしでは語れぬ効果だろう。

・椅子があるとはいえ上下左右の振り付けは激しく、多少心配したがバテを感じさせることなくcoda。人数増による音の厚みが功を奏したのかも。

・MCは部長副部長コンビ。ちゃんとお客を煽るし、曲説明も丁寧。こういう行事のたびに自分の拙速な仕切りを思い出して冷や汗をかく。客の反応を見る余裕なんか、まるでなかったもんなあ‥‥。

・1曲目のソロ紹介、ステージがステージならカメラで抜かれ大スクリーンにあのキメ顔が映し出されていたかと思うと、あまり意味を伴わない悔しさがこみあげてくる。

・2曲目「塔の上のラプンツェル・メドレー」。華やかなる御仁登場で会場沸く。暑そうってまず最初に思った。あのマント。

・うって変わってしっとりした入り。バスクラが最初ピンスポに照らされてたのはご愛嬌‥‥かな。オーボエの旋律が数瞬前とは違う世界への案内役。

・アルトサックスって、いいな。(和風総本家)

・サックスソリ、ね。パートとして今年は活躍の機会に恵まれたステージ、ちゃんと期待に応えていた、それ以上のものを見せていた、いや魅せていた、と思います。親バカなのでまともな判断ができません。あの8の字の振り付け好き。今度振り付け教えてね。

・チューバとフルートのところ、観客最前列の人がぴょこぴょこしてた。チューバもフルートもうまくなったね。

・メドレーの中で雰囲気が変わるところ、楽器間の受け渡しがハマってきれいに変わっていた。ボックスステップ(どじょうすくいという解釈も存在)し始める指揮者。

・あの照明の使い方、印象に残った人も多かったと思う。かっこよかった。

・会話し始めるオーボエとテナーサックス。周りで優しく支える音色あって、その上で輝くふたり。

・いつのまにかひとり高らかな愛を歌うテナーサックス。これを見るために、これを聞くために、この感動を幾重にも増幅させるために、私は吹奏楽部に入ったのかもしれない。

・アルトサックスのソロ、褒めてた人いたなあ。だんだん"ソロ"をモノにしてきたそのノリで、イケイケな演奏。来年はさらに弾けた姿を!

・終わったのち、こんな短かったっけとなる。映画音楽のメドレーにしては短く、こうしたステージで扱いやすいサイズに選曲の妙。

・再びMC。顧問の名前で笑いが起きるのはもはや定番に。

・ぶちょおおおおおおお

・あったけえ‥‥会場があったけえよお‥‥

・3曲目は「ジャパニーズグラフィティXII」。宇宙戦艦ヤマト銀河鉄道999のテーマソングをつなげた、松本零士スペシャルである。

・冒頭、木管の飾りに彩られ出てくる伸びやかな金管が日の出とか旅立ちを思わせ、個人的に好きなところ。

・テナーはやっぱり歌わなくちゃ!という伝統を継ぐ者よ。そのまま育つのじゃ。

・背中が大きく、頼もしく見える。陣頭指揮するには少々大きな船を、よくここまで泳がせてきたね。

・サビのトランペットの刻みがいい。ここではあまり触れられないものの、風紋のトランペットも上手でした。

・二度立ち上がり、ソロを吹く男。佇まいは変わっていないようで、しかしアイツはどこから頼もしさを連れてきたんだか。

・ステージ、発光。暗闇の中でも、息づかいと、感情と、輝きがそこにある。

ティンパニの号砲で飛び出してきた戦艦。敬礼。

・戦艦が帰ったと思ったら機関車が飛び出してきやがった。

・斜めに舞う楽器群を見ながら、終わりを感じる。毎年、ステージ中強烈に"終わり"を感じる瞬間があって、今年はここだった。

・列ごとの行進、体操部に似たものを感じる。マイクスタンドに阻まれてたサックスのパトリさん、どんまいです。

・アルトサックス3人出てきて、大好きなメロディを吹いている瞬間の高揚感。もっと間近で、音に殴られたかった。

・半分近くサックスの話題だった気もするが、そういうステージだったってことで。

・おしまい!

 

 

ステージドリル元年は、それをやりたいという気持ちを発端とし、革新ともいえる椅子のないステージを実現させ、結果が"ついてきた"。一度向きを変えると、ましてやなんだかいい向きな気がすると、惰性みたいな力が働いて、また別の向きにするのがためらわれることがある。一方、時のアカがついた革新は革新でなくなり、贅沢な観客は新しいものを求め続ける。

今年少なくとも全立奏から脱却した*1ということは、まず今年の執行代の"思惑"のなせる技だった。人数や学年構成といった環境が変わる中、決断を迫られた部分もあっただろうが、それを受け止め、そしゃくしたのち自分たちのステージとしてカタチにしたことは立派なことだ。座奏のステージを経験している最後の学年が舵を切ったのも、ある種意義深い。

毎年カシラが交代する宿命にある部活動において、その欠点を埋めるより美点を伸ばす形でアプローチしたのが今年の執行代なのだろうか、とぼんやり思う。

 

さらに次以降の代にひとつ方針を示せたという点では、単なる一回限りのステージを超えた望外の収穫だ。このステージは来年以降、確実に考えの材料となる。ブラッシュアップの踏み台になるか、全く新しいものを置く台座になるか、そればかりは今の代が決めうることではないが、部活動の血脈の中に残り、未来を支えていくだろう。そうやって積み上げていった財産と、先の執行代とが戦い得たものが、次の財産の仲間となるのだ。

 

 

無数の思惑の上そこに在ったであろうステージ。自分を、あわよくば他人をも満足させ、魅了したステージ。あのステージに立つまでの時間と、立っている時間のことを人に余すことなく伝えるのは、不可能に近いでしょう。"ことば"というものは、やっぱり不完全な道具ですから。

でも、伝えなくとも。あの時間を共有したステージの上の人たちだけは、語り尽くせぬ経験をお互いに分かち合うことができる。経験をどう受け止めるかは、人の素地と解釈によるけれど、少なくとも同じ景色、同じ音の中で過ごしたことは、そうかわりはしない。

私はそんな皆さんを横から見て、ゴシップ記事を書く三流ライターに過ぎません。経験したことが、あまりにも違いすぎるから。

でも、いい経験をしました。あまりにも違いすぎるんだけど、これはこれでいい経験です。

私の"良い"は、皆さんの"良い"とは違うかもしれないですが。

 

良いステージでした。

また、次の機会を楽しみにしています。

ありがとう!!

*1:変わることを是とし、伝統を引き継いだ過去の代を非としていると読まれてしまってはかなわないので添えておく。そもそも代による比較は野暮である。また、人間というのは"同じまま"より"変化"を敏感に、大げさに感じ取りやすいという性質も忘れないでいただきたい。誤解を恐れずぶっきらぼうに言えば、なにかを変えるということは、考えたという過程が確実に存在しただろうと相手に思わせる手っ取り早い手段なのである。伝統を吟味し、良いのであればそのまま受け継ぐことに何の問題もない。"惰性"とか"脱却"とか、ネガティブイメージのつきまとう"ことば"を使ったが、直接比較しているわけではないことを心に留めてね。

やっぱり言葉って難しいね(ここで冒頭に戻る)